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Published: Feb. 21, 2003
Updated: Jul. 25 2004
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 *遊園地再生事業団『トーキョー/不在/ハムレット』公演(二〇〇五年一月)と、
  それに先立つ「プレ公演」のお知らせはこちら。 → CLICK


Jul.17 sat.  「映画初日・驚くべき大盛況」

■きょうもまた驚いた。映画『be found dead』の初日だったが、通路まで人を入れ座布団に座って観てもらうというほどの大盛況だった。予想をはるかに超える人が劇場に足を運んでいただきとても嬉しかった。ほんとにありがとうございます。いつもの舞台を見に来る人たちとも観客層が微妙に異なる気がしていたので、ふだんあまり演劇を見ない種類の映画観客層だったのではないか。シネマ・ロサ、レイトショー観客動員数の記録に迫る勢いだったと、あとで話をうかがう。初日はアフタートークに青山真治さんも来ていただいたし、土曜の夜だったこともあってこの観客数だったが、今後がどうなるかはまったく読めない。映画の動員数は、舞台とちがって先が読めず不安だが、ひとまずきょうのところは、観客動員という意味では大成功だった。
■さらに終映後に書いていただいたアンケートを永井が読んだとことろ、永井も驚くほどの回収率と好評な内容だったと聞き、一安心。きょう見た人も、あと三回は見よう。見た人はみんなに話してどんどん劇場に来るよう伝えよう。
■で、打ち上げのさい、青山さんといろいろ話をしたが、どういう話の流れでそうなったかわからないがこんど一緒にサウナに行くことになった。それはまたべつの意味で楽しみだ。映画はまだ拙いところはあるものの、そうすると、なおさら欲が出てきて、次はもっといいものを作りたいなどと、また映画撮る気になってしまうから、なんていうか本末転倒だ。そうそう、わたしは演劇の人間だった。『トーキョー/不在/ハムレット』に向けてまた新しいことをはじめなければいけない。だけど、上映は23日(金)まで。「大ヒット上映中」と、映画の宣伝だったらそう書くところである。とにかく劇場に足を運んでいただいた方に感謝。熱気のあふれる劇場に、わたしはとても幸福な気分になった。

( 12:05 jul.18 2004)


Jul.17 sat.  「最新のニュース」(17日第一報)

■驚いた。昨日の深夜、白水社のW君からメールをもらって知ったニュースだ。「青山ブックセンター」が倒産したという。この数日、いろいろな出来事があり、書きたいこと、書いておくべきことは数多くあったが、W君からもたらされたニュースでなんだかがっくりきた。僕の本をいつでもいい場所に置いてくれたり、新刊が出るとサイン会やセミナーみたいなものを開いてくれるのも青山ブックセンターだった。なにより、客として店を訪れるとその品揃えにいつも幸福な気分にひたれる書店のひとつだった。六本木に青山ブックセンターの第一号店ができたのは八〇年代だったのではなかったか。WAVEがなくなったとき、八〇年代が消えたと思ったが、またべつの八〇年代が消え、そして六本木はいまやヒルズの土地だ。そのショックを乗り越えつつ、本日(17日)は映画『be found dead』の初日である。夜九時より開映。上映後は、映画監督の青山真治さんとのトークもある。17日(土)〜23日(金)まで、毎日、夜9時開映。しつこいようだが、池袋シネマ・ロサにて。大勢の人に観てもらいたい。それにしても、青山ブックセンターがなくなっちまうとはよお。

(6:29 jul.17 2004)


