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Oct.31 thurs.  「風邪気味」

■充実していた10月が終わる。
■筑摩書房の打越さんに単行本の最終的な確認のためのゲラを戻し一安心だ。大学の研究室のKさんから電話がある。太田省吾さんが『→ やじるし』という舞台を新国立劇場で11月に公演する。大杉蓮さんが出るし、こんど僕の舞台にも出てくれる小田豊さんも出ていらっしゃる。その招待予約に関するFAXが届く。新国はうちから歩いて三分程度。ぜひみたいと思っている。
■時間があったのでいろいろ本を読む。小説もいくつか。刺激されて『28』への意欲が高まる。世界を構築することの小説を書くことの楽しみ。だけどやっぱりテクニックは必要だ。まだまだだな。もっとうまくなりたい。もっと文章がうまくなりたい。いくらそう考えていてもしょうがない。書くしかないことだ。
■一方、映像を作ることにも興味は強い。
■もっと素材を撮影しよう。使えるかもしれない映像を撮りためて映像に興味をシフトさせてゆきたい気分になるが、やっぱり小説。そして舞台。あと舞台で使うにあたって人のやっていないようなテクニカルな新しいことがないか模索する。
■深夜、U−20のサッカーを見る。ナショナリズムのことを考える。ナショナリズムについてもう少し勉強しまとまった意見を書こう。ナショナリズムはむろん、右翼的信条へと結びつくのは当然だが、そこらあたりにある「右翼的心情」について再考する必要があるというか、見逃せない現象としてナショナリズムはある。平気で日の丸を振る人々の無邪気さ。『凶気の桜』という映画。小林某の漫画程度の知識でナショナリスト的発想で物を言う連中の浅薄さと、ただようナショナリズム的、右翼てき、時代の気分の本質としてそれがどこからやってきたか考える。
■寒い。風邪気味で調子が悪い。だが克服しよう。それが自由業者のつとめだ。

(4:12 Dec.1 2002)


Oct.30 wed.  「東京の建築を見る」

■目が覚めたのは夕方、筑摩書房の打越さんから電話があったからだ。
■昼夜が完全に逆転している。打越さんの電話はゲラの最終チェックに関することでぼんやりした意識で返事をする。確認すると校閲のチェックが入ったゲラがFAXで届いていた。さらに、編集者のE君からもFAX。原稿のことだった。今月はなぜか、実業之日本社のTさんからも原稿に関してFAXがありいつもならメールなのにこうしたシンクロニシティってやつはあるものだ。というか、メールをもらっても返事をしないからいけない。申し訳ない話である。ある雑誌から原稿依頼のメールが来ていたがすっかり返事を忘れてしまったこともあり、不義理なことばかりしている。で、コーヒーを飲んでようやく頭がすっきりしてきた。
■仕事をしなければ。あ、「シンクロ」で思い出したが、「シンクロナイズドスイミング」という競技における、「ソロ部門」ってやつは、いったい、なにが、どう、なにと、シンクロしているのだろう。だってソロじゃないか。そんなことはどうでもいいが。

■そう思いつつ買い物に出る。買い物をすませて少しクルマを走らせると日本橋まで行き、ライトアップされた建築がとてもよかったのでデジカメにおさめようとクルマを降りてあたりをぶらぶらする。ライトアップされているのは三井本館の建物だった。リンクしたページの資料によるとトローブリッジ&リビングストン設計事務所(ニューヨーク)によってデザインされたとのことで当時としてはばりばりのビジネスビルだったのだろう。これぞまさしく近代建築だ。いまの目で見ると虚構性さえ感じまるで映画のセットを見る気分にさせられるのは、夜という時間、そしてライトアップされているのが大きい。ドアのガラス越しに中を見ると天井も床もとても端正なデザイン。こんな部屋に住めたらいい。
■あとで知ったがそのすぐ近くに辰野金吾が設計した日本銀行本店があるはずでそこまで足をのばせばよかった。つい三越日本橋店の屋上にある奇妙な塔に目がいってしまった。あれは変だよ。なんのつもりだ。
■もっと建築を見たい気分になってきたが、いまは舞台である。舞台に集中しよう。もちろん仕事はする。待ってくれる人がいてこその人生だ。ずいぶん待たせてしまったのだけれど。

■さらに神楽坂に行きたくなってクルマを走らせる。
■飯田橋から神楽坂を上ると、有名な中華屋「五十番」で肉まんを買って帰る。その先に新潮社があった。早稲田通りに出て明治通りで左折したが、いま明治通りがすごい。どこも地下鉄工事で車幅が狭くなっているが、明治通りの下にも地下鉄を作っちゃうというのはいったいなにごとだ。これでまた東京は変わる。
■「五十番」の巨大な肉まんを一個食べたらもうお腹いっぱいだ。でかいよ。すると永井から電話。フライヤーの写真撮影の件。11月1日はまずヌードの撮影をする。そのあと映像グループと打ち合わせ。早め早めに作業を進めよう。翌日は朝6時から渋谷で「人と風景」の撮影をする。いったん解散して夕方からこんどは小浜たちパーフォーマンスグループとの打ち合わせだ。着々と進行。てきぱきと仕事を進めてくれる永井に感謝する。

(7:33 Oct.31 2002)


Oct.29 tue.  「朝六時の渋谷」

■考えてみると今月はやけに充実している。
■大学院の授業と松倉のライブを見るため、京都に行ったのがずいぶん過去のような気分だが、あれもやはり今月だ。そしてワークショップがあった。筑摩書房から出る単行本のめどもついた。舞台も見た。戯曲も書きはじめた。充実した10月だった。小説が書けていたら文句ないがそんなに仕事をするのもいかがなものか。
■この時期の京都はきっといいだろう。紅葉のシーズン。だけど僕は冬がよかった。ものすごく寒い京都の冬。観光客がいないのである。どこの寺に行っても静かだった。たとえば、龍安寺の石庭を見ても観光客だらけのときはなんのよさも感じない。冬、ほとんど人がいないときはよかった。龍安寺の床板がすごく冷たかった。あと詩仙堂の冬もいい。二年前の冬はやたら京都を歩いた。まだまだ歩く場所はある。
■今年は年末にもういっぺん京都に行く予定だ。

■フライヤーに使う写真を渋谷の駅前で撮影することになっている。ちょっと説明すると、裏表それぞれ異なるタイプの写真を使い、表が女性のヌード。裏が都市の風景。人がまったくいない風景のなか、モデルの姿がぽつりあるという写真を撮りたい。可能な限り早朝、あまり人のいない駅前で撮影したいが、夜が明け、町が明るくなるのが午前六時くらいだと永井が言っていた。で、いきなり思いたって渋谷にロケハンに行ってみた。渋谷の午前六時はこんな感じだ。

 タクシーがやけに多いと感じた。昼間に比べたら少ないが人はやはりいる。人がまったくいない渋谷ハチ公前での撮影はむつかしそうだ。電車が動く時間になってしまうと人もやはり動き出す。人が少ない瞬間を見計らって撮影することになるだろう。

■フィリップ・K・ディックの『マイノリティ・リポート』という短編は一九五六年に書かれた。僕の生まれた年だ。いまはすでにメジャーな作家になっているのかもしれないが、僕の印象ではマニアックな作品を書くSF作家という印象がある。かなり過去の、そしてマニアックな作家の初期短編をいまになってスピルバーグが映画化するというのは興味深い話だが、同時に、スピルバーグとディックの組み合わせはどこかちがうような気がする。『トータル・リコール』はちょっとあれな映画だったが、それよりはきっといい作品にはなっているだろう。なにしろスピルバーグだ。意味はないかもしれないが、どうしたってリドリー・スコットの『ブレードランナー』と比べてしまう。
■マイナーっていうか、ひとむかしまえの言葉ならカルトなSF作家の、そうであったゆえんは、作品に流れるテーマの衒学性や重さでありドラッグカルチャーに通じるサイケデリックなビジョンではなかったか。だが、よく読むとディックはまた手練れのストーリーテラーでもある。
■映画化されるのはそこらあたりの事情がからむ。
■晩年のディックがもっともいやがっていたことかもしれない。逃れようとしていた自分であったかもしれない。逃れようともがき、ドラッグに溺れるようにして死んだ。死んだのちにディックの存在を知って僕は読みはじめた。なぜディックなのか。なぜスピルバーグなのか。それが知りたくて久しぶりにハリウッド映画を見たいと思った。

■姜尚中さんの『ナショナリズム』を読んでいる。とても面白い。「ナショナリズム」について考えたことを書こうと思ったが長くなるのでまたにする。充実した10月も終わろうとしている。急に空気が冷たくなった。

(8:14 Oct.30 2002)


Oct.28 mon.  「ちょっとでも先へ」

■夜、打ち合わせをするため永井が家に来た。
■食事をしながらいろいろ話す。まずオーディションの結果を出したので報告しそのむね連絡してくれるよう頼む。問題は、「面白い人たち」だと永井。つまり、「俳優グループ」「パフォーマンスグループ」「面白い人たち」と三つに区分した、その「面白い人たち」にどう伝えたらいいかわからないと言う。「おめでとうございます。”面白い人たち”になりました」と話すのはいかがなものか。「面白い人たち」にされた人たちも困るだろう。まず彼らは、「なにをするんですか?」と質問すると思う。永井が答える。「面白いことをしてください」。さらに事情をむつかしくしているのは、「面白い人たち」のなかに遠方の人がいることで「面白いこと」をするためだけに東京まで出てくるのは問題だと思う。だけど、いてほしいなあ、いつもそばに、面白い人たち。
■ほかにも、スケジューリングのこと、このあいだ撮影した宣材用の僕の写真ができたのでどれを使うか、フライヤーの件、映像を使うにあたって作業の進め方を決める。もう動き出す。11月からパフォーマンスグループは稽古をはじめようと思うが、小浜にリーダーを任せようと考え、するとパフォーマンスグループだけ独立して公演してもいいんじゃないかと思えてきて、それ結局、「alt.」じゃないか。
■でも、パフォーマンスグループを作ったことでもっと異なるなにかが生まれてくるように思えるのだ。可能性の幅を広げるというのでしょうか。無難にやろうとすれば、これまでの経験でいくらでもできるが新しいことをしたい。きっと苦労するだろう。だからこそ公演する意味がある。だからって、二年ぶりの舞台で気負うのもどうかと思い、自分らしくあれば、そしてそこからほんのちょっとでも先へ進めたらと思うのだ。
■永井が作ってくれた日程表を見る。いよいよである。

(5:10 Oct.29 2002)


Oct.27 sun.  「戯曲を書きはじめる」

■水戸芸術館でシンポジュウムに参加したのはいつのことだったろう。数年前のことになる。
■太田省吾さんと一緒だったが、そのとき「納豆スナック」というわけのわからないものをくれた当時はまだ水戸の高校生だったHさんは、いま武蔵美の学生だ。Hさんからメールがあった。大学とはべつの場所でも勉強しているらしくその学校に講師として常盤響さんがいらしたという。常盤さんから出された課題が、「宮沢さんの本、『牛乳の作法』の装丁をしよう」だそうでうれしくなった。受講者がどんな装丁をするか見てみたいが、それより早く常盤さんの装丁を見たい。すごく楽しみだ。

■夕方、近所を散歩。オペラシティでは恒例なのだろうクリスマスの飾り付けがもうはじまっている。オペラシティの建物のなかにある紀伊國屋で政治学者である姜尚中さんの『ナショナリズム』を買って少し読む。「ナショナリズム」についてしっかり考えよう。『トーキョー・ボディ』とあきらかに無縁ではないと、いまだからこそ感じる。
■と少しのんびりした気分になっていたが、内心は書かなくてはいけない原稿のこと、やらなくてはいけない大学の仕事、そして舞台のことであせり、のんびりなどしていられないが、仕事に向かう気力がなくむしろ舞台のことばかり考えている。今月中に『28』を書き上げ、「新潮」のM君に渡したいと思う気持ちは山々で、しかしやらなくてはいけないことがいろいろあり、ひとつずつ片づけてゆくしかない。
■それにしても、WEBデザインへの情熱はいよいよ下がる。というかコンピュータそのものへの情熱も下がっている。書店に行ってもコンピュータ雑誌、コンピュータ書籍の棚に足が向かない。むしろクルマ関係の棚に立ってしまう。
■思い着いたとたんいきなり戯曲を書きはじめた。これまでとは異なる種類の舞台になりそうだ。これまでとは異なる戯曲の書き方をしてみた。戯曲というスタイルからの再考。本公演に向けた上演台本と、リーディングで読むであろうテキストの書き方を意図的に変えてみようと思った。リーディングで読むためのテキストは「読むためのもの」であり、平行して書かれる本公演用のテキストは「読むため」だけのものではない。

■空気が冷たくなってきた。秋は深まる。冬、いよいよ舞台への具体的な作業がはじまる。

(16:02 Oct.28 2002)


