リーディング公演 12月9日、10日(下北沢スズナリ) 本公演 2003年1月22日〜2月2日 世田谷パブリックシアター・トラム 問い合わせ 03-5454-0545 ariko@kt.rim.or.jo

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牛乳の作法・本画像

『牛乳の作法』筑摩書房刊



 Published: October 1, 2002
 Updated: Jan. 3, 2003
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  *遊園地再生事業団二年ぶりの新作『トーキョー・ボディ』公演までにいたる宮沢章夫の日々の記録
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Dec.31 tue.  「ほぼなにもしないで年が暮れてゆく」

■しばらく前に買ったDVDデッキ、さらにいま使っているVHSデッキたちをつなぐためのAV機器用スイッチャーの配線をようやく終えた。やろうと思えばすぐできるはずたが稽古に忙しかったのと、配線のために必要なケーブル類を買いに行くのが面倒で、この「面倒」は、つまりなにが必要か、まちがえないように考えなくてはいけないことの面倒なのだった。
■以前もどこかに書いたことがあるが、かつて吉本隆明が「どんなに社会のシステムが変わろうと、やっぱり背中は掻きづらい」と講演会で話していた。それと同じように様々な種類の「面倒」があり、なかでも「配線」における困難はしばしば人を窮地に立たせる。配線することだけとれば、僕はわりと好きなほうだが、っていうか、自作コンピュータなど配線したりすることにこそよろこびがあるわけで、配線するのはうれしいものの、このところそこに至るプロセスとして、なにが必要か、間違えないでケーブルを買ってこられるかという段階でつまづく。
■面倒だ。考えるのが面倒だ。それでとうとう今年も終わる。

■これではいけないと買い物に出た。新宿西口のビックカメラで買い物。暮れの新宿は買い物客でいっぱい。僕もその一人。最近、新宿駅周辺を歩くことがあまりなかったせいか、地下通路の道順がわからなくなる。たとえば京王線沿線に住んでいたころなど、京王線新宿駅から地下通路を通って西口のどの出口から外に出るか、地下鉄までどう歩けばいいかかなり詳しかったがいまはよくわからない。
■途中、むかしよく利用した立ち食いのそば屋で、肉天そばを食べる。なにか反射的とでもいうようにその店をみつけ食べてしまった。ふつうの立ち食いそばとはくらべものにならないほどおいしい。で、考えてみればこれが年越しそばだ。もっといい店で年越しそばを食べればよかった。立ったまま、年を越すのか。
■豪徳寺に住んでいたころは、近くに世田谷八幡宮と豪徳寺があり、どちらかに行くのが初詣だった。いまはわりと近くに明治神宮があるが、人がすごいだろうと思うと行く気にならない。世田谷八幡宮と豪徳寺は適度だった。適度がいい。なにごとも適度がいいと思うこのごろだ。

■今年を振り返ることもないまま、年が過ぎてゆく。早かった一年。あっというまに終わる。今年もたくさんのメールをありがとう。返事が書けなくてすいません。仕事関連でも返事を出していないメールがいくつもある。すいません。稽古ばかりしてすいません。

(5:15 Jan.3 2003)


Dec.30 mon.  「打ち合わせ三昧」

■午前中、都内をクルマで走ったら道がすいていて気持ちがよかった。そのまま青山にある店で髪を切ってもらう。また坊主頭。青山に来たのだから、青山ブックセンターでゴダールに関する本でも買おうかなと思ったらもう年内は店じまいだと張り紙。がっかりだ。
■午後から初台の家で打ち合わせをする。
■音楽の桜井君、パフォーマンスグループの小浜、永井、演出助手の足立と服部が来る。そのあと映像班の鈴木と浅野も来て、全部まとめて打ち合わせ。

■どこでどんな音楽を使うか。桜井君にどんな曲を作ってもらうか。ダンスの話とからめながら議論。こういうときイメージを伝えるのはむつかしく、「ああいうさあ、つまり、ずーだかだー、ずっだかだったー、とかいうさあ」といった、大人の会話とは思えない言葉で話すがうまく伝わらず、「つまりダークな」とか、「軽快な感じ」とか言葉を駆使するがむつかしいのである。あるいは、既成の音楽の名前をあげて「あんな感じの」と話すわけだし、「アンビエントな感じの」とか「ボサノヴァ風でどこかムーディーでセクシーな」と、どこまでも曖昧だ。
■映像班が渋谷で撮影したビデオの確認。いい絵が撮れていた。小田さんと熊谷君が出演。小田さんがクレープを食べている場面に笑った。お腹がすいていたらしく、本気でぱくぱく食べていた。
■そのあと、資料映像など見て使えそうなものを探し、さらに三坂が作ったビデオをみんなで鑑賞した。北朝鮮に行ったときに三坂が撮影した映像をベースにドラマ仕立てになっている。北朝鮮の子どもたちが歌を歌っている。女の子の顔がアップになる。三坂のナレーションがかぶる。「九歳のときの私です」。なにを言い出したんだいったい。全員で呆然と見ていたのだった。
■三坂のことがよくわからない。最近になって知ったのは、すぐ裸になりたがるだけではなく韓国語と中国語が堪能だということだった。となるとほかの言語もいけるだろう。いま現在の肩書きは、とりあえず東大の大学院生だが、そこで映像関係のコンピュータソフトの開発かなにかをしているらしく、バイトでシステムエンジニアをし、さらに「添い寝クラブ」もやっているし、映画にも出、舞台にも出ていたばかりか、花園神社の見せ物小屋で火を噴いてもいたらしい。大活躍である。