Jul.14 wed.  「京都ではいっさいテレビを見ていないことについて」

■関係ないが、テレビはなぜ一人で見ると面白くないのだろう。京都のホテルに滞在しているとまったくテレビをつけない。テレビはそれを視聴しながら人とわーわー言いながら見ることができるところがなにより価値のある部分ではないか。劇場ではそういうことができない。美術館でもそうだ。図書館では迷惑だ。テレビを見ながら食事をすると対話がなくなると議論されていたことがかつてよくあったが、あれはうそだ。むしろテレビが対話をより生み出しているのではないか。おそらく対話がなくなることを根拠にテレビを否定する者はまず前提としてテレビを一段低いところに存在すると見なしているのだろう。では、「美術鑑賞しながらの食事」はどうか。対話はなくなるはずである。美術に向かってわーわー話すことはおそらくないと考えられるからだ。という話は以前、毎日新聞に書いたのだが、京都のホテルでテレビのスイッチを入れるのも面倒になっているいまの状況のなかで思い出した。まあ、私と一緒にテレビをみると百倍は面白くなるはずである。
■疲れの蓄積がここに来て一気に出たのか、私としては珍しく時間通りに起きられないことが多い。めったにないことだ。というより、いつもは眠ることができなくて、ベッドに入っても目がさえていたり、眠ったとしてもやけに早く起きてしまうことが多いのだが、今週は二度、寝過ごしたのだった。きょうも学生に迷惑をかけた。照明の実験を午前中にすることになっていたが、眼が覚めたら午後一時過ぎだった。それからあわてて学校に行き夜10時近くまで稽古していた。午後は眼が覚めず稽古していてもどうにも集中できない。夕方になってようやく活動が通常通りできるようになったがこれも疲れの反映だろうか。まあ、そんなことはどうでもいい。映画『
be found dead』が一段落ついて、あとは稽古に集中しなくてはいけないが、このていたらくがいけないというだけの話。ただ、僕が忙しかったこともあって今年の発表公演は全体的に稽古不足だ。最後の年だからという気負いはあまりなかったものの、それにしたって、京都にいる時間が少なかった。もちろん受講している学生の数も多かったとはいえ、あまりコミュニケーションも取れていない。ゆっくり話もできていない。わたしが忙しくて、この舞台に完全に集中していないことを学生も敏感に感じ取っている。今年の春先から『トーキョー/不在/ハムレット』のプロジェクトがはじまったときからこうなるのはわかっていたが、なにより映像作品制作を甘く見ていた。こんなことになるとは思ってもいなかった。六月、七月がこれほど忙しいとは想像もしていなかった。
■考えてみたら、三月から一日も休んでいないのではないか。途中、腰痛で大学を休んだとき、動けないながらも休養が取れたが、腰が痛い休養はあまり意味がなかったばかりか、腰が痛いまま、撮影にも行っていたのだ。稽古からホテルに戻るとメールチェックなどしてからすぐに眠ったものの、深夜にまた眼が覚めてしまった。長い時間の睡眠がとれない。しかたがないので、ってしかたがないことはなく締め切りだったのだが、「一冊の本」の連載原稿を書く。15日は京都造形芸術大学の映像ライブラリーで、「マルクス兄弟」の特集があって(下の方のカレンダーにスケジュールがあります)、そこでトークすることになっている。稽古が忙しくてかつて見たことのある作品でも、あまり記憶に定かではない、『けだもの組合』『オペラは踊る』を再見したかったが時間がなかった。残念。ただ、やっぱり最高傑作『我が輩はカモである』についてはかなり語れる。あのアナーキーさはただごとではないからな。そこを入り口に喜劇映画について語ろうというもくろみ。15日18時15分から僕のトークがある(聞き手はやはり教員の八角さん)。機会があったらぜひ見よう。というか、マルクスの映画をみるのが一番だが解説がないとわからないことはいくつかあるとは思うが。

(6:26 jul.15 2004)