Oct.26 sat.  「”あたりまえ”のレベル」

■「一冊の本」が届いたので高平哲郎さんの「僕たちの七〇年代」などいくつか楽しみにしている連載を読む。金井美恵子さんの連載も絶好調だ。すごく面白い。小林信彦さんの書くものは小林節といっていいほどトーンが一定でそしてこれを書けるのはこの人しかいない。橋本治さんの文章はやっぱり読めない。なぜなんだろう。ほかに、レベッカ・ブラウンという作家のレズビアン小説について書く柴田元幸さんの、作家の紹介とさらに翻訳家としての苦労は読ませる。最後の部分はこうしめくくられる。
訳者としては、オスカー・ワイルドがアメリカの酒場で見かけたという掲示をここでもくり返すしかなさそうである――
「ピアニストを撃たないでください / 彼は彼なりに一生懸命やっているのです」
 新聞で読んだが、本というか、書籍の売り上げは年々下がり、ただ「日本語」に関する本ばかり売れているらしい。「日本語」に関する本が売れるのはどうでもいいし、本が売れなくなっている現状に関して、「いまの若い者は本を読まない」といった大人の言葉を書く気はさらさらないものの、自分もまた本を出しているのでもっと売れてほしいとはいえ、僕の本もそれほど売れているわけではないので本が売れない現状について「あ、そうなの」としか言えないわけだが、それにしたって人がなぜ本を読まないのか不思議になるときがある。なにしろ面白いからだ。
 昼ごはんの時間、テレビをつけるとしばしば、「家計を助ける」という企画が目に入り、それで気になるのは、細かく算出され分類された家計のなかに書籍購入費が含まれていないことだ。二、三度、見ただけなのでなんとも言えないが、書籍購入費はなかった。世の中には「本を読む人」と「本を読まない人」という二種類の人間がおり、テレビに出てくる一般の人はたいてい「本を読まない人」というだけのことだろうか。
 この問題には中間がないらしい。ある建築家の書いたものをどこかで読んだことがある。住宅設計の仕事を長いあいだしてわかったのは本の所蔵量が、百冊以下か、千冊以上だということだ。つまり、「本を読む人」と「本を読まない人」の二種類である。あいだがない。もっとその差は広がっているかもしれない。十冊以下か、一万冊以上、とか。まあ所蔵していればいいってものでもないし、図書館で借りるのもけっして悪くない。
 ただ、「本」という「モノ」が好きかどうかというフェティッシュな面も否めない。古本屋を渉猟する楽しみはなんだろう。見逃していた本を発見することの悦びは、それを読みたいという気分と同時に、本そのもの、本という姿にひかれるところがある。装丁はもちろん、本文の活字の姿も含めた、本そのものだ。

■このあいだワークショップのときだったか、誰かに「新聞読みますか?」と質問された。僕の感覚としてはこの質問自体が成立しない。新聞はふつう読むものだという前提のもとに生きているので、もの心ついてから新聞を読まなかったことがなく、「あたりまえじゃないか」としか質問に答えられない。どうやらそれは「前提」や「常識」ではなくなっているようだ。さらに「子どものころから新聞は大好きだ」と付け加えると、「すごいですね」と言う。いやすごくない。子どものころから映画を見ていたことを話すとやはり感心されることがあるが昔はどんな小さな町にも映画館があり歩いていける場所に劇場があったので子どもは遊びの延長として誰もが映画を見ていた。
■「あたりまえ」は変化している。
■「あたりまえ」のレベルが下がっている気もする。

■突然だが、キム・ヘギョンちゃんのインタビューを見ていると、「テレビ」というメディアについて北朝鮮が大きく誤解しているのを感じた。過大評価しているといってもいい。政治的な場に連れ出されたヘギョンちゃんはかわいそうだが、成熟したテレビ視聴者はテレビに映し出されるものすべてに批評する視線を持つことを知らなければ思惑通りにことは進行せず、いくらヘギョンちゃんという切り札をマスコミに公開しようと政治的には逆効果でしかない。
■いや、この国の視聴者の目が肥えているのではない。そもそもテレビとはそういったメディアだ。誰もが同じ批評する目でヘギョンちゃんを見ていた。北朝鮮を見ていた。政治を見ていた。見る側もまたなにもえらくない。
■それにしても慌ただしい世界だ。
■この煮詰まりぐあいはなにごとだろう。ロシアでのテロリストによる劇場立てこもり事件といい、下北沢での民主党議員刺殺事件といい、なにが起こっているのか判断するのに時間がかかるが、テロの是非はともかく、ロシアの事件がもつ思想性の高さにくらべ、民主党議員殺害の思想性の低さは笑えるほどではないか。だめだこりゃという気がすると同時に、「あたりまえのレベルが下がっている」ことと思想性の低さはどこか通底していると感じ、一九六〇年に起こった浅沼稲次郎刺殺事件とは、けたはずれの思想の貧しさだと理解する。

■夜、また小田急線経堂駅にある「はるばる亭」に行った。支那そばと香麺を食べた。腹が爆発しそうだった。脳も爆発しそうな美味しさだ。香麺はうまい。

(9:30 Oct.27 2002)


Oct.25 fri.  「茫然とする」

■舞台が終わった翌日のような気分だ。
■なにもする気が起こらない。仕事がたまっている。やるべきことがいろいろある。原稿を書かなくてはいけない。仕事で会うべき人に連絡しなければいけない。申し訳ないことばかりしている。
■夕方、お腹がすいたので、豪徳寺に住んでいたころよく行った、松原にある「いな垣」というそば屋に行った。すごく美味しい。それからどこかでコーヒーでも飲もうと思い、いきなりだが南青山のWESTに行った。WESTはいい。東京のカフェはどうもだめだが、唯一、静かで落ち着いた気分にさせてくれる老舗の喫茶店だ。店に入る直前、タバコを買おうと自動販売機まで歩いたら、そこにパリがありました。というか、パリ風なレストランがあって、明かりの感じといい、店の造りといい、パリである。青山墓地が間近にあってあたりは薄暗くそのなかに店がある感じがパリだ。つまり東京は明るい。必要以上に夜が明るい。そばを食べていなければ入ったかもしれない。

■なにもしなかった一日。ほんとになにもしなかった。

(6:14 Oct.26 2002)


Oct.24 thurs.  「最後の日。で、はじまり」

■ワークショップ最終日だ。
■実際のワークショップはあいだに休みの日を挟んで10日間だったが、面接からだと僕は二週間近くワークショップにかかりきりだった。やってよかった。これまで出会うことのなかった様々な人と作業することができた。
■フィールドワークをもとに「表現を作る」ことの発表二日目。きのうやった発表を手直しして再度見せてもらう。いつもなら一度の発表で終わるところを二度やる。新鮮味を失わず再現に耐えられるか、さらに深くつこんでいけるかの試み。もっとやりたいと思った。
■残念だったのは、組体操のようにして男たちが土台を作り上に女の子が乗るという発表のなかで、女の子が転落。頭を強打して救急車で運ばれたことだ。大事に至らなくてよかった。検査の結果、脳しんとうという診断。様子を見るため入院することになった。それで発表をいったん休み、休憩を入れて落ち着いてから再開する。
■それぞれ少しずつよくなっていたが、短い期間で、「思いつき」から「表現」に至るのは困難だ。たとえば、あれは一次のワークショップのグループ単位の発表だったが「ゆっくり動く」ことをしていた班があった。「ゆっくり動く」と、いかにもなにかを表現をしているようなものになる。それがくせもの。ゆっくり動けばいいってもんじゃないはずで、ゆっくりの速度はそれぞれあり、なぜその速度なのか、なぜその動きかの裏付けがよくわからない。裏付けを求めて考えつくされていないものはつまらない。そのあたりに関して僕も試行中だ。だから一部の発表に対して、試行錯誤している言葉で意見したので、意見された側は、よけいわからなくなっている。得意分野に対する意見ははっきりしている。ずばっと言葉が出るが、探っている途中の分野の表現に対してはどうも言葉が曖昧だ。あと二週間あれば言葉がきっと整理されるはずなのだが。

■終わって打ち上げ。ワークショップの打ち上げ。ほんとは店を用意していたが、事故があったこともあり地味に初台の僕の家でやることにした。考えてみると居酒屋が僕はきらいなのだな。うるさくて落ち着いて話せない。食べるものがまずい。なんだか汚い。家だったら落ち着くし、だいたい安上がりだと思う。
■事故があった女の子と同じ班のグループが、入院しているその子を見舞いに信濃町の慶応病院に行くという。何人かクルマに乗せて僕も向かうことにした。慶応病院には福沢諭吉がいた。で、ご両親もいらしたので挨拶。ベッドで眠っているようだったが、その後、様子に大きな変化はないようでほっとする。考えてみればこれまで舞台やワークショップを何度も経験していながら事故がなかったほうが不思議だ。舞台は危険である。危機意識が不足している。古い劇場にはよく神棚がありなにごとかと思っていたが、あれは「危機意識を持て」という戒めなのだな。長い舞台の歴史の中で事故は数多くあったにちがいない。それが経験として語られ神棚という形になった。近代の意識は神棚を遠ざけ、「危機管理」をシステム化したが、つい忘れがちになり、あるいはずさんに管理される。
■今回のことは忠告だと思ってしっかり受け止めておこう。もっと大きな事故が起こる可能性はいつだってある。
■帰り道はものすごい渋滞。新宿御苑の手前から南口に抜けるトンネルを行こうとしたが、トンネルの入り口に警官が出て「いまトンネル内はまったく動かない状態です」と注意している。迂回し、千駄ヶ谷駅前を抜けようと思ったらこちらも動かない。明治通りまでぎっちりつまっている。
■ようやく家に。

■ほぼ全員がそろったところで、いまさらだが自己紹介などする。それが面白い。いろいろな出自の人がいる。円、第三エロチカ、東京乾電池、パパ・タラフマラの劇団員や元文学座の人がいるが、なにより驚かされるのは民藝の劇団員だ。僕の舞台に民藝の人が興味を持ってワークショップに来ることに驚かされた。滝沢修の演出を受けたことがあるという。あと、べつの意味で驚いたのは、かつて所属していたのが「劇団パンジー」という人。「人間パンジー塞翁が馬」という芸名だったらしい。なんだそれは。ほかにも、横浜ベイスターズのマスコットガールもいる。
■エロチカのK君や、円のI君らと、演劇の話をずっとしていたが、少しずつ疲れてゆくうち、京都から来ているヨーロッパ企画のH君、八百屋で働くH君を相手にでたらめなことをしゃべり続けた。それが面白くてしょうがない。また笑わせてしまった。喘息持ちの笠木は笑いすぎて呼吸が苦しくなったと薬を飲んだ。そんな思いまでして笑うことはないじゃないか。去年の夏、大阪でワークショップをやったとき、梅田から京都まで阪急の車内でずっとしゃべり続けたことを思い出す。二人のH君には、たとえ舞台に出なくてもずっと稽古場にいてほしいと思った。というか、こんな面白い人を舞台に出すのはもったいない。
■それで今回のオーディション形式のワークショップ第三次を終えて結論が浮かんだ。三つのグループが存在する。「俳優グループ」「パフォーマンスグループ」、そして、「面白い人たち」だ。「パフォーマンスグループ」は映像に出てもらったりダンスしてもらったりパフォーマンスしてもらうが、なにしろ、カツゼツの悪い小浜とか、イ行が言えない京都のH君がリーディング公演に出るのはおかしいじゃないか。今回のオーディションは、いろいろな意味で、レベルが高かった、というか、レベルが奇妙な位置にあった。なにしろ、いきなり脱ぐ人がいて、手首を切る人がいて、民藝の人がいたのだ。
■そういえば、去年のリーディング公演『アンヌ・マリ』に出演した、宋はどうしているのだろう。行方不明だ。また宋と舞台をやりたかったな。あの味はなかなか出ない。ああいった人にはなかなか出会えない。

■明け方、みんな帰っていった。誰もいなくなると部屋がやたら広く感じる。舞台が終わったあとのようだが、そうではなく、いまはじまったのだな。舞台への気持ちが高まってきた。みんなのおかげだ。ワークショップに参加してくれた全員にとても感謝している。

(5:50 Oct.26 2002)


Oct.23 wed.  「贅沢に悩む」

■午後からまたワークショップで曙橋へ。
■きのうのフィールドワークをもとにした発表。それぞれ面白い部分もあるが、あえて厳しい批評をする。表現を鍛えさせようと受講者を悩ませるようなことを言う。今回はいつものワークショップに比べたら平均年齢も高いし、ひとりひとりの個性も強い。レベルも上だ。求めればもっと出て来る。要求を高い位置におく。そうでないとこうした発表は「遊び」で終わってしまい、これまでのワークショップはむしろそれが狙いだった。今回は特別だ。すぐそこにある舞台に向かっている。
■様々な工夫をする発表がいくつもあってその熱心さがうれしい。小道具を大量に揃えたり、映像を作ったりなど目を楽しませてくれる。
■このあいだも書いた宮台真司さんと会ったとき一緒について来た人は豪徳寺班にいて、二次の時、戯曲を演じる発表でなぜかセーラー服を着てきたが今回はさらにわけのわからない衣装を意味なく身につけていた。いちおう、「豪徳寺にはエロがない」ということから発想されたらしいが、それにしても理解できない網タイツである。なにを考えているのだ。「目を楽しませてくれる」の意味がなにかちがう。