■音楽、映像の打ち合わせが一通りすんだところで、小浜とパフォーマンスグループの稽古予定など話す。つまるところ、テキストの内容とかみあわないというか、つまり「軽すぎる」のではないか。「重さ」というか、「濃密さ」、あるいは「毒」がない。パフォーマンスグループは「見た目」で選んだところが多分にあり、そうしたテイストを求めるのはそもそもが酷だ。俳優たちにもそういったところが多分にあるが、それは僕の反映。僕が選んだ人たちだし、僕のオーディションに来た人たちだ。
■そのあたりを自覚しつつ、まだできることがきっとある。演出すべきことがまだある。
■そして年末年始、ガソリンスタンドは開いているのかそれが気になっている。

(12:14 Dec.31 2002)


Dec.29 sun.  「よろこびの記憶の再現」

■稽古は休み。打ち合わせもない。
■昼間、眠っていたがやけに騒々しい夢を見て、眠っている気がしなかった。夕方書店に行き雑誌ばかり買う。テキストをもっと書き足したい気分になるが思いとどまる。ただでさえ長い。ただジュネの『屏風』は4時間半の上演時間。飽きなかった。字幕もないフランス語だったのに飽きなかった。言葉の意味がわからないから風景としてながめていたのかもしれない。言葉がわかれば人は意味を追う。意味は人を束縛する。人は意味の世界で生きている。どうしたって逃れられない。
■そんなことを考えてばかりいるというか、舞台のことばかり考えているので、たまには、コンピュータのことでもと思ってコンピュータ雑誌や、編集者のE君から送ってもらった、『ああ、増設 自宅サーバーへの道』(ソシム)など読む。後者は書名だけ読むと技術的なことに特化したコンピュータ本のようでありながら、そこから少しずらした視点もあって面白い。E君らしい作りの本だ。

■深夜、サッカーに関する討論会のような番組を見て気分転換しようと思うが、サッカーの話からやっぱり舞台のことなどに考えがおよび、たとえば、よく言われる日本代表の「決定力不足」の話から芝居の話を考えてしまう。討論では「決定力不足」という言葉を使ってはいけないという流れになっていて、僕もこの言葉は意味がないと以前から考える者だが、FWはなんだかんだいっても点を取らなくちゃ仕事していることにはならない。ドイツに移籍が決まった高原がなにかのインタビューで「惜しいシュートがいくつもありましたね」という質問に、「惜しいだけじゃだめですから」と答えていた。その通りだ。
■そこで芝居の話になると、しばしば一度やって面白かったことが再現できない、新鮮味を失うことがあり、それと「決定力不足」はどこか似ている気がしたのだった。たとえばなにかして「笑い」が生まれる。しかしそれが再現できない。これは「形」を再現しようとするからだとよく俳優たちに話す。再現すべきなのは「形」ではない。どうやってやったら面白かったかという芝居の形を繰り返してもだめだ。再現すべきなのは、「よろこびの記憶」である。面白いことをした。そのとき自分のなかに「よろこび」が生まれる。その「意識」を再現する。
■ブラジル代表のロナウドのシュートを見ていると、その「よろこびの再現」を感じるのだ。子どものころからサッカーをし、ゴールを決めるたびによろこびを感じる。それを再現するためにボールを蹴る。むろんFWだけではなく、いいパスを出す選手がいて、うまくチャンスを生み出すといった組織力も必要だろうが、最後に決めるのは、ゴールに向かうとき「よろこびの記憶」、ゴールを決める「よろこびの記憶」を再現できるかどうか。誰が見てもあきらかに決定的な場面で外すのは、よろこびの記憶を忘れ、もっと異なる、練習でやった「形」を再現しようとするからのびやかにプレーできないからではないか。
■それを「グルーブ」と呼んでもいいかもしれない。
■ロナウドにはグルーブがある。あのうれしそうな、のびやかなシュートするときのからだには生き生きとしたグルーブがある。おそらくあらゆることがそれにあてはまる気がしてならない。くりかえすが、「形」の再現ではなく、「よろこびの記憶の再現」だ。