Jul.13 tue.  「まだ模糊としているその先のために」

■いよいよ、映画『be found dead』(『トーキョー/不在/ハムレット』プレ公演第二弾)の公開も数日後になった。繰り返すようで申し訳ないが、池袋西口シネマ・ロサにて、17日(土)〜23日(金)まで、毎日夜九時からのレイトショーである(詳しくはこちら)。夕方、大学で「通し稽古」をしているところへ永井から電話。直してくれるように伝えてあったことの確認だった。まだ気になることがあって電話でその旨、伝えたのだった。その後メールがあり、各監督の作品も一本化され劇場に納品されるとの東京からの伝言。というわけで私はまた、京都で稽古である。京都はどうかと思うような蒸し暑さ。東京もきっとそうなんだろう。
■映画と大学の発表公演の稽古に死にものぐるいになっているうちに、参議員選挙が終わっているのを知った。投票に行けなかった。社民党はじめ左翼陣営は著しく退潮。民主党というよくわからない基本的には保守政党に票が集まる。そんなときに小泉は「憲法改正」について公式に発言。ソフトで好感度の高い構造改革を打ち出す政権はやわらかい語り口でこの国についての決定的な方向をたいした議論もされないうちに進行しようとしている。議論ではなくムード。それに抗うのもまた気分ではなく、論理を整合的に組み立てた上で語り出さなくてはと思う。だから学ぶべきことはまだ無数にある。出すばかりのこの四ヶ月。そのぶんを八月から取り戻さなくては。
■午後から夜まで稽古。きょうは「通し」をやる。まだまだでした。かなりまだまだ。全体の芝居が子供っぽいのが気になる。ホテルに戻ると「チェーホフを読む」のゲラが届いていた。直そうと思ったがひどく眠くて(というのも、きょうの朝、原稿を書いて寝不足のまま早い時間の新幹線で京都に来たからだ)、またベッドカバーのかかったままのベッドに着替えもせず倒れるようにして眠っていた。浅い眠り。眠ったんだか、そうだかよくわからない。しかもエアコンの効いた部屋は少し冷える。風邪気味になった。深夜に眼が覚めてゲラを直してFAXで返送する。

■小説『秋人の不在』の感想を何通かメールでもらう。ありがとうございました。まだまだ先は長いよ。小説ももっと書こう。次は五〇〇枚の『28』だ。そして『トーキョー/不在/ハムレット』本公演(二〇〇五年一月)までに、プレ公演がまだ二回ある。それはそれで楽しみだ。それもいいものにしよう。ひとつひとつ積み重ねてゆく。その先にあるものがどんな姿をしているかまだその姿さえ模糊としている。

(6:44 jul.14 2004)


Jul.12 mon.  「僕はもう治っている」

■朝の八時半から池袋シネマ・ロサで三回目の試写会。17日の初日まで僕が東京にいられる最後のチャンスだったので、見ておいてよかった。いくつかメモをし直しをさらにすることにした。それで岸の時間が空いているのがきょうの夜10時からなのでやはり今週も京都には向かえない。学生に電話して、夜の稽古に行けない旨を伝える。というか、「ユリイカ」の連載「チェーホフを読む」がまだ書けていないので行けないのは最初からほぼわかっていたのだが。まあ、考えてみれば担当する授業時間をはるかに越えて稽古をしているのだから少しぐらい行けなくてもしょうがないだろう。こっちにも仕事があるのだ。とはいうものの、時間じゃないからな、こういったことは。いい舞台が作りたいのだった。そういえば、永井が京都に舞台を見に来てくれるという。とてもうれしい。いい舞台にしよう。今回の映画のことでもいろいろ苦労をかけたし、ほんとに献身的に働いてくれたのでなにか美味しいものを京都でごちそうしようと思う。
■試写会が終わったあと、来ていた、鈴木、浅野に、いくつかアドヴァイス。音楽の入れ方など。浅野に、「あそこ切っちゃっていいんじゃないか、あれ、下手だもん、芝居が。それより、笠木が茫然と歩いているところをもっと長くしたほうがいいだろう」と一面ではひどいことを、またべつの一面では正しいと思われることをアドヴァイス。映画は編集に入ってからばっさりカットってことができるのが芝居と異なるところだ。同じ稽古場でずっと一緒にいると、ここはいらないだろうと思うような場面があっても常に俳優がそばにいるので、なかなか切りにくいのだ。これだけ稽古したのに切るのは忍びないと俳優の顔を間近で見ると切れなくなる。映像の編集という作業はそこで距離感ができてばっさりゆける。何度もテイクを重ね、あんだけ犬と一緒に走った小田豊さんの場面だが、苦労したところはほとんど使っていない。申し訳ない。
■昨夜、あまり眠っていなかったので午後睡眠。夕方に起きて原稿の続きを書く。夜10時ごろになって岸が来たのでまた編集作業。ほんの少しだが、気になるところを直してもらう。これでもう最後だ。ほんとうに最後だ。テープに落として作業完了。カメラを返しに来た鈴木、もろもろの仕事をしてくれる永井がいて、みんなで『川』を見る。一カ所、すごいミスがあるのだが鈴木はきょうの試写会ではじめて気がついたという。僕も人から指摘されるまでぜんぜん気がつかなかった。人間の認識する力ってのは案外、いいかげんなものだ。みんなが帰ったあとまた原稿の続き。深夜に書き終える。疲れた。で、またあした午後までに京都に行かなくてはいけないのだな。憂鬱になる。しかし、映画も、原稿も区切りがついたので今度は『ガレージをめぐる五つの情景』の稽古だ。もう少しだ。そうすればいろいろまたやりたいことができる。冬にはまべつのまったく異なるプロジェクトも待っているし(そのうち紹介)、『28』という小説も書くし、本ももっと読み、映画も見、そして『トーキョー/不在/ハムレット』の本格的な稽古だ。『資本論を読む』の単行本化もしよう。絵本も作ろう。坂口安吾がアル中とヤク中で入院しているときに書いた「僕はもう治っている」というエッセイのような勢いだ。いや、べつにそういった種類の病気ではありません、僕は。