■いろいろな人がいる。ここに書けないような重い事情を抱えた人もいる。面白くてしょうがない。で、この32人はなんらかの形でみんな舞台に関わってもらいたいが、しかし実際の作業を考えるとどうやって進めたらいいかで悩む。誰にどんなことをしてもらうか、劇に関わって来る者は当然いるにしても、たとえばパフォーマンスというか、ダンスというか、そうした関わり方、あるいは映像での関わり方などあるはずで、しかし戯曲を書く段階で何人の登場人物が必要か決めなければならない。はじめに戯曲があればいいがこれから書くから、作業がむつかしくなってくる。わかりきったことだったのだ。考えてみれば。だからといって、32人をそのまま稽古場に呼んで戯曲を稽古段階で作る方法もできない。
■12月にリーディングあるのだな。
■困った。悩む。いい人が大勢いることの贅沢な悩み。

■それはそうと、フライヤーの製作をいつもデザインしてくれる斉藤さんに頼んだ。僕の意向をくんでくれたラフ案が届いた。と、いま書こうとしたら、はじめ「裸婦案」と変換されたわけだが、一概にまちがっているわけではなく、なにしろ「裸婦」の身体の写真をメインにしたデザインだからだ。ラフ案では、ある外国の有名な写真家による女性のヌードを使っている。顔は映っていない。とてもきれいなモノクロ写真だ。だめかもしれないが使用許可をお願いするという。だめだったら撮影しなければならないが、ワークショップに来ている16人の女たちのなかに、言えば脱ぎそうな者が何人かいるのが、なんと申しましょうか、おそろしい。というか、ワークショップ中にもう脱いじゃった人もいるわけだし。
■少しずつ舞台に向かって作業は進んでゆく。制作の永井もよく働いてくれるので頭が下がる。いろいろなところから僕の顔写真がほしいという問い合わせがあるとのことで、きょうは撮影をした。永井が全部セッティングしてくれカメラマンの方にも来てもらった。撮影のときまずポラで試し撮りするけれど、それを見ると坊主頭の写真はとても怖い。髪が長かったときとは大ちがいだ。まあ、しょうがない。

(7:13 Oct.24 2002)


Oct.22 tue.  「第三次ワークショップ初日」

■32人に絞った参加者による第三次のワークショップがはじまった。
■また戯曲を元に芝居を作りをするつもりでいたが、朝起きたらやけに天気がいいので、外に出て「東京」という町のフィールドワークをすることにした。天気がいい日は外に出るに限る。32人を六つの班にわけ、「渋谷」「下北沢」「山手線一周」「豪徳寺」「新橋」「六本木」のそれぞれの地域に向かわせる。二時少し前に出発。五時半ぐらいにみんな戻ってくるという予定。フィールドワークで収集した資料をもとに「なんらかの表現を作る課題」である。
■そのあいだ、僕は、制作の永井と、手伝いに来ている関とただ部屋で待っていた。そこへ、舞台監督の武藤が来る。見学に来たが受講者は誰もいない。なにしに来たかわからなくなってしまった。仕方なしにいろいろ話しをする。面白かった。

■五時半を過ぎてみんな戻ってくる。
■各班の報告を聞く。豪徳寺は以前住んでいた町なので、すごく細かいことまで僕にはわかり、歩いた班の者らがどこをどう動きなにを見たかだいたい想像できる。やはり、「うわぼ」という雑貨屋に注意がいったらしい。「うわぼ」はその家の姓だが、豪徳寺近辺にはこの「うわぼ」という姓がやたら多いのだった。どういう漢字だったか忘れた。下北沢班は駅を中心に、「北口派」と「南口派」があるという話が面白い。北口派は、あそこらあたりは洋服屋や雑貨屋が並んでいるのでどちらかというと裏原宿的なところがあってやはり女の子はそちらに足が向き、南口派はただ酒を飲む連中が足を向ける場所だ。新橋での発見は「ヤクルト」だった。「ヤクルト」の本社に資料館があったという。デジカメで、町行くいろいろな人にヤクルトを飲んでもらって撮影していた。その画像が面白い。ヤクルトのあの小さな容器で飲む行為がすごくとんまな感じにさせられる。土産のヤクルトを僕も飲んだ。なんだかまぬけな気分になるのだ。昼間の六本木はイメージしていた六本木と異なるという話。さらに雑居ビルにはよくわからない店が入っており、まだ開店していないのでなんの店かわからない。たとえば「田村」という店がある。名前かよ。あるいは、渋谷で見つけた都市伝説的な「お地蔵さん」がすごい。渋谷の写真を大量に撮影しそれが面白かった。いい写真も多かった。これは今後の資料になる。
■それぞれの町で発見がある。むつかしかったのは山手線一周だろう。ただ電車に乗っていなければいけなかったのだ。でも、見るべきもの、発見するべきものはきっとあるはずだ。「見る」ことの重要性。「見つめる目」の批評性が試される。僕が山手線を一周したらエッセイを10本は書ける。ような気がする。

■その後、やろうと思う表現のアウトラインを各班ごとに僕と相談。まだ「これ」と決めつけなくていい。あしたは集めた素材が取り散らかった状態でいいからなにかを表現してほしい。それを元に軸を発見し作り直す。完成品へ向けての作業だ。最終的になにかが表現できればいいし、フィールドワークからの過程で「表現」への感覚を開き、刺激を受け、またべつの自分のなかにある「からだ」を発見できればいいと思う。そのためのヒント。
■そして僕もまた、それぞれの話から刺激を受ける。『トーキョー・ボディ』へ着実に前進しているのだ。

(6:29 Oct.23 2002)


Oct.21 mon.  「月の向こう側」

■一日休みの日ができたので、青山の髪を切ってくれる店に行ってまたきれいさっぱり坊主頭にしてもらった。近くに青山ブックセンターがある。三冊ほど文庫本を買う。入ってすぐの場所に「当店文庫本売り上げベスト10」というコーナーがあり、拙著『よくわからないねじ』は四位だった。棚にはその文庫の実物が順番通りに並んでいるのだが、第一位がない。つまり売れすぎて品切れ。棚に並べるべき実物の文庫すら売れてしまったという状態なのだろう。いったいなんの本だ。宮部みゆきか。
■とか考えつつ、三冊手にしたわけだが、石原莞爾の『最終戦争論』もその一冊。「昭和十五年五月二十九日京都義法会に於ける講演速記で同年八月若干追補した」と本書扉にある。つまり日本が泥沼の太平洋戦争に突入する前夜、石原に特有の思想を講演した記録である。その冒頭の言葉が気になった。
戦争は武力をも直接使用して国家の国策を遂行する行為であります。今アメリカは、ほとんど全艦隊をハワイに集中して日本を強迫しております。どうも日本は米が足りない、物が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせば日支問題も日本側で折れるかも知れぬ、一つ強迫してやれというのでハワイに大艦隊を集中しているのであります。
 いまから六十二年前の発言だが、これを読んだら世界の構造は六十年前とあまり変わっていないと感じる。それにしても石原の思想は奇妙だ。戦争を技術論で語るかと思えば突然、宗教的な観点から語り出す。北一輝の思想が背景にあるのだろう。それで思い出したのは黒テントの佐藤信さんが二十年以上前に発表している『ブランキ殺し 上海の春』という戯曲で、あれを少し書き直していま上演するのも面白いのではないかということだ。たしかあれは大泉学園にあるなにかの広場に立てられたテントで見た。三時間半の作品だった。
 僕が見た大泉での公演は初演ではなく、記録によると、一九七九年五月に公演となっており、しかし初演の「ブランキ版」と記された作品は七六年の公演だ。場所は大泉ではなく小田急線の梅ヶ丘。やはりテント。黒テント。そのとき「春日」という登場人物を演じているのが清水紘治さんだ。当時の黒テントの看板役者。僕が見た大泉版ではすでに黒テントを退団したあとだったのではないか。
 その清水紘治さんが最近テレビドラマに出ている。かつてアングラの雄、「六八/七一 黒色テント」の看板俳優がテレビドラマに出る時代だ。しかもドラマのタイトルが『お見合い放浪記』って、ちょっとどうなんでしょうか、この時代の変遷というものは。夜10時からのNHKのニュースを見たあとこのドラマがいきなりはじまりついつい見てしまったが、水野麻紀(表記、ふたしか)という女優が以前から気になっておりCMなどで見ると変なことをしてもいやみなところがなくて好感を持っていたのである。すごくいい女優だ。あと、鈴木沙羽(表記、ふたしか)がいい。って、本題と外れてしまった。大幅にずれてしまった。なんの話だ。

■夜、世田谷パブリックシアターで、ロベール・ルパージュ演出による『月の向こう側』を観た。出演はイブ・ジャックという俳優がひとり。ひとりで性格のまったく異なる兄弟を演じわける。適切な表現ではないかもしれないが、映像を駆使したかわいい演出とトリックが面白い舞台だった。演出をうまく言葉に出来ないが、ドラマの大きな要素となっている宇宙飛行に関わって、飛行士たちの映像としてよく知られた無重力状態のような動きがとてもここちよい。全体的にとても洗練された舞台。洗練されすぎているとさえ思う。音楽はローリー・アンダーソンだった。いろいろなことを考える。というより、観ているあいだずっと次の舞台『トーキョー・ボディ』のことばかり考えていた。
■というわけで、たまってしまった原稿をはじめ仕事しなくちゃいけないんだというプレッシャー以外はとてもいい一日だったわけです。

(4: O2 Oct.23 2002)


Oct.20 sun.  「第二次ワークショップ最終日」

■午後一時からワークショップ。
■「ある程度カタチになったものをベースに自由な表現方法で同じ劇を見せる」という課題の発表だ。きのうまでやってきたことの最終形を昼と夜の回、あわせて14チーム分見ることになる。で、夜になって振り返るとものすごく長い一日だった。いろいろなことがあった。一番はじめに発表した班は、近くのビルの非常階段を使い見る側はその下の駐車場で見上げる。階段を使って立体的に表現するという方法。面白かったが、夜になってそれを思い出すと、なにか、五日ほど前の出来事のような気がしてくるから不思議だ。
■いつも稽古している部屋を利用し、たとえば暗くするとか、更衣室のカーテンの向こう側、あるいは目隠しして自分たちの視覚を不自由にするなどの方法もある。あるいは近くの公園で走り回る者らのグループもあった。

■夜の班の発表で事件があった。
■『おはようと、その他の伝言』という僕の書いた戯曲の一部を使った発表だが、見る者は歩道橋の上にいる。演じる者らが道路で信号をうまく利用したとえば歩行者用信号が青の時は歩道上、かなり幅の広い靖国通りの中央で芝居しているが、たしかに傍から見れば、のっぴきならないことがそこで発生しているように見えただろう。近くにいた人がケンカが起こっていると110番通報した。警察官がやってきた。しばらくするとパトカーもやってきた。劇は中断。演じていたグループが謝っている。制作の永井が事情を説明しにゆく。そのあいだ僕は歩道橋の上からじっと見ていた。
■一部始終が劇だった。
■いままさにそこでなにかが発生している事件を目撃することのこれ以上ない面白さ。以前も書いたが、「虚構」より「事実」が面白いのは自明である。だが誰もが目撃することができないからこそ、その劇性を伝達しようと「再現」することによって、事件のなにかを伝えようとする。だが私は目撃してしまった。去年の秋にあったワークショップでやはり事件がありファミレスでテキストを読む発表をする者がおり、ファミレスの店長が激怒してわれわれを追ってきた。警察に連絡しますというので、「してください」と答えると「それが開き直りというんですよ」とかなんとか「警察に連絡しますよ」という言葉が単なる脅かしでしかないとすぐにわかったので、「してください、連絡、早く」とさらに言ったが、店長はそれでもぐずぐず説教をしたいみたいだった。でそのとき、僕はこれまで経験したことのない不安感に襲われ精神科に通うことになり「軽いパニック障害」と診断された。しばらく通院しだいぶ落ち着いたが、今回、事件が発生し、去年のその事件が思い出された。今回はわりと落ち着いていられた。
■というのも、警察は、あんがい事件慣れしているからであった。「演劇です」と説明するとどう考えて結論づけたのか納得してくれたのだった。歩道橋の上にいた僕たちのことをケンカを見に来た野次馬だと勘違いし、「演劇、演劇だから」と親切に声までかけてくれた。警察にしたら通報されたから仕事上駆けつけなければなからなかったのだろうが、まあ、こんなことは日常茶飯事、事務的に処理して去っていった。

