世田谷の豪徳寺に住んで八年半が過ぎました。こんなに長く住んだ東京の町はこれまでありませんでした。「世田谷日記」はこれで終わりです。ながいあいだのご愛読をありがとうございました。新しい日々をつづるノートは、「市松生活」で、再開します。家の床がやたら市松模様の生活。ぜひそちらをお読みください。




Sep.12 「偶然だよ」

■テレビは自粛しているのだろうか。公共広告機構のCMが目立つ。どんな種類のCMが自粛の対象になるのかよくわからず、これはいいのか、こっちはどうなんだ、こんなときにこいつの顔を見たくはなかったと思いもする。深夜からずっとテレビの報道を見ながらいろいろ考えがめぐるが、ひとつ言いたかったのは、顔が土気色になったNHKの国際部記者、田村啓を早く寝かしてやれということだった。
■あと、ワシントン支局の手嶋龍一さんはなぜか微笑んでいるように見える。
■混乱のなかで、秩序を保とうとするとき、出現するだろう過剰なナショナリズムがおれはいやだ。

■偶然だ。
「小説ノート・予告篇」で、「テロリズム」を取り上げた。11日の未明、つまり深夜だったが、「小説ノート」を書かなければと思い、未完成だというのに急いでアップした。事件を知ったのは発生からずいぶん時間が経ってからで、永井のメールを確認したのは、12日、午前一時過ぎ。連絡事項があり、最後に「台風が過ぎたと思ったら、いまはNYのテロでたいへんなことになってますね」とわりとのんきな調子で書いている。テロだと? テレビをつけた。世界貿易センタービルに旅客機が激突する映像。偶然だよ。偶然にきまっている。偶然だと思わないとなんだか怖くてしょうがない。
■しかしわからない。なぜあんなにあわてて「小説ノート」を書いたのか。急いでアップしたのか。なにかに背中を押されるようにして書いた。それでなぜその日の夜(日本時間)、あんなことが起こるのだ。偶然だ。しかし、なにかが動いているのかもしれない。わけのわからない力。誰の力だ。その力に突き動かされるように書くしかないだろう。
■「小説ノート」をアップするにいたるまで、ここには書けない出来事があれこれあり、ひどく感情的になり、感情に動かされるまま、流れでこうなったとすれば、すべて仕組まれたかのようだ。はめられたのか。やつらか。やつらが背後で動いているのか。誰だそれは。

■Hさんからメールをいただいた。Hさんは地下鉄サリン事件の被害者で、目の前をサリンの液体が流れてゆくのを見たという。
■「あのあと長い間それについて考えていたけれど、私には明快な言葉にできなかったことが宮沢さんの日記に書いてあったような気がしました。それは1995年以前に私が見ていた宮沢さんの作品の中にも、常に流れていたものであったような気もします。わたしはあの事件の後、単純に『被害者』としてオウムを憎むことができないことに気がつきました。それは彼らを自分とは全く異質なものとして切り離すことが出来なかったからで、なぜならそれが、わたしがそれまでやって来たこととは無関係ではなかったからだと思います。ある種の芸術はテロとそう変わらないものなのかもしれません。演劇にしろ、現代美術にしろ、小説にしろ」
■もちろん、いままさに目の前に出現している事態の背景にある、イスラム社会の反アメリカ・反グローバリズム、あるいは行き先の見えないパレスチナ問題に比べたら、オウムのやったことは茶番にしか見えないにしても、Hさんのように目の前にサリンが流れるリアルな感触はもっと異なる文脈の問題だ。Hさんのメールに書かれていることをしっかり受け止めたいと思った。
■また考えるべきことが増えました。
■これまでの政治言語ではとらえきれないできごとたち。

■小説のことばかり書いているが、あらためて、「からだ」のことを考えようと思った。からだについて書いていた「NOTE」のページもほったらかしになっている。憎悪が出現するとき人のからだはどうなっているか。報道番組に映し出されるいくつもの映像にぼくはそれを見ていた。

■恒例、なごみたい人はこちらのページへ。

(1:16 Sep.13 2001)

Sep.11 「ニューヨーク」ver.2

■深夜に書き直した。テレビをまったく見ていなかった。アメリカで同時多発テロと永井からのメールで知った。「小説ノート予告篇」にテロのことを書いた直後で、動揺。日記は休む。こんな状況のなか、あえてなごみたい人はこちらのページへ。

(3:18 Sep.12 2001)


 ここ、かなり削除