(3:30 jul.12 2004)


Jul.11 sun.  「映画、ほぼ完成」

■映画『be found dead』は五話の短編による連作集だが、僕が担当する、『イマニテ』と、『川』は、ようやく完成した。ほかの作品とのかねあいで音のレベル調整が残されているが、僕が時間的に許されるのはここまで。あとは編集にずっとつきあっていて、『トーキョー/不在/ハムレット』の出演者でもある岸や、鈴木、浅野らに任せることにした。やることはやった。ここが精一杯。ぜひとも見に来ていただきたい。

   映画『be found dead
   会場:池袋西口シネマ・ロサ
   会期:七月十七日(土)〜二十三日(金)、毎日夜九時開映。
   入場料:1000円
   監督は宮沢章夫のほか、鈴木謙一、浅野晋康、冨永昌敬。
   詳しくはこちらのページへ。
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■金曜日(9日)のこと。「チェーホフを読む」の原稿と大学での稽古で日々は過ぎてゆくものの、やはり映画の音楽のことがどこかでひっかりつつも稽古は稽古、原稿は原稿で集中しようとするが、原稿は書けず煩悶する。途中まで進みながらその先が続かない。夕方から『ガレージをめぐる五つの情景』の稽古。少しずつ進行。だいぶよくなってきた。早めに稽古は切り上げたが、短い時間のなかで濃い稽古ができたのではないか。ホテルにもどってまた少し原稿。翌日(10日)の稽古開始が朝10時なので少し早めに就寝。で、翌朝、眼が覚めたら10時ぴったりだ。京都は朝方、豪雨だったらしい。僕が気がついたときにはもうやんでいた。11時には大学内にある稽古場に着く。長い一日。きのうは「
studio21」にこもって短い時間ながらひとつの場面を集中してできたのが効果的だった気がし、やっぱり長くやればいいってもんではないな。少しずつ完成に向かっているとはいうものの、まだまだ。映画『be found dead』のことが気になってもう一つぼくの集中力がない。だめである。もっと細かく演出したいが時間もない。学生に申し訳ないが自分の仕事にも全力を出したいのだ。あと、よく稽古している学生とそうでない人間の差がいよいよ開きそれが心配だ。でもなんとかなる。最終的にはなんとかなるものだ。稽古からホテルに帰ったのは10時過ぎ。また原稿を書く。ぼーっとして、こちらも集中できない。先のことが思いつかない。最後はワーニャとおなじ今年四十七歳の防衛庁長官のことでしめようと思う。
■映画監督の青山真治さんにメールを書く。17日にアフタートークを一緒にさせてもらうのでその相談。さらに、少し込み入った話も書いたが、それは小説というか、このプロジェクト全体に関わる問題で動揺したことなど、機会があったらいつかここにも書くが、青山さんからすぐに返事が来て、適切なアドヴァイスと勇気をもらう。