■くりかえすが一部始終が事件だった。
■面白かった。そしてほかの班もそれぞれの発表があって楽しめた。ひとりひとりの俳優の魅力も見ることが出来た。第二次のワークショップを終え、三次までには67人から30人前後に選択しなくてはならない。いろいろ悩む。こいつは絶対という人間も何人かいるが、微妙な人もいてそこらが悩む。
■第二次のワークショップが終わった。魅力的な人、魅力的な「からだ」に出会うことが出来た。今回の、広範な場所に向けて発した応募は様々な人に向かっていたことにとても重要な意味があった。この数年のワークショップではめったに集まらないような俳優たちが応募してくれ、そのことで刺激を受け次なる劇を喚起してくれると思った。以前のワークショップは正直言って様々な意味で「子ども」が多かった。今回はちがった。しっかりした演劇的な素養と基礎訓練を積んだと思われる人、そしてまた、現在を生きている(これはかなり説明が必要になるが長くなるのでまたにする)俳優が集まった。
■かなり異なる舞台が生まれそうだ。

■終わって、制作の永井と、手伝いに来ている関を家に呼んで、選考。書類を見ながら、「今回は見送りの人」「微妙な人」「第三次合格者」を分類してゆく。「微妙な人」もけっこういる。だけど目標は30人。結局、どうしても選びきれず32人になった。繰り替えすようだが見送った人も、べつに俳優として、表現者として全否定しているわけではない。今回の作品、『トーキョー・ボディ』へ向けての選考に過ぎない。いわば、ここで選ばれなくてもそれほどたいしたことではない。自分に合った演出家、作品に出会って今後の表現活動を続けていけばいいことに過ぎない。「微妙な人」はほんとに微妙でした。微妙な人にはなにかべつの形で連絡を取り合い、なんらかの方法で手伝いをしてもらえればと思っている。
■『トーキョー・ボディ』はもうはじまっている。
■稽古は始まっている。作業ははじまっている。舞台へ向かう気分が徐々に高まっている。それは彼らに刺激されたことが大きいと思い、応募してくれた360人全員にとても感謝している。

(3:48 Oct.23 2002)


Oct.19 sat.  「ALWAYS LOOK ON THE BRIGHT SIDE OF THE LIFE」

■深夜、Uー20によるインド戦のサッカー中継を見ていたらナイキのCMにエリック・アイドルの『ALWAYS LOOK ON THE BRIGHT SIDE OF THE LIFE』が使われていたので驚いた。たしか、映画『ミーニング・オブ・ライフ』の挿入歌でその後イギリスでヒットした曲だ。あれは何年前だったろう。と書いてもわからない人のために説明するとエリック・アイドルはモンティ・パイソンのメンバーのひとり。いまはグループとして活動はしていないが、かつてどれだけその作品を観たかわからない。10年以上前に製作された彼らの映画で流れた歌が、ナイキのCMで使われたという話。モンティ・パイソンの歌を集めたCD、『MONTY PYTHON SINGS』の冒頭にある。

■さて、ワークショップはさらにつづく。
■きのうに続いて戯曲の一部を使った稽古スタイルの作業。
■昼、夜、たしかめたら7チームずつあって全部で14の発表を見なければいけないのだった。見ることはそれはそれとして集中力のいることで、体力がなくなってゆくとそれががぐっとさがる。そしてなにか意見する。「話しをする」のは、「見る」より楽だ。というのもここでいう「見る」は単なる鑑賞ではなくいま演じている全員を僕が持っている「演技」に関する認識や知識、批評性をフルに動員する能動的な行為になるからだ。あるいは俳優の「からだ」からなにかを発見するために神経をぴりぴりさせておかなくてはいけない。
■「見る」が受動的な行為ではないのは、「美しい花はない、花の美しさはある」という言葉に従えば、見る側の視線、主観によって、いかようにも「対象」は変化するからで、漫然と見ているだけではけっして「対象」はこちらに働きかけてこないからだし、「見る力」を試される。
■だから「見る」は疲れる。
■演技が終わったあとなにか意見をする「行為」もまた、べつの意味のエネルギーを必要とするが、外に向かって発することで、特に僕の場合は、なにかカタルシスがある。というか、批評する、話しをするのは面白くてしょうがないからそれで発散される。それも試されている。批評もまた表現行為であって、どう「だめ」を出すかで俳優からまた逆に批評される。

■というわけで「見る」のである。
■ワークショップはこの連続だ。台詞をきょうまでに入れるのを宿題にしてあったので各班、すでに台本を手から離している。面白かったのは、様々な出自の異なる演技体系を持った人の集まるグループだ。なんでこんなにばらばらなのか、そのばらばらさかげんに笑い出しそうになった。たとえば、舞台への登場の仕方、立ち方、声の発し方、それぞれ異なる。みんなちがうんだよな。どこでどうこの変化は生まれたか。もちろん出自はある。どこそこで演劇を習った、舞台を続けていたといったことの反映は当然のようにあるが、そうあらしめているのはなんだろう。習慣のようなものか。いつのまにか馴致しているだけのことか。あるいはもっとくっきりした刻印のような根拠はあるのか。それがよくわからないのだ。演出をするとはいえ、いつもの稽古のように緻密に作ってゆく時間がないので、漠然と意見をし、細かい部分は彼らにまかせる。すると僕の書いたものとは異なったものに戯曲が変化し、それはそれで面白い。刺激を受ける。発見もある。あるいは、自分の演出を逆の方向から見せられているような感じといえばいいか。
■さらに稽古。ひとつのグループを二回見ることはできた。で、ある程度カタチになったものをベースに、自由な表現方法で同じ劇を見せるのが明日までの課題。それぞれの見せ方、やり方によって稽古場で演じるのとは異なる「劇」を作る。各班で相談したあと僕と協議して内容を決定する。気がついたのは、僕が話した課題のテーマを、それぞれが異なる理解の仕方をしていることだ。受け止め方が異なりそれによって表現方法も変わる。
■この課題はこれまで何度もやったことがあるが、こんなふうに受け止め方がちがうのもあまりない。そのこと自体が面白いと思った。
■今回のワークショップは根底からこれまでとはちがう印象だ。参加してる人たちの大きな変化だろう。もちろん360人から67人に絞ったのは僕で、選択の視点もこれまでと異なっているとはいえ、もっと根本的にちがったのは募集をかけた規模が大きかったことがある。多様な人、つまり多様な「からだ」が集まり、それぞれの「からだ」が僕には興味深く、同時に僕の選ぶ目も変わっているのではないか。演劇観の変化もある。『知覚の庭』を上演したのはもう7年ほど前になるが、やはりオーディションで大半の出演者を選んだ。あのときもいろいろな「からだ」に出会うことができたがその「からだ」とも異なる質だ。むろん、僕の見つめる目が対象を変化させているにちがいない。
■同時に、いまここにある、共通したなにかを抱えた「からだ」がきっとあり、さらにつづくワークショップでそれをもっと見つめたいのだ。作品への気が遠くなるような作業だ。「トーキョー・ボディ」への道はさらに続く。

■疲れた。家に帰ったらぐったりした。ワークショップ以外のことはなにもできない。だけどやっぱり、"ALWAYS LOOK ON THE BRIGHT SIDE OF THE LIFE"なんだな、きっと。そうでありたいといつだって思っている。

(5:39 Oct.21 2002)


Oct.18 fri.  「選考された67人による第二次ワークショップ」

■曙橋にある演劇ぶっくの稽古場を使ってのワークショップ形式のオーディションだ。
■で、朝早く起きて筑摩書房から刊行される『牛乳の作法』のゲラチェックをすませる。打越さんとの約束は12時。少し遅く起きてしまったのであわててクルマで曙橋へ。コンビニの前で打越さんをクルマに乗せて演ぶへ。ゲラを渡し、事務所を借りて少し打ち合わせ。装丁のことなど話したが、依頼した常盤響さんはとてもいい人らしい。どんなものになるか楽しみだ。

■一時からワークショップ。67人をふたつにわけ、昼の部と夜の部がある。むかし書いた戯曲のごく一部を使って稽古スタイルの作業。アウトラインとなる指示を出したあと、細かい演出をしてゆくが、まだ緻密に作るところまではいたらない。一次では印象を中心に選考したが今回は芝居の質を問題にする。ただ芝居って、僕の演出の場合、基本的な考え方さえ理解してもらえば誰でも出来るという前提があって、べつにへたでもかわないというのがこれまでのやり方。今回は少し考え方を変え、しっかりした演技の出来る人、きちんと立っていられる人を選ぼうと思うが、とはいうものの、やっぱりなんていうんでしょうか、感覚的に魅力的な人はどうしたっており、いくら芝居ができても、どうもちがう気がする人もいる。ただ、たとえば、『おはようと、その他の伝言』の一部をやってもらうと、演技経験のある人は、たとえ声をはってもしっかり発声できるが、基本のない者は、ただはりあげるというか、のどで叫んでいる印象だ。パワーで芝居させようとするが、ただだばたばたするのと、きちんと表現になっているのとはちがう。
■ここらあたりで悩む。
■いくら芝居ができなくても、魅力的な人は魅力的であり、だがいま考えている演劇とはどうも異なる。かといって芝居がしっかりしていてもなんかちがう人はいるわけですよ。僕の感じ方からすれば。

■昼の回が終わって少し食事。すると途端にテンションが、僕のテンションがさがり、どうも集中力が欠ける。稽古中の食事はやっぱりどうもいけない。眠くなる。夜の部は細かい演出が出来なくなっていた。おおざっぱな意見になってゆく。体力だな。タフでなければいけない。
■それでも、いい感じの人は何人もいて、いよいよ選考はむつかしくなってゆく。「道路工事の人」とか、「道路工事で交通整理をする警備員」などの「からだ」にいま、興味があって、それもまたトーキョー・ボディだと考えるのだが、それはやはり、がたいのいいでかい男がいいだろう。そんな連中が舞台をうめつくしたらさぞかし壮観だ。そしてまた、性的なるもの、女たちの「からだ」。あるいはいまの若い連中。様々な「からだ」が見てみたい。舞台に出現させたい。
■どんな舞台になるのだろう。

■夜10時に終了。やっぱりタフでないとね。あと二日これが続く。そして一日休みがあって、さらに三日間の最終ワークショップ。ただごとならぬことをはじめてしまったわけだが、こつこつ積み上げる。作品作りへの長い道のり。なんというか、ちまちま戯曲を書いてそこから舞台を作るという作業過程にもう飽きているのだ。作り方からの根本的な変更。ふつふつわきたつものを生み出したい。だから、12月にあるリーディングの公演で、「読まれるテクスト」と、本公演はもちろんテクストを基本にしつつも、かなり印象の異なるものになるはずだ。これまでとはちがう試み。もっと考えつくそうと思う。

(9:05 Oct.19 2002)


Oct.17 thurs.  「まだやめるな池山、と遠くから声がする」

■やけによく眠る。
■さすがに疲れていたのだな。昼過ぎに目を覚まし、筑摩書房から刊行される『牛乳の作法』のゲラをチェックするが、どう考えても終わらない。ほんとはきょう打越さんに渡すつもりだったができそうにもないので、その旨、電話しておわび。あしたにしてもらうことにした。だが、どうも落ち着かない。ゲラチェックはしているが、けれど、胸がどきどきするような気分になっているのは、もちろんきょうが、僕にとって歴史的な2002年10月17日だからだ。
■夕方、神宮球場へゆく。
■ヤクルトスワローズの池山選手の引退試合だ。

■球場に着いたのは午後5時半だったと思うがまだグランドでは広島の選手のバッティング練習が続いていた。バックネット裏のスタンドに入ると内野席がやけに盛り上がっている。ちょうど池山選手がバッグを肩にかけて球場に入ってきたところだった。ネットの付近にファンたち。歓声があがる。拍手が起こる。誰もがこの日を万感の思いで待っていた。池山の姿に様々な声がかかる。「池山さーん」と女。「やめるなあ」と男。スタンドにむかって手を振る池山は、その足で三塁側にいる広島の山本浩二監督に挨拶しにゆく。外野から内野席はもう満員だ。横断幕が広げられる。
■「19年間ほんとうにごくろうさまでした」
■「ありがとう池山選手」

■神宮球場は全スタンドが禁煙なので決められた喫煙場所にゆくとヤクルトファンのおやじたちがタバコをすっている。僕もそのひとり。試合前だというのにもうみんな涙ぐんでいる。どうしてしまったんだいったい。




■スターティングラインナップが発表される。一番センター飯田。二番ライト稲葉。そして突然、球場全体から歓声がわき起こる。三番ショート池山。今シーズンずっと二軍にいた選手が最後の試合で先発フル出場。若松監督の名采配。さすが去年のシーズン優勝時、言うにことかいてお立ち台の上、「ファンのみなさん、……おめでとうございます」と球史に残る名言を残した監督だけのことはある。胴上げで一回転してしまっただけのことはある。
■試合は投手戦。八回、池山に打順が回ったとき誰もがこれが現役最後の打席になると思いそのフルスイングを堪能した。ところが同点のまま延長へ。10回の表、広島が一点を取る。あとのないヤクルトのその裏の攻撃は九番からはじまる。一死後、バッターは飯田。ひとりでもランナーが出れば池山にもう一度打順が回って来るというそのとき、飯田は、三塁と投手のあいだに絶妙なセーフティーバントをして死にものぐるいで一塁に走る。池山になんとかつなげようと飯田が走る。一塁ベースにヘッドスライディングする飯田。セーフ。二番の稲葉がダブルプレーさえしなければ池山に打順が回る。誰もが期待する。球場全体が稲葉の打順に注目するなか、ベンチからゆっくり池山がネクストバッターサークルに姿を見せる。つなげよ稲葉。そしてあの稲葉が、ホームランバッターでもある稲葉が慣れない送りバントをした。成功。二塁に飯田。そして池山がバッター卜ボックスに向かう。
■広島のピッチャーは長谷川。長谷川は真っ向から勝負する。ほんとうの勝負をする。野球の醍醐味だ。すべてストレート。池山は故障しているひざを気にしながらフルスイング。一球目、少し甘い真ん中よりのストレート。空振り。二球目。またストレート。フルスイングのバットが空を切る。歓声が高まる。奇跡を誰もが期待する。ヒットなら同点。いや、誰もヒットで同点なんか期待していない。フルスイングだ。入団以来、ずっとつづけていた池山の豪快なフルスイングが見たい。奇跡がホームランを生むことを期待する。さらに歓声は高まる。満員の球場全体を異常な熱気が包む。長谷川が投げる。渾身のストレートは152キロ。フルスイングする池山。
■空振り。
■三振。だけど、誰もが、その勝負に納得した。ストレート一本で押し通した長谷川に感謝した。フルスイングで自分をまっとうした池山におしみなく拍手を送る。池山が長谷川のところにいって握手を求めた。勝負してくれたことへの感謝の気持ちを握手が示している。これが野球の醍醐味だ。選手が集まってくる。ヤクルトの選手はもちろんのこと、広島の選手も池山に握手を求める。
■引退のセレモニーで池山があいさつすると、どこからか声がする。男の野太い声。「まだやめるなー」と遠くから。「池山ー」とさらに声は球場全体に響く。
■セレモニーが終わると膝が痛いのだろう池山は足を引きずりながら球場を一周する。スタンドから色とりどりのテープが投げ込まれる。バックネット裏、内野、外野のヤクルトファンは誰も帰らずその姿に声援を送るのは当然だとしても、レフトスタンドの広島ファンも帰らず池山に声援を送る。これが野球ファンだ。プロ野球ファンだ。声援はいつまでも終わらない。

■いいものを見た。幸福な時間を過ごすことができた。四万八千円はけっして高くなかった。バックネット裏のこれ以上ないほどいい席で、目の前に池山。泣いている池山。ネクストバッターサークルで素振りする池山。フルスイングしたときひざががくっとなって倒れそうになる池山。スタンドに手を振る池山。すぐそこでそれを見ることができた。熱気に包まれた神宮球場。日本シリーズのときより声援が高かったスタンド。
■球場を出ても茫然とした気分になっていた。その場に居合わせることの出来た幸福。10回裏のあの瞬間を目撃することができたことの幸福。あのフルスイングはいつまでもきっと忘れない。

(7:53 Oct.19 2002)


Oct.16 wed.  「また夢の島へ」

■今回、ワークショップの手伝いに、岸と、関という二人の男が来ている。
■岸は自分で舞台を作演出しており、関はニブロールで踊るダンサーだ。二人が僕のワークショップに来たのはもうずいぶん以前のことだし、関は一本舞台に参加した。じつはきのう、豪雨の首都高を命からがら東京までたどりついてガレージに入れようとして失敗、クルマの後部車輪の上をカレージ内の柱でこすってしまった。ひどい傷。ひどく落ち込む。きょうのワーックショップ終了後、それを関に見せたら、ふつう、「いやあ、たいしことないですよ」と、うそでも慰めてくれるのがふつうだと思うが、傷を見たとたん、「 こりゃあ、ひどいですねえ、ははははは」と言った。すごくうれしそうだ。
■手伝いに来てくれたからねぎらいのつもりで船橋まで送ってあげ、豪雨にあって死ぬ思いをしたせいでひどく疲れ、車庫入れに初めて失敗した人間に向かって言う言葉だろうか。なぐりつけてやろうかと思った。
■船橋だからといって、笠木を同乗させたのも問題で、笠木のうちの近くまで送ったのが運のつきだ。「寄ってコーヒーでも一杯のみますか」という誘いに乗ったから帰りが遅れ、豪雨に巻きこまれた。やはりワークショップ受講者の伊勢の家まで、ワークショップに必要なものを取りに行くと世田谷の住宅街の中の細い道をくねくね曲がり、いよいよ疲れたのが車庫入れ失敗の一因だ。豪雨の首都高。くねくねした世田谷の住宅街の道。疲れた。
■いつもなら落ち着いて車庫入れできるはずだったが、やけにあせり、かべにぎりぎりクルマを寄せ、あげくの果てに柱でボディをこすった。どいつもこいつもろくなやつらではない。

■で、関以外の二人はワークショップの受講者だ。知人とはいえ、ほかの受講者とは異なる特別あつかいしたのはまずかっただろうか。だったらほかの受講者に申し訳ない。でも、伊勢を乗せて事故らなかったのがせめてもの救い。いやあ、ほんとにすごかった。横風にあおられた橋の上など、ハンドルが取られたし、そもそもセンターラインがどこにあるかよく見えないのだ。この過酷な首都高を走ったらほかのどんな高速も怖くなくなったし、まして一般路は平気になった。
■しかしどうしたものかねえ、特別あつかいはいけない。そのことをこのページに書いたのも無神経だった。ほかの参加者がどう思うか心配だ。ただ元々の知人。この数日で、300人くらいにあっていると、その刺激に精神的に参り、知っている人と話をするのは唯一の救いだから、どうしても彼らとばかり話してしまう。ただ、エチュードを見、これまでの経験で知ったこと、僕の演劇観、一人一人へのレクチャー、ひいきなしにアドバイスはしたつもりだし、それはぜったい自信がある。
■笠木や伊勢、あるいはボクデスの小浜はオーディションの場では特別な存在ではない。どこかで落とすかもしれない。ただ、「知人」である。「知人」であることはどうしようもなくて、オーディションだからといっていきなり無視したりするのも逆に不自然だ。だが、知人でも落とすときは落とす。

■最初のオーディションというか、一次審査のワークショップとはいえ、150人くらいの俳優志望者と作業するのは大変だった。昼の12時から午後の部として70数名、さらに夜になって70数名。
■きのうのことから書こう。
■一次ワークショップは二日間。その初日。夢の島公園の中にある巨大な体育館が会場だ。まず、いくつかの言葉と写真をコピーして渡し、「三つの言葉を選んで表現を組み立てる」という課題を一人ずつ発表してもらう。様々な発表があって面白かった。書類段階で180センチ前後の男をかなり選んだのでみんなやけにでかい。小浜が小さく見える。たとえば188センチの男のあとに、168センチの女の子が発表すると、168センチの人がやけに小さく見えるのだ。様々な発表があって面白かった。きのうも書いたが、印象に残ったのは、「手首をカッターで切った人」だ。「演劇」は、ある種類の人たちにとって救済の場になっているふしがある。その典型がここにあると思いつつも、けれど、こんな時代にあってこのせっぱつまった姿はなにごとかと思ったのと同時に、それをした人の行為に、自然なふるまいを感じた。そうしてしまうのだな。そうするしかなかったのだな。
■で、もっともいいと思えたのは、何年か前、湘南台市民シアターで太田省吾さんの戯曲をもとに市民と作った舞台にも参加してくれたNさんの発表だ。両手を水平に開き、そのままの姿勢で「私の背中にはたくさんの中国の人たちがいます」と語り出す。その透明な語りだしの美しさに、Nさんの内面の深さを感じる。それにひきかえ、面白いことをしようとする人たちのなんてつまらないことか。湘南台の舞台でNさんは、広い舞台をケンパしながら舞台の奥、遠くまでゆく場面をやった。その姿を見て太田省吾さんが「あれはきれいだった」と言った。演出なんかではけっしてない。Nさんのよさがそのままからだになってあらわれたのだと思う。
■いきなり、上半身裸になって胸をあらわにした女は、書類を読んだときから気になっていて、モデル立ちのブロマイドみたいな写真が添付してあるくせに、東大の大学院に在学中というわけのわからなさ、で、「いまわたしは、添い寝クラブというところでバイトしています」と話しはじめる発表をしている途中、どこかでこの人と会ったことがあると思い出したのだが、以前、宮台慎司さんと会ったとき、宮台さんに一緒について来た人だ。
■ほかにもいろいろあったよ、150人。

■二日目。
■グループを作って、同じ課題をグループでやってみる。発表の形式は自由。どんな場所を使ってもいい。外の班がいくつか。建物のロビーがいくつか。
■いくらグループにしても13チーム。昼夜あわせて、26チームの発表を見てそれにコメントしてゆくが、つい話しはじめると20分くらいのコメントになる。一度発表したら、もう一回なおして発表というつもりだったが時間がない。いろいろな発表があった。それぞれ面白い。コメントするのに大きな声を出す。声がかれる。つかれる。憔悴した。
■同時に、こんなにたくさんの人に会うのは、やっぱり神経をまいらせる。とはいうものの、たくさんの人に会いたかったのだ。いろいろな「からだ」を見てみたかったのだ。そこからなにか喚起してくれる誰かに出会いたかった。ワーックショップ形式のオーディションではあるが、「選ぶ」というよりむしろ、「探す」ことのほうに意味が大きかった。誰かに出会いたい。劇を喚起してくれるどこかの誰か。

■昼の部と夜の部のあいだも、書類とメモを見ながら二次に来てもらう人の選考をし、全部が終わってから夜10時近くまで夜の部の選考。昼の12時から10時間ぐらいほとんど休む時間がなかったが、つくづくタフでよかったと思う。二次に残ってもらう人たちの選考終了。60数名になった。その60数名とまた三日間の作業。こつこつ積み上げるように劇を作ってゆこう。もうすでに劇を作る作業ははじまっている。これも稽古なのだと思った。

(4:05 Oct.18 2002)


Oct.15 tue.  「ワークショップと豪雨の首都高」

■ワークショップ形式のオーディション一日目。
■江東区にある夢の島公園。その内部にある巨大な体育館だ。
■書くことがたくさんある。
■疲れた。いろいろな意味で疲れたのは、ワークショップによる体力的なことではなく、たとえばワークショップで一人一人にテーマを与えて表現させたところ、いきなり、「下着姿になる女」「カッターナイフで手首を切る女」「上半身裸になって胸を出す女」が出現したこと、夜、笠木と伊勢から最近の演劇事情を聞いていたら、ワークショップの女たちにせよ、きりきりと精神的に刺激されるのがこれまで経験したことのない種類のわけのわからないもので、なにやらパニック障害になりそうな気分になっていたからだ。
■しかも帰り、というのは、手伝いに来ていた関という若い男と、ワークショップ受講者の笠木を船橋まで送って、笠木の家でコーヒーを飲んでから高速で東京までの帰り道、ものすごい豪雨。雷。たたきつけるような雨で前が全然見えない。首都高は地獄のようなありさま。よくもまあ死なずに帰ってきたものだ。
■書くことがたくさんある。
■で、ほんとに書くべきことはワークショップの内容だが、あしたまたゆっくり書くことにする。疲れた。いろいろあってほんとに疲れ、繰り返すがこれまで経験したことのない刺激に対する疲れだ。

(10:16 Oct.16 2002)


Oct.14 mon.  「これまでとは異なる新しい舞台へ」

■少しだけ休み。とはいえ、原稿は書く。
■すぐに書かなくてはいけない「一冊の本」の横光利一の小説『機械』を読む原稿。最初から最後まで、それほど長くはない小説をまた一通り読んで今月はなにを書こうか考える。前回からのつづきになるので、いきなり突拍子もないことを書いても連載を読んでくれている数少ないだろう「どこかの誰か」のためにはつづきを書く必要がある。
■計算して調べたらこの連載が単行本になるのは、3年近く先のことになる。かつてこんな本があっただろうか。「なんだかよくわからない」と言われるだろうと思いつつ書いている。「読むことのドキュメンタリー」だ。とはいうものの、分析めいたところがあり、けれど、研究者や学者のような態度ではない。どんな本として世間に受け止められるか楽しみだ。三年後だが。

■二日やった面接の疲れるがまだ残っている。
■だが、『トーキョー・ボディ』にちょっとずつ近づいている。ふつふつとイメージがわいている。でも町を歩くのがまだ足りない。もっと歩いて、「からだ」を見なくてはと思う。メモというか、作品のためのノートを書き続けていま表現したいことをあらいざらい書き残しておこうと思う。なかでも、もっと映像作品を見ることが必要だと思っている。様々な映像作品。テレビのCMではけっしてない。もっとストリートから生まれひそかに流れるいまの映像。
■音楽もそうだ。
■美術もそうだ。
■文学もそうだ。
■あらゆるメディアに出現するあらゆるものから刺激を受けたい。
■そして、「いまここにあるからだ」だ。それは「性的」なものに強く惹かれ、そこを起点になるのではないか。といった予感。