■土曜日(10日)の夜、東京に戻る。少し落ち着いて久しぶりによく眠ってしまった。原稿を書こうと思うがやはりうまく進まない。で、きょう(11日)いよいよ桜井君の音楽到着。多少の編集の変更をしたあと、音楽を入れ込む作業に入る。けっして悪いわけではないが、やはり、時間が少なかった印象。まだまだ音質、アレンジなどもっと練ることができたのではないか。というより音楽家としての桜井君の評価が下がってしまうのではないかと心配になる。時間がなかった。もっと余裕があればよかっただろうか。余裕があればもっと作り込めたはずだ。鈴木、浅野の作品用に渡していた音楽は聴いていないのでなんともいえないが、鈴木の音楽は、『イージーライダー』で流れていたステッペンウルフみたいのがよかったんじゃないかとあとで思いつく。
■ともあれ、『イマニテ』『川』についてはひとまずの完成。編集を手伝ってくれた岸には感謝。エンドロールなどグラフィック部門を担当してくれたデザイナーでなぜか今回僕の舞台の演出助手をしている相馬にもたいへん助けられた。なによりなにからなにまで調整してくれた制作の永井に感謝したが、永井がいなかったらまったくだめでした。永井はえらい。そして各監督もいい作品を用意してくれた。この一ヶ月近く、撮影、編集で、みんな死にものぐるいであった。冨永君のことはよくわからない。なんせ最初の試写のときなんにもできていなかったし。全員の意思統一で画像サイズはスタンダードでと決めたにも拘わらず勝手にワイドにしてきたし、17日の青山さんとのトークでは冨永君のでたらめぶりを話そうと思う。だって、面白いからだ。ほんとに面白いなあの人は。出演者の俳優はじめ、場所を提供してくれた方など多くの協力者に助けられた。新しい経験はとても楽しかった。また作りたくなった。あとあれですね、思い切って買ってしまった一番新しい「
Power Mac G5 Dual 2GHz」には助けられた。レンダリングが早い。このマシンがなかったら三倍くらい編集に時間がかかったのではないか。
■で、『
be found dead』は京都で上映されることがほぼ決まっているが、水戸の「短編映画祭」でも上映が決定した。できるだけたくさんの人に観てもらおう。呼ばれたらどこにでもゆく。ほぼすべての作業が終わったのは夜11時を過ぎていた。原稿を書こうと思うが映画のことばかり考えてしまって手につかず、さらにあしたの朝八時半から第三回目の試写があるにも拘わらずどうにも眠れない。なんだか興奮してしまったのだろうか。

(7:04 jul.12 2004)


Jul.8 thurs.  「稽古の日々」

■やけに早起きしたので、原稿を少し書く。あまり進まない。午後から稽古。夜10時近くまで「studio21」にこもっていた。夕ご飯は食べなかった。面倒だったからだ。同じ箇所を繰り返し流す。ほんとは部分的に抜きで稽古したいとは思うが時間がない。ホテルに戻ってすぐ眠る。深夜に眼が覚めたので原稿のつづきを書く。「チェーホフを読む」。書いても書いても終わらない。というか、前に進まない。なにか引用して『ワーニャ叔父さん』と、「四十七歳の憂鬱」について論を進めたいが、京都には『ワーニャ叔父さん』の戯曲以外、なにも資料を持ってきていないので、そのテキストだけを頼りにただ読むしかないのだ。また再読。まったく見事としかいいようのないような劇作。9日(金)、10日(土)も稽古で京都だ。特に土曜日は朝から夜まで稽古の日程が組まれている。東京に戻れば映画の編集。できるだけ京都で書いておかなければいけない。なんの余裕もない京都の生活。ホテルと「studio21」の往復の毎日。ただ東京から通うのに疲れる。限界である。体力的にもたない。このままでは死ぬだろう。