■女優がハダカになりゃいいってもんでもないが、もしかしたら、脱いでもらうことになるかもしれない。僕にしたら挑戦だ。ただ、「毛皮族」や「「指輪ホテル」、あるいは「ハイレグジーザス」のようになはならないな。きっと。方法がある。きっとある。「性」について、「生と死」について、深く考えることからはじめたい。むろん「笑い」はかならずある。というか、演出しつつ、「笑わずにいられない」という問題があるのですね。きのう書いた、様々なイメージから喚起されるものをもとに、ワークショップをやってゆこうと思う。そこからの出発。芝居ができること、「うまい」ことはむろん必要だが、「いまを認識するため」のワーックショップ形式による受講者との共同作業だ。

■あくまでも、僕が見たいものだ。
■それがいまの、トーキョー・ボディだと考える。
■夕方、買い物するためクルマで東京の郊外にあるホームセンターへ。息抜き。最近はコンピュータへの情熱がすっかり薄れてしまった 。WEB作りも飽きてしまった。まずいな。PAPERSは、情報と考えていることの発信基地であって、日記だけはとにもかくにも更新しようと思っている。世界情勢は危機に瀕している。ここでなにが発言し、発信することができるか。

■もっと深く思索しよう。方法のことではない。構造のことでもない。それが新しい舞台へのきっかけになるにちがない。

(4:32 Oct.15 2002)


Oct.13 sun.  「面接二日目」

■昨夜、比較的早い時間に眠ったとはいえ朝六時に目が覚めてしまった。もう一度眠ろうと思ったが眠れない。睡眠不足のまま、午後から「面接二日目」である。体調はひどく悪いが、それでもだめだということもないし、なんでサービスしなくちゃいけないのかわからないが、面接受講者を楽しませようとする。金取りたいね、こうなると。
■疲れているとはいえ、午後1時から、夜10時まで連続して面接。100人以上の人から話を聞く。いろいろな人がいる。自衛隊の試験を受けたという女の子がいた。近畿大学で太田省吾さんの授業をずっと受けていたという人もいた。気になったのは、桐朋学園短期大学で演劇を勉強していた人が数多く来ていたことだ。桐朋といえば、かつての俳優座養成所の流れをくむ由緒正しい新劇系の演劇の学校である。あるいは円の養成所にいた人、文学座の研究所にいた人。印象に残って、そのうちのかなりの数の人を第一次ワークショップ形式オーディションに参加してもらうことにした。
■だから、オーディションはどんなことになるかわからない。
■楽しみだ。またひどく疲れるにちがいないが。

■で、ワークショップのあと、俳優班と、スタッフ班を作ろうと思っており、たとえば映像チームを俳優とはべつに組もうと考えているし、音楽班とか、美術班など、様々なコラボレーションで作品を作る構想を立てている。
■しかし、「作り方」以上に、『トーキョー・ボディ』なんだよ、考えるべきは主に。「からだ」のこと。「いま」のこと。まず、「ドラマ」にするか。「ドラマ」とはかけはなれた「パフォーマンス」的なるものにするかで、いま逡巡しているし、コンテンポラリーダンスを正面切ってやろうとは思わないものの、それに近いものはきっとあるし、いや、これまで見たこともない、けれど自分で見たいものを作りたい。試行錯誤。ワークショップで見つかるといい。

■久しぶりに舞台。期待される。勝負しなくちゃいけないのが苦しい。試行錯誤の期間がない。作品を作り、そこから発展させて次につなげてゆくほど世の中は甘く見てくれないだろう。ただ、言葉として、いくつかのイメージはある。
■「スイッチを消しにゆく人」「肉体労働者」「セックスワーカー」「ジェンダー」「性的なるもの」「あたりまえの生活」「ストリート」「せっぱつまらないからだ」「戦争」「アンダーグラウンド」「弛緩したからだ」「けれど死のうとする人」「でかい人たち」「踊る人」「買い物をする主婦」「エレベータを待つ人」「宇宙」「ロボット」「逃れられないデジタルな文化」「闇」「癒される」「いや、なにに癒されるか」「9・11」「現代美術」「殺人」「広がる階級社会」「東京」「そこにあるからだ」「変化してゆくからだ」「いまのからだ」「語りえぬもの」「生と死」「物語化するこの町」「日常化するセックス」「非日常の恋愛」「女たち」「健康志向」「寄りかかるべきもののない時代にしっかり立つ」「どうでもいい事件」「見過ごせない事件」「さらに東京」「さらにからだ」
■混沌としている。混沌のなかから「意味」を発見すること。新しいパフォーミングアーツへのアプローチ。

■面接を終え、へとへとになってから、ワーククショップに来てもらう人を選んで永井に伝える。家に戻ったのは11時すぎ。疲れていたが、クルマに乗るとぴりぴりする。遠回りをして、千駄ヶ谷から参宮橋に抜けるくねくねした道を走って気合いをいれる。夜、眠くなったので薬を飲む。だが、眠れないのでこのノートを書く。本を読む。老眼鏡の威力絶大。まだ稽古は先だが、芝居作りはもう始まっている。14日は休みの予定だが原稿を書こう。いろいろある。ぴりぴりした毎日。本番まではそれがつづく。そのあいだい小説をぜったい書く。そう腹をくくる。

(5:29 Oct.14 2002)


Oct.12 sat.  「面接一日目」

■曙橋にある演劇ぶっくの稽古場を借りてオーディションに応募してくれた人たちの面接をする。午後一時から夜九時過ぎまで。途中、食事休憩が二十分ほどしかない。面接といってもそんな堅苦しいものではなくただ話しを聞かせてもらいたい、顔を見たいという趣旨なのでその場で簡単な芝居をやってもらうといった種類の面接ではない。ただ、声を聞きたかったし歩く姿も見たかった。任意に選んだごく短い詩のワンセンテンスを歩きながら読んでもらった。
■100人以上の人に会った。話を聞いた。あしたはそれ以上。
■大半が僕の舞台を見たことのない人たち。オーディションを数多く受けそのひとつとしてやってきた人も多くいるし、相田みつおが好きな人もいる。それはそれで面白い。印象に残ったのは、プリセタにも出たという若い男でとても特殊な人だ。芝居はきっとできないだろうがとにかく面白い。これまでの舞台なら迷わず選んだが今回からこういった人には慎重になろう。芝居ができる人、いわゆる「うまい人」を選ぼうと思うが、しかし「うまい人」の「うまい」の種類もいろいろだ。どう考えても僕の舞台にふさわしくない「うまさ」は存在する。
■僕の演劇観も変わっている。
■ただ、僕のオーディションに落ちてもその人にとってそれほど大きな問題ではないはずだ。今回の作品に出てもらいたい人、必要な人、僕の考える魅力を持った人を選ぶに過ぎないのであって、たとえ選ばれなかったとしても俳優としてその人を否定しているわけではない。自分にあった演出家、自分にあった作品、舞台が、きっと存在するはずであり、それぞれの場所にいけばよいと思うのだ。

■疲れたな。でもこういった作業の積み重ねだ。
■関係ないけど、このあいだ、テレビを見ていたら八〇年代の知人が出ており少し太っているのが気になった。みんな年を取ったなあと思いつつ、八〇年代の知人、つまり当時のサブカルチャーの領域で活躍し発言していた者らがみんな油断しているというか、弛緩しているのが気になる。端的に言えばだめになっている。むろん、「団塊の世代」「全共闘世代」の「だめ」もあきらかにあるが、「八〇年代サブカル世代」の「だめ」は「八〇年代」という時代と関わりがあるのではないかと、過去を思うのだ。
■八〇年代。バブルの時代。豊かさが永遠に続くと思っていたあのころ。懐かしきよき時代。僕もまた、そこから出発した。
■そしていま、株価は日ごとに下落する。
■たとえば団塊の世代に、テリー伊藤さんや、北野武さん、あるいはもう亡くなられたが中上健次さんがいて、あの人たちの姿と比べると「八〇年代サブカル世代」の油断ぶりはどうなっているのだろう。テリー伊藤さんはずいぶん前、僕の家にいきなり「テリーです」と電話してきたことがあり、いったい誰だそのテリーってのはと驚かされたが表面的な軽薄に見える姿からは想像できないほど仕事に厳しい人だったし、北野武さんの仕事はいまでも好きだ。そして中上さんの作品には畏敬させられる。弛緩していない人たちのきびしい仕事する姿を想像するのだ。
■自分自身はほとんど使ったことがないと思うが、しばしば僕の書いたものは「脱力」と表現される。それはそれでいいが、「脱力」が思想になったとき誤解されて伝えられ単なる「弛緩」になるのはまずいのではないか。「脱力」や「弛緩」、あるいは「油断」が許される世界は幸福だ。きっと幸福だったのだろう、あの時代。いまがこうだから、株価が下がっているから、どうこうしなくちゃならないと考えるのも陳腐だが、「脱力」や「弛緩」、あるいは「油断」が僕にはものたりない。
■だから200人に会う。
■そして、強引にクルマの話に持ってゆけば、だからこそマニュアル車でなくてはいけない。スポーツカーじゃなくちゃだめだ。ポルシェやフェラーリだ。マニュアル車の精神力とフェラーリの生き方だ。と、そんなふうに書くと、ハートビートモータースミツビシかよという気にもなり、ダラダラダラダーンとデレク・アンド・ドミノスの音が耳に残って「つまらない大人になっていないだろうか」というコピーが四十代の大人のロマンチシズムを刺激する話につい踊らされたかのようだが、いや、そうではない。単に乗ってみたいだけである。
■ぴりぴりしていたい。「癒し」なんかいらない。ただ、精神的な破綻を経験してわかったのは、息を抜くのもたまには必要だということだけど。

■なんの話だかわからなくなってきた。
■このあいだこのノートに『性の思想』という本について書いたが、別役実さんによる文章は、二人の劇作家の分析が中心になっている。イヨネスコ(別役さんの文章ではヨネスコと表記されている)とベケット。イヨネスコの劇の中心を「構造」と分析し、ベケットを「意味」と解釈する。ああそうですかと言われるのを覚悟で書けば、僕はもっぱら「構造的」だ。別役さんにもそう言われた。で、そこが弱点だと思っているのですね。どうしても構造的になってしまう。油断して書くとつい構造的になる。イヨネスコになりたくはないのだ。『サーチエンジン・システムクラッシュ』は「演劇的」としばしば評価されたが、それは、「構造的である」という意味においては正しい。表面的に「場面」が「舞台」のようだという印象から演劇的と評するのはあまりに単純。あの小説はやっぱり「構造的」だった。
■このことをいまずっと考えている。そこからどうやって脱出するかだ。それにしても、「戯曲分析」において別役さんほど鋭いものを読んだ記憶が僕にはない。たとえばベケットの『行ったり来たり』の分析はすごかった。油断しないでチェーホフを読もう。原稿を書かなくてはいけない。なんだかやけに忙しい。

(8:38 Oct.13 2002)


Oct.11 fri.  「しつこいほどワークショップ」

■午後からワークショップだった。
■ほんとは九月中に終わる予定だったが、九月のその日、夕方からだと思ったら午後からで完全に忘れておりその結果の補講のような授業。以前、上演したことのある作品のなかからごく短い一部を抜粋して八つの班にわけて稽古してきたが、それを各班、思い思いの方法、演出で上演する。いろいろあって楽しめた。
■それにしても秋であった。外で上演する班があり寒いほどの気候。京都も寒いと感じたが東京もそうだったのか。それにしても各班にアドヴァイスしたり意見したりするのが、やけにうまくなっているような気がして、だんだん教師になっている。これは作家として意味があるのか疑問に感じる。小説を書かなくてはいけない。学生と接触するのは楽しめるし、刺激されることもあるし、松倉のことをこのノートに書いたら「読みました」と本人からメールがあって、その相変わらず子供のような文面に触れると、大学で教えてよかったとつくづく思うが、これはなにか罠ではないか。俺に小説を書かせない罠だ。カフカの『城』みたいな世界だ。

■ワークショップのあと、制作の永井とオーディションに関する打ち合わせ。あしたから手はじめに面接。200人くらいと会う。考えているとめまいがする。昼から夜10時までびっしり面接。それが二日。こういうことは丁寧に作業を進めようと思うのだ。いい作品を作るためにこつこつ積み上げるような仕事。
■で、家に帰るとぐったりした。ワークショップの直前、ほかにもうひとつ、あまり人に話したくない仕事があり、それがすごくいやな気分にさせられたので疲れた。メールチェックしたあと眠る。ふとんに入ったらすぐに眠った気がする。
■でもまあ、「いい作品」にしようといういやらしい気持ちをもってもしょうがない。結果的にいい作品になること。自分が見たいもの。いまどうしても表現したいなにかを発することができればいい。こみあげるような表現への欲求から生まれてくるものが出てくるどうか。『サーチエンジン・システムクラッシュ』にはそれがあったと思う。三週間で書けたのはそのせいだし、べつに批評で取り上げられるとか、賞の候補になるなんて書いている時点では考えてもいなかった。結果としてそれがついてきた。賞を取ることや、評価を受けるために書いているわけじゃないのはいまも変わらないつもりだ。
■なんでもそうだ。結果としてそうなった。気がついたらこんな場所にいた。

■それはそうと、知人がこんなページを作っていたのだった。気がついていないふりをしてしばらく日記を読んでいようと思ったがそれもなんなので、とりあえず書く。

(6:21 Oct.12 2002)


Oct.10 thurs.  「牛乳の作法」

■たとえば、あなたがもし野球になんの興味もない人で、たまたま10月17日の神宮球場で試合のある「ヤクルト・広島」戦のチケットをちょっとした事情で手にしたとしよう。すでに巨人の優勝が決まっている。ただの消化試合だ。野球に興味がないから見に行くつもりもないし少しでもお金になればいいと思って、Yahoo!オークションに「800円」で出品した。あなたは驚いた。みるみる高値に更新されてゆく。高騰する。さらに高騰する。最終的にそれは「四万八千円」で落札された。
■いったいなにが起こっているのだ。
■たかが野球じゃないか。神宮球場のヤクルト・広島戦じゃないか。野球に興味のないあなたは知らなかった。その試合がヤクルトの神宮球場における今シーズンの最終試合だということ。そればかりか、池山選手の引退試合だということの意味などわからないし、バックネット裏六列目一塁よりというめったに手に入らない席であることの意味もよくわからない。だから四万八千円で買う人間がいるなどと想像もできない。たかが野球だ。四万八千円で買う人間とはいったい何者だ。なにがその人の情熱を支えているというのだ。
■その「四万八千円」で買ってしまった人間が、わたしである。

■昼、筑摩書房の打越さんに会ってゲラを受け取る。17日までに戻さなくてはいけない。17日といえば池山選手の引退試合だ。困った。書名は、『牛乳の作法』に決まった。12月に発売である。11月と予告していたリーディング公演だが、12月に変更になり、公演のとき売ることができる。装丁もふくめいい本にしたいと思った。
■打越さんとわかれ、用事をひとつすませるとクルマで渋谷まで行き白山眼鏡でこのあいだ作った眼鏡を引き取る。驚いた。よく見える。本がすらすら読める。雑誌にあるようなキャプションの小さな文字が苦もなく読める。ほっとした。これでまた本を読みつづけることが出来る。
■京都にある島津製作所の田中さんがノーベル賞を受賞したニュースを見てすぐに思い出したのが、関西ワークショップに来ていた同志社のK君のことだ。K君は今年、島津製作所に就職が決まったのだった。島津製作所はえらいね。ノーベル賞受賞者を出したばかりか、K君を就職させた。というか、研究者、技術者に、新しい仕事に挑戦させる気風があるのだろう。京都にあることの意味も感じる。京都はいい町だ。カフェが静かなのがいい。

(7:49 Oct.11 2002)


Oct.9 wed.  「不思議な家」

■京都から帰って少し疲れた。
■来年からはこうして京都と東京を行ったり来たりの生活になる。ところで、京都の京大周辺にある古本屋では店の前のカウンターに二冊で500円の本が無造作に置かれており、そういった場合、たいていろくでもない本が並んでいるものだがけっこう掘り出し物があった。で、鈴木忠志の『騙りの地平』と、アーノルド・ウェスカーの戯曲『友よ』を買った。二冊で500円。良心的というのか、もう売れないと古本屋がそう考えたか知らないが、投げやりな感じで演劇書が並んでいるのは買う側にすればありがたいものの、なんだか悲しい。
■疲れてはいたがクルマには乗る。本を読む。仕事を少しする。なんだか忙しいのだった。11日はまたワークショップだ。12、13日と、オーディションのための面接があり200人近くに会う。昼から夜までびっしり面接のスケジュールが組まれていると制作の永井から来たメールで知った。ただごとではないと思うのである。15、16日と夢の島公園にある体育館でワークショップ形式のオーディション。17日は個人的に大事な日であり、18、19日がまたワークショップ。大変なことになってしまった。小説を書く時間がない。

■編集者のE君から頼まれていたコンピュータ関係の原稿があるのを忘れていた。それからダイヤモンド社のTさんから『論語を読む』に関してメールが来ていた。あと岩崎書店の絵本があるではないか。
■で、絵本ですけど、『牛が踏む』もいいけれど、ちょっと「牛」に飽きてきたので、不意に、『不思議な家』という作品にしたくなったのだった。それというのも、いま住んでいる初台の部屋に越してきてから、ここがどうも、「不思議な家」に感じるからだ。その不思議とは次のようなことである。
1)「仕事をしようとすると眠くなる」
2)「すぐお腹がすく」
3)「部屋がやけにちらかる」

 ほんとうに不思議な家である。

■疲れたからってぼんやりしている場合ではなかった。死んだ気になって仕事をしようと思う。でも死んではいけない。

(6:44 Oct.11 2002)


Oct.8 tue.  「松倉のライブを見る」

■ずっと、「映像コースのM」と表記していたのは、二年生の舞台表現の授業公演で歌も歌った松倉如子(ユキコ)という学生のことだが、面倒なのでもう本名を出すことにすれば、夕方から松倉のライブがあるので京都で時間をつぶすことにした。昨夜宿泊したのはホリデーイン京都。先日大阪で泊まった「天王寺東映ホテル」は面白がらせてくれたが、ホリデーイン京都は面白がらせてくれはしないものの、いいホテルだった。モデム用のジャックがあってiBookでメールチェックもできる。シャワールームも広い。朝食も出る。
■目が覚めたのは九時過ぎ。朝食をすませ、シャワーを浴び、チェックアウトしたのが午前11時過ぎだから松倉のライブまでまだ七時間ある。重いiBookを京都駅のコインロッカーに入れることにするがだからってタクシーを使うのはもったいない。バスを乗り継いで移動。四条河原町まで京都バスに乗る。少し歩いて四条烏丸から市バスで京都駅へ。こうやってバスを乗り継ぎ移動するなんて、すっかり京都のベテランである。
■京都には中途半端な雨が降っている。コンビニでビニール傘を買うほどではないが長い時間歩けばからだがしめってしまう程度の雨。新幹線のチケットを買う。コインロッカーにiBookと、持ち歩いてもしょうがないものを入れると軽くなったバッグをしょってまたバスに。百万遍まで行った。百万遍周辺のというか、京大周辺の古本屋を歩いて本を漁って買い進々堂で読むという計画である。いきなり挫折したのは、進々堂が休みだったからだ。
■古本屋で何冊か手に入れる。1968年に初版の出ている『性の思想』という本を買ったのは様々な表現ジャンルの人が「性の思想」というテーマで文章を寄せたものだったからだが、「演劇」を担当しているのは別役実さんだ。ひとつの反省として、人を動かす大きなエネルギーであるところの、というか、もう、人の本質そのものではないかと考えられる、「性」についてわたしはまじめに考えたことがなかった。べつに新しいことではないにしても、あらためて「性」について考えようと、たまたま目に入った『性の思想』を手にした。喫茶店に入って食事をしつつ別役さんの文章を読む。書きたいことがいろいろあるが、これについてはまたべつの日に書くことにする。きょうは松倉のライブがメインだ。

■本を読んでいたらちょうどいい時間になった。
■またバスに乗って学校へ。松倉のライブはstudi21で六時開演。studi21の前は人が集まりどんどん数が増し、まれに見る熱気。
■ライブはまだ未成熟とはいえとても楽しめた。ただ何曲か松倉の歌が声がうまく出ていないので緊張してのどが絞られてしまったかのような苦しさを感じたが、あとで聞いたら、練習で歌いすぎのどをつぶしたらしい。歌えないんじゃないかと心配していたそうだ。バックをつとめるバンドは、映像コースの二年生のY君や、A、Mなど、舞台表現の発表公演『おはようと、その他の伝言』のストリートミュージシャンがそのまま出ている印象で、あの舞台から、ストリートミュージシャンだけ独立しライブをやっているかのようだ。でも、中心は松倉。松倉のライブ。
■きのう学校で授業を終わってから、たとえば、舞台の三年生のSから「あした踊りますよ」と声をかけられ、発表公演で出演と美術をやったUから「コーラスやります」などと言われ、どんなライブになるかと思ったが最高に多かったときなど20人くらいがステージに出現していて面白かった。

■いくつもいい曲があったが、なかでも五、六人はいるだろうパーカッションだけの演奏によるジャングル風の音楽。ってこれが20人によるライブ。10人くらいはいるかと思える女だけのコーラス隊と、ブレークダンスの踊り、そこにひとり映像コースのやはり2年生I君が混じりなぜかコンテンポラリー風のダンスをする。面白い。様々なテイストの音楽、踊り、歌が、混然としつつ、それでいて一体化して不思議なコラボレーションが生まれている。魅力的な楽しさだ。松倉の歌とコーラス隊のかけあいも、ダンスもよかった、パーカッションもよかった、やけに盛り上がるが、なによりいいのはやっている者らがみんな楽しそうだったこと、コーラス隊の女だけの声の心地よさが印象的。なにしろコーラス隊に映像・舞台芸術コースの事務担当のKさんも参加していた。
■もっと聞いていたかった。時間が短かい。構成ももっと考える余地があったし、練習ももっとするべきだし、なにより松倉が完璧な状態で歌えればなおさらいい。僕は久し振りに音楽のライブを見た。もちろんプロによる洗練された音楽を聴くよさはきっとあるが、こうして未成熟でありつつ、けれど、だからこそ生まれる、破綻とか、ぶれのようなものが持つ、荒さもまた魅力になる。たとえばそれは、ロックミュージックが完成の域に達した77年、突然ロンドンのストリートにパンクが出現し技術的に音楽的に荒いけれどその圧倒的なエネルギーに世界が震撼したようなものだ。っていうのは、まあ、ほめすぎですが。
■終わって、僕はすぐに新幹線で帰らなくてはいけなかった。最終の新幹線。だけど少しだけ時間があったので打ち上げに参加。松倉はもうその時点でほとんど声が出なくなっていた。きちんとプロのヴォイストレーナーからレッスンを受けるべきか。でもなによりうれしかったのは、二年生の発表公演『おはようと、その他の伝言』で松倉に歌わせ、そのことで人前で歌うこと、もっと単純に「歌いたい」という思いが強くなったと松倉が話してくれたことだ。ヴォイストレーニングは大事だし、もっと歌の魅力を磨くべきだが、なにより大切なのは、そのこと、「人の前で歌いたい」という気持ちと、歌うことの楽しさを忘れずに歌を続けることではないか。

■そして、松倉を支える映像コースのY君たち、みんなが協力しつつも、けれど自分も楽しんでいる姿が気持ちよかった。
■松倉を見ていると、まだ未成熟だし技術的にもっと経験を積めばいいと思いつつ、けれどその先天的に持っている表現力の魅力は、僕が20数年前に大学で出会った竹中直人のことを思い出させるのだ。もちろん二人はまったく異なる種類の表現者だけれど、子どもかと思うような無邪気さ、にじみ出てくるような表現力、論理ではつかまえられない魅力。そういう人に出会うのはめったにない。っていうか、二人しかいなかったわけだよ、これまでに。

■楽しい夜だった。なんていうんでしょう、人のことながらとてもうれしかった。松倉、Y君、A、Mらと大学で出会えたのがなにより幸福である。

(4:14 Oct.10 2002)


Oct.7 mon.  「遅刻した」

■なぜか、というか、ほんとは理由があるが、授業の開始時間を午後四時半だと思っていたのである。
■先日、しりあがり寿さんが来てくれた「創造する伝統」という学部の授業は五時限目、つまり四時半からだった。きょうあるのは大学院の授業で「交流する芸術」である。似ている。完全にかんちがいしていた。で、三時限目と四時限目が授業にあてられているのだが、それに気がついたのは今朝だ。目を覚ましたのは午前10時過ぎ。授業は13時20分から。どう考えても間にあわない。
■大学院の担当の方に電話すると「とにかく来い」とのこと。あわててタクシーを拾って新宿駅に着いたのは11時を少しすぎたところだった。いちばん早く京都に着くのは東京駅11時53分発ののぞみだ。到着は2時10分。間に合わない。久しぶりの京都を味わうこともなく京都駅からタクシーに乗る。大学へ。道が混んでいる。到着は2時45分ほどだった。ちょうど四時限目がはじまるところだった。
■四時限目から講義を開始。一時間半ほど話しをする。これまで考えていたこと、あるいは新たに考えはじめていることなどをまとめた。もっと伝え方があると思えてならない。たとえばビデオを見せるとか、理解の助けになること。技術がないのである。眠っている学生が数名。しかしうまくいかないと、この次はもっとうまく話したい。ある意味で面白い授業にしたい気分になった。時間の使い方とかね。これをもし、半年、一年続けるとしたら、なにをどういった手順で進行してゆくかなど考えてゆくと計画することそのものが面白い。
■で、僕が遅刻でいない時間、学部長の太田さんが代わりに話しをしていてくれたという。恐縮した。あとで太田さんは「きのう、宮沢君に痛めつけられた」と言っていたそうだ。申し訳ないことをしてしまった。太田さんは「宮沢章夫論」を話していたらしい。どういう内容かわからない。ただ、僕が、講義の途中で、「とりあえず」と言葉にしたとたん、太田さんが院生たちに「ほら、『とりあえず』って言ったでしょう」と間髪入れずに声を大きくした。どうやら僕に対する分析において「とりあえず」は重要なキーワードのようだ。わからない。たしかに日常的にも「とりあえず」を口癖のように言っていると気がついた。ここになにかがあるらしい。自分ではわからないがなんとなく予想もできる。
■来年一月の公演のタイトルが『トーキョー・ボディ』だと講義のなかで話したのを聞いて太田さんが、タイトルから期待させるものがあり、「宮沢君の代表作になるかもしれないね」と言ってくれたのがすごくうれしかった。