(8:04 jul.9 2004)


Jul.7 wed.  「難読稀姓辞典」

■火曜日(6日)のこと。朝メールチェックすると桜井君から、映画『be found dead』のうち、第五話「川」で使う予定の音楽のサンプルが届いていた。それを聴き検討。桜井君にメールを書いているうちに午前六時発の「のぞみ」には間に合わなくなって次の六時五〇分発の「のぞみ」で京都へ。一年生の授業を手伝ってくれている卒業生のYに電話し少し遅れること、そのあいだにストレッチをやっているよう伝える。で、ようやく京都着。そのまま大学へ。一日授業だった。午後の発表公演のための授業(=稽古)のあとは引き続き少し稽古。終わってから発表公演で使う音楽を学生とともに選んでいたが、もう限界に来ていたのでうつろになっていた。ホテルに戻ったらすぐに眠った。京都はものすごい湿度だ。全国的に火曜日は暑かったのだろうか。京都にいると京都のことしかわからない。あたりまえだが。
■で、きょう(7日)もまた朝から授業。午後ホテルに戻って原稿を書こうとするがあまり進まない。夕方から稽古なので少し眠っておこうと横になったら、眼が覚めたのはもう午後七時だった。あわてて学校へ。稽古。しかし今年の二年生はとても自主的で思いのほか作業が進んでおり、たたき(大道具、装置を作ること)にも積極的にみな参加しかなりできあがっているという。僕が忙しくて細かく演出できないのを学生がフォローしてくれる。助けられる。少しずつ芝居は輪郭ができてきた。毎年そうなのだが、急激に成長する学生を見るのがとても楽しい。
■そんなとき「ユリイカ」からの原稿の催促が担当のYさんからメールで届く。今週の金曜日までにという内容。それは100パーセント無理。で、Yさんのメールで、小説『秋人の不在』が掲載された「文學界」が発売されたことを知る。ようやくここまでこぎつけた。映画と大学の発表公演が終わったら「新潮」に渡した『28』だ。この勢いに乗って夏のうちに完成させよう。といっても、まずは、「ユリイカ」の原稿だ。「チェーホフを読む」だ。チェーホフ没後百年の今年中にはチェーホフの四大劇を読み終えよう。

■あの名著『難読稀姓辞典』(加除出版)が復刻されたことを、「人文レジ裏」という
blogで知ったのだった。かなり以前エッセイに書いたことのある本だ。僕はたまたま古書店で発見したが、前の持ち主が「難読稀姓マニア」だったらしく、あいだに「難読稀姓」に関する新聞の切り抜きが挟んであったのも面白かった。あとネグリの『帝国』の、いわば解説書のようなものをネグリ自身がまとめた『〈帝国〉をめぐる五つの講義』(青土社)が出たのもそのblogで教えられた。本屋に行く暇もないというか、なにか目的があって書店に足を運ぶことがこのところ多く、そうした書店めぐりほどつまらないものはない。なんとなく本屋に行くのである。なんとなく目に止まった本が大事である。結局、そうした時間が確保できないことほど貧しい生活はないのではないか。

(9:50 jul.8 2004)


Jul.5 mon.  「このノートのことなど」

■そういうわけで、原稿を書こうと努力したが眠くていっこうにはかどらないのでいったん眠ることにし、京都に電話してきょうは行けないことを学生に伝える。自主稽古してくれることになった。申し訳ない。眼が覚めてから「資本論を読む」の原稿を書く。夜には書き上がったが、あした(6日)の朝の新幹線で京都に行くことにし、少しきついが朝六時の新幹線で京都に向かえば一限目に間に合う予定である。深夜、眠ろうとした直前に桜井君から電話があり、待望の音楽のサンプルができあがったとのこと。十五分後に送るとのことだったが、いっこうに連絡がないので、眠ることにした。朝が早いし、火曜日は一日中授業でよく眠っておかなければいけない。
■以前、映像作品を送ってくれ、さらにいろいろなことでアドヴァイスしてくれるH君から映像編集ソフト「
Final Cut Pro」の、あるテクニックについてまたアドヴァイスをメールでもらう。ありがたい。こうしてノートをつけているといろいろな人が話を聞かせてくれる。「ウェブ上の日記否定論者」に対して私は首肯しかねるが、ウェブ上にあるのは「日記という形式をしたまたべつの表現」だということを「否定論者」たちは理解できないのである。すべての「blog」や「日記」を「その形式」において私は肯定する。擁護する。以前も書いたことだが、「日記否定論者」の「素人の日記なんて」という言葉は、そう言っているおまえが「素人」だろうがよという、ちゃんちゃらおかしい話になっている。
■とにかく、私のこのノートに関して言えば、こうして外に開いていることによってどれだけ多くのことを逆に得ることができたか計りしれない。こちらも様々な情報や知識や技術を公開する。その見返りのように様々なことをこちらも受け取る。それがオープンソースの精神だ。あと、なんていうんでしょう、正直なところこのページがどれだけ「宣伝媒体」として機能しているかだ。へたな告知よりいまではずっと広汎に遊園地再生事業団と私の活動を伝えることになっている。だから、池袋西口シネマロサで『
be found dead』を観よう、って、文脈がつながっていないがそんなことは知ったことか。シネマロサは席がすごくいい。とてもいい環境で映画を観ることができる。そして、鈴木、浅野、冨永の三人もいい映画を作ってくれた。協力も惜しみなくしてくれた。ほんとにうれしい。

■休む間もなく京都へ。今月を乗り切れば少しは余裕ができる。最後までつめをきっちりやろう。とくに『
be found dead』はこんどの日曜日にまた東京に一日もどって仕上げだ。ご期待いただきたい。

(12:33 jul.6 2004)


Jul.4 sun.  「レンダリング」

■さっき映画の編集が一段落ついて、作業につきあってくれた、永井、岸、相馬の三人が帰ったところだ。本日(4日)、朝10時から作業をはじめ、終わったらもう五日の午前六時を過ぎていた。けれどまだ完成にいたらずだ。メールチェックをすると実業之日本社のTさんから原稿の締め切りの報せ。五日の午前中いっぱいだという。だからこうしてノートを更新している場合ではないのだが、とりあえず素振りのつもりで書き、からだを温めなければ文章は書けないものなのだった。しかも夕方から稽古ではなかっただろうか。稽古場が少し遠い。京都である。遠いなあ。そして、眠い。ところで、「京都造形芸術大学・舞台芸術センター」が発行している『舞台芸術』を読もう。最新の「 06号」では、わたしのインタビューも読める。そしてまもなく、『秋人の不在』が掲載された「文學界」も発売される。まあ、それも大事だが、いまはなにより原稿である。次は「ユリイカ」だ。『be found dead』も最後まであきらめずいいものにしたい。あと、あれだよ、映画『be found dead』はコンピュータ上で編集するわけだが、ご存じのように、映像編集ソフト「Final Cut Pro」で作業しているとしばしば現れるのが「レンダリング」である。それに時間がかかる。ただ待つしかないが、待っているあいだ時間をつぶすためになにかしゃべるものの、疲れてもいて、ろくな会話にはならない。いまも世界のどこかでレンダリングをしている。その無意味な会話を収集した本を誰か出さないだろうか。書名はもちろん、『レンダリング』である。なんとなく、いまふうの小説のタイトルみたいでいいのではないか。とにかく眠い。

(7:17 jul.5 2004)