(4:33 Oct.9 2002)


Oct.6 sun.  「ただ仕事を」

■そういえば、「ガルヴィ」の自転車に関する連載は終わったがTREKの御好意で今後も7500FXに乗ってもいいという話。ありがたい。太っ腹だよTREK。これで事実上、TREKは僕のものになった。仕事はするものである。もっと乗らなくてはいけない。クルマに乗せて遠出するのもいい。自転車生活復活である。今後もTREKを応援しよう。
■関係ないが、このページのデザインをなんとかしなくてはいけない。もっとこりたい。技を駆使したい。だがなあ、情熱が薄れているのである。「京都造形芸術大学・舞台芸術センター」のサイトもほったらかしだ。だめである。しかし飽きちゃったんだからしょうがない。飽きてしまうと、もうほんとに、なにもする気がしなくなるのだ。
■あと、すごく忙しいわけですね。
■なんていうか、経済的に割に合わない仕事はどうしてもあとまわしになるのだった。これがほんとうに割に合わないんだ実際問題。そもそも、なぜ俺がデザインしているのかときどきばかばかしい気分になるのだった。こうなるともうだめです。「飽き」と「ばかばかしい気分」。

■7日にある、京都造形芸術大学大学院での講義のための原稿をまとめる。これまで考えたこと。あたらに考えていること。「からだ」と「コンピュータ」をからませ、「いま、ここにあるからだ」について講義を進めようと思って準備。結論がうまくできない。「余談」ばかりの話になりそうだ。
■昼すぎ、「夢の島公園」が昼間どんなふうになっているか見に行く。金曜日に行ったときはもう夜だったので駐車場もすべて閉園していたが、日曜日の午後、人の数が多い。体育館をはじめスポーツ施設が充実しているが、そんなことより周囲にある公園がすごく気持ちのいい場所だった。ただ、ワークショップ参加者は有楽町線の新木場から来ると思うがこれはけっこうな距離だ。覚悟してもらいたい。しかし、東京の東、千葉に近いあたりは独特な荒廃を感じる。そんななか、公園には、森があり、木々はうっそうとし、足下には夏草。なごむ場所だ。とてもよかった。

■で、はじまったばかりの「トーキョー・ボディ」ですが、あしたから休み。京都に行っています。京都造形芸術大学。大学院の授業で講義をします。聴講も可能。四時半からやっています。それで京都泊。8日は映像コースのMのライブがあるのでそれを見てからその夜東京に戻るでしょう。おそらく二日は更新が滞りますが、またすぐ再開するのでご期待ください。

(3:29 Oct.7 2002)


Oct.5 sat.  「東京を見に」

■「トーキョー・ボディ」公演にいたる準備が本格化してきた。
■書類に目を通すのはもちろんだが、なにをするか少しずつアイデアをノートに記しているのはもう書いた。一方、雑誌「ユリイカ」のYさんから、「チェーホフを読む」の原稿をそろそろ読ませてくださいというメールがあった。
■それもまた、来年の舞台にとって決して無駄だとは思わない。あるいは、「STUDIOVOICE」が届き、特集は「東京100景」。東京である。様々な東京の映像。刺激される。歩かなくてはいけない。歩いてみることが大切だし自転車で走るのも大事だ。しかし、やけに眠い。つい眠ってしまうし、サッカーの結果が気になるし、高原2得点に歓喜するが、ヤクルトスワローズの池山の引退がひどくショックだった。引退試合が予定されている17日は神宮に必ずゆく。
■で、それも私の人生にとって重要な意味を持つがいまは舞台だ。
■筑摩の打越さんからも書名のタイトルが決まらず困っているとのメールがあった。困った。ほんとうに困った。思いつかないのだ。なにか思いついても、どうもぱっとしないし、いくつか提案したが打越さんが乗り気ではなさそうだし、「トキョー・ボディ」はけっこういけるかと思っていたが舞台のタイトルにしてしまった。白水社のW君からその戯曲を来年出版しようという話もあり、いよいよ筑摩の単行本には使えない。打越さんからは切り口を変えて「牛乳」をタイトルに入れるのはどうかとの提案。ああ、それもいいかもしれない。だが、あんまり考えすぎたので、なにをタイトルにしてももうひとつぱっとしないのだった。

■とりあえず、このノートは来年の舞台のためにある。いま懸案のひとつになっている小説『28』を書いてしまえば、すべてのエネルギーを舞台に注ぐことになるだろうと、小説の作業をしようとするが、思うように進まない。怠けている。どうもぼんやりする時間が多く、クルマで出かけ車庫入れに夢中になるのはいかがなものか。あと、栃木ナンバーのベンツが前を走っているのを見ると腹が立つのはなぜななのか。栃木ナンバーのベンツはだめだと思う。栃木に帰れよと言いたい。
■いや、そんなことより仕事である。

(4:07 Oct.7 2002)

Oct.4 fri.  「選考のむつかしさ」

■オーディションの書類をあらためて読んで選考する。
■なにしろ360通だ。舞台に出るのは多くて10数人。それ以前にワークショップがあって少しずつしぼる。書類だけではよくわからないので全員に会いたいがそれだけでも大変な時間になる。まずワークショップに面接免除で参加する者らを100人ぐらい選んだ。残りの260人から書類段階で何人か落とす。ほかは全員会うことにするが、それでも200人以上だ。「面接免除」の人の条件は簡単だった。身長である。男だったら180センチ前後にした。最低でも175センチ。女の子の場合、170センチあれば文句なしだが、165センチ以上あればよしとする。それでも100人。でかいやつらが100人。
■夜、制作の永井が来て打ち合わせ。最初のワークショップは人数が莫大なので、体育館を借りることにした。夢の島公園にあるという体育館である。書類を永井に戻す。選ぶのも大変だが、連絡するとなるとただごとならぬ労力だ。
■だけど書類を読むだけでも面白かった。「好みの劇団」の項に「毛皮族」が多く「毛皮族」に注目したい気分になったことはすでに書いたが、ある人の応募用紙の「好みのアート」の欄にこうあった。「絵」。まあ、絵が好きなのかもしれないが、そのそっけなさに笑った。あと宝塚歌劇団出身の人がいて面白いからワークショップに無条件で来てもらうことにした。なんでもオーディションを受ければいいってものでもないだろうに。
■しかし、選ぶ側は傲慢だよな。書類を見て勝手なことを言っている。傲慢に開き直ればいいかもしれないが、そうはできないのは僕がまだ甘いということか。あるいは、傲慢だと思うそのある意味での「やさしさ」はうそっぱちか。「選ぶ側」と「選ばれる側」がいる。「ほんとう」はどこらあたりにあるのか。

■クルマでどうやって夢の島公園まで行くのか地図で確認したあと、不意に思いたって出発したのはもう夜になっていた。道はすいていた。靖国通りを千葉方面に進む。靖国通りは途中から京葉道路に名前が変わる。以前、東京現代美術館からの帰り、三目通りを直進靖国通りを目指したが、京葉道路と名前を変わっていることに気がつかなかった。通り過ぎて迷った。浅草あたりをさまよったのだ。手伝いに来ていた伊勢を飯田橋に送ると約束したにもかかわらず、すごく遠回りして迷惑をかけたのだった。
■道路がわからなくるととたんに運転が不安になる。
■タクシーの運転手さんはすごいよ、自信を持って走っている。
■夢の島公園からの帰りは首都高。首都高は面白い。途中、レインボーブリッジを左手遠くに見る。東京タワーも見えた。痛快である。

(3:17 Oct.7 2002)

Oct.3 thurs.  「目と職業的危機」

■「トキョー・ボディ」に関するノートを作り少しずつ思いつきを書いている。で、突然、目が不調。本を読んでも集中しない。いわゆる「老眼」である。細かい文庫の文字が読めない。無理して読んでいるとめまいがする。あと、ひどい目の疲れ。原因はコンピュータもあるしそれは大きいが、ワークショップ応募者の360人の書類を読んでいたことにあるのではないか。疲れる。へとへとだ。
■渋谷のパルコにある白山眼鏡にいって眼鏡を作る。
■これで少しは楽になるだろうか。少し乱視気味だという。ふだんかける乱視の眼鏡も作るように勧められる。だけど、40年以上眼鏡と無縁だった生活に眼鏡があるのはどうも納得いかない。断る。
■渋谷を歩く。デジカメで様々な人を撮影。いろいろな人がいる。道路工事の人たちもまた「トーキョーボディ」だ。それが僕には面白かった。若いやつらばかりじゃないね「トーキョーボディ」。
■そういうわけで、このところ「読書量」が極度の低下。目がだめになるのは職業的危機である。憂鬱になる。

(3:44 Oct.7 2002)


Oct.2 wed.  「毛皮族」

■午後から演劇ぶっくの取材。場所は新宿中央公園だ。
■歩いても行けるが時間がなかったのと、自転車がパンクしているのでクルマを使う。中央公園の前に路駐。右手にパークハイアットホテルの建物。路駐しようとしたスペースにバイクがある。じゃまだなあと思っているところへ制作の永井が来てそのバイクを移動させる。永井のバイクだった。で、縦列駐車。けっこうスペースがあったので楽にできた。
■演劇ぶっくが100号になるのを記念した企画で、シアターテレビジョンで放映される簡単なコメントを撮影するという。コメントのほかに一眼レフカメラを手にして町を撮っている僕を撮影するが変な芝居をさせられた。こうしてくれという演出だが、「こうしてくれ」という演出は、どうやったらうまくゆくかを考えなくてはだめだ。そんな演出があるものか。「演技する」という行為は、無理をしてある位置までからだを動かす行為のことではない。そこへどうやってからだを移動させることが可能になるか。といった、演出法を教えたかった。

■その後、永井がオーディション応募者の書類を持って家まで来た。360人分ある。ただごとではない数だ。目を通しているだけでめまいがする。ざっと読む。
■で、印象に残ったのは応募用紙にある「好む劇団」の項の解答だ。「大人計画」や「野田MAP」が多いのはいいとしよう。なぜか、「毛皮族」が目立つ。もちろん「大人計画」や「野田MAP」に比べたら数は圧倒的に少ないが、名前のインパクトでどうにも気になる。なにしろ、「毛皮族」だ。永井に聞くと女の子が中心の劇団だそうだ。いったいなんだその「毛皮族」ってのは。ある時期を境に、劇団名は無法地帯になってきた。

(18:35 Oct.6 2002)


Oct.1 tue.  「トーキョー・ボディへ」

■2003年1月の舞台に向けてきょうからこのノートを「トーキョー・ボディ」と名付けて書き続けよう。「トーキョー・ボディ」は来年予定されている公演の作品タイトルだ。デザインは暫定的。もっと改良の余地があきらかにあるが以前も書いたようにWebデザインに対する情熱がすっかり冷めているのだった。ほんとはもっとこったものにするつもりだった。考えているうちに時間が過ぎてしまったのでとりあえずこの単純なデザインだ。
■舞台への日々。仕事の日々。車庫入れの日々をつづるノート。
■気がついたら10月である。心を入れかえて仕事に専念しよう。なにしろ半期だけの担当をしている大学は九月までが任期になっているから今月からはただの自由業者だ。連載はもちろんだが、来年の舞台と小説に取り組まなくてはいけない。で、資本論を読んでいたのだった。Jノベルの連載「資本論を読む」の準備だ。さすがに「資本論を読む」だけに、『資本論』を読まなくてはいけない。ようやく第一巻の半分まで読むことができた。不思議なものでだんだんこの世界にからだがなじんでくるのがわかり、難解だと思っていた叙述がわかってきた。
■連載の担当をしてくださるTさんからメールで矢のような催促。電話してもう少し待ってくださいと連絡したが、電話はたいへん便利である。メールだとタイムラグができるが電話はすぐに話がつく。ってあたりまえだが、メールのよさ、電話のよさがあり、最近、僕はすっかり電話がおっくうでしょうがない。話すのが面倒だが仕事には有効だ。ってあたりまえの話だった。深夜、『資本論を読む』の原稿を書きあげる。

(23:35 Oct.5 2002)




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