Jul.3 sat.  「少しだけ余裕のあった日」

■もちろん、『be found dead』の一作、『川』のためもあったが、来年一月の本公演の舞台で映像を流すためにも、川に浮かぶ女(=松田杜李子)の撮影を天気のいい日にしようと、2日(金曜日)にまた利根川に行ったのだった。


 なによりこの日の失敗は栗橋に着いてからカメラを家に忘れているのに気がついたことであろう。前日、編集を遅くまでやっていて眠ったのが二時間程度だったからか、家を出るときぼーっとしていた。制作の永井と、運転で手伝いに来てくれた鈴木将一郎が取りに行ってくれることになった。それで二時間ほど、川の製作。日は容赦なく照る。日に焼ける。映画を作っている人はみんな偉いよ。こんな程度のばかなトラブルじゃなく、もっと惨憺たる現場で仕事しているのだろうと想像する。
■それで日が落ちるまでほかにも北川辺町の風景などを撮影する。もうこれで利根川沿いの、栗橋、北川辺に来ることもないだろうと話していたが、戯曲のなかに、北川辺町を歩く「詩人」の映像というト書きがあって、それはニブロールの矢内原充志君の衣装が完成してからの撮影になる。また12月あたりに来るのではないだろうか。だったらもう秋も撮影に来て一年を通じた北川辺を網羅しようかとすら考えるが、そんなにこの町になじんでどうするつもりだと思うものの、いっそのこと移動も面倒だから部屋を借りて住み、すべてまとめて『北川辺に生きる』という映画にするのはどうだ。
■今回の撮影に協力してくれたのは、映像チームの鈴木、浅野、そして俳優の上村と鈴木将一郎、制作の永井、そして水に浮かんだのは田中夢だ。『亀虫』の冨永君と一緒に映画を作っているカメラマンの月永君に借りたタイヤ付きの大きな台車をやはり月永君の軽のバンに乗せて僕が運転し、北川辺町一帯を走る。走っている途中、あれいいんじゃないかと気になったものを次々と撮る。軽のバンの運転に最初はとまどったが、どんなところにも入っていける機動性がいい。気になったものを見つけたらすぐそこに停められる気軽さがいい。台車といい、とても助かった。
■その夜、池袋シネマロサで二度目の試写会。『川』のことも気になっていたが、僕の作ったもう一本の『イマニテ』も気になり、家に戻って撮影したテイクをほとんど見たが、やっぱり、いま使っているのが中ではいちばん完成度が高いものの、ここはこうすべきだったなど、後悔してもしょうがないことが多い。鈴木の作品は前回見たときより映像の色具合がよくなっている印象で、よーく見ると、カット割り、カメラワークなど、うまいなあやっぱり。浅野は最初に見たときの尺がかなり長く、劇場の要請もあって短くすることになったが、それがあまりいい方向にいっていない。むつかしい。冨永君は今回はきちんと編集してあり、しかもかなりでたらめだ。ひどくくだらない台詞で大笑いした。『川』もやはり短かくしたが、まだまだ編集の余地がある。早く音楽が入ったものを見たい。

■で、本日。ある打ち合わせ。秋になると明らかになるのではないでしょうか。しかしほんとに出すばかりでなにも入れてない。だめになるよこんなことでは。そういえば「文學界」のOさんはぎりぎりまでゲラの問題点を電話で確認してくれるなど、最後までねばってくれた。あと『A』『A2』の森達也監督とトークをすることになりそうだ。あるいは、京都から、『
be found dead』を上映したいという依頼もいただいた。そしてさらにいくつかべつのお話もいただきたいへんうれしいが、いまはただ、『川』に集中だ。『イマニテ』のテイクも見直した。悩み出すときりがない。とにかくはじめて映像作品を演出したものなので拙いところは多々あるものの、ぜひとも見ていただきたい。17日から池袋西口シネマロサでレイトショーです。

(4:30 jul.4 2004)


二〇〇四年六月のノートはこちら → 二〇〇四年五月後半