■また寝ようとしても眠れない。ふとんに入るとつい舞台のことを考え眠れなくなってくるのだ。パフォーマンスグループの表現のこと、舞台で使う芝居と絡ませた映像のことを考えているうち、なぜパフォーマンスグループを出しダンスをやらせようとしたか、なぜ映像を使おうとしたか、その根本的な疑問にぶつかり、単に映像が面白いから、ダンスが面白そうだからではすまされない。コンセプトがはっきりしないから僕の演出も曖昧だ。まず「からだ」だ。様々な「からだ」を表現したいからパフォーマンスグループがあり、「からだ」を基点として映像がきっとある。曖昧にせず、疑問を持って新しい表現の試みという出発点を忘れないようにしよう。新しい表現への試みへの果敢な飛躍だ。前方の暗闇に向かっての跳躍だ。
■それもまた、演劇をすることそのものの、「よろこびの記憶の再現」だ。

(5:19 Dec.30 2002)


Dec.28 sat.  「今年の稽古はきょうで終わり」

■今年も終わる。稽古おさめ。
■きのういろいろ考えていたら眠れずようやく寝たのが朝9時ぐらい。昼過ぎまで眠ってしまった。遅刻。遅刻を取り戻すように稽古に全力をあげる。夕食の休憩なしでほとんどぶっつ続けでいくつかの場面をやる。パフォーミンググループのダンスなどと芝居の融合の練習。少しずつできてゆく。おぼろげながら姿が見えてきた。
■今年の最後だし、しばらく休みがあるので夕方から通してやってみることにする。まだまだだが、いちおうの形にはなっている。このレベルの舞台ならふつうにあるがふつうではだめだ。トータルで2時間半。長い。シャープではないのだ。ことによると30分短くなる気がする。あとやっぱりパフォーミング部門が弱い。

■年明けからパフォーミンググループの稽古を午前中にやることにした。もちろん僕が演出。しかしダンスがなあ。ダンスの演出っていうか、振り付けがうまくできないって、あたりまえだが、こうなったらこれを機会に勉強する。年明けの目標はコレオグラファーだ。俳優たちの一部は肉体訓練をしている。ものすごく基本的なニクレン。エロチカの片倉君が指導者になっておりとても助かっているが、観ていると、きちんとそれをやってきた人らしい指導法だ。俺はだめだ。やってこなかった。
■なにしろ、このあいだ大学に行ったとき学生にダンスのことを相談したのだった。どうやって作るかといった話。大学でダンスの授業をしっかり見学しておけばよかった。目の前にそういった環境があるのになにをしていたのだ。見ようとしない目には見えない。見るだけでもそこからヒントになって自分のやりたいことにつなげることができただろう。あと、古典芸能もなあ、観世栄夫さんのいる授業、浄瑠璃の授業だってあるし、刺激されはしたが、僕に積極性が欠けた。
■というわけで、一月からさらにハードな日々。もう時間がないのだ。いい舞台にする。死にものぐるいでいい舞台を作る。テキストもさらに読み直す。書き直すべきところは最後まで手を入れよう。まだ直せる。最後までねばる。

■雑誌の「東京人」が届いた。このあいだやはり取材を受けた「サイゾー」では写真の僕が、なにか悲しいことでもあったのかという顔。「東京人」のほうはわりとふつうの表情でよかった。稽古が終わってから、今度は「SPA!」の取材だった。恵比寿の線路脇で写真撮影。寒かった。そのあと取材を受けたのは小さなカフェで、カフェだがカラオケもある。あと猫がいた。四匹いる。手を出すとしゃーっと怒っていた。いちおう店の猫なんだから客に対して愛想よくしたらどうなんだ。しゃーはないじゃないか。
■取材者は、かつて『知覚の庭』に出て役者をやりいまは編集者をしている山崎だ。なんでもこちらのことを知っていて話がしやすかった。
■長い一日。いろいろあって疲れた。でもまだやるべきことがある。原稿もある。PAPERSのトップページも作ろうと思うが、時間がないし、そもそもデザインすることに飽きている。でも作ろう。舞台の宣伝の意味がある。できるだけたくさんの人に舞台を見てもらいたい。

(14:10 Dec.29 2002)


Dec.27 fri.  「稽古史上初」

■午後から久保の場面を中心に稽古。少しよくなるがまだまだ。久保と山根の表現が幼い。へたとかうまいとかいう問題ではなく、幼い。苦労する。出てくるものがまだ薄い。
■きょう稽古史上、はじめての経験をした。パフォーマンスグループが舞台上に横になっている。どこで立ち上がるかきっかけの台詞を決めそれを伝えた。じゃあやってみよう、稽古しようということになり、で、まあ、なんとかきっかけ通りにできたあと、横になっていたパフォーマンスグループの一人に質問された。「どのタイミングで立つんですか」、って、いまなんの稽古をしてたんだよこいつは。ちょっとあきれた。ここは小学校か? 大学でも、高校生中心の舞台でもそんなことはなかった。パフォーマンスグループの精度が低い。アイデアを出すのはいいが精度を高める稽古が進まない。年明けから、午前中は、その稽古をし、午後から俳優グループと合流というシステムでやってゆくしかないだろう。
■「ぴあ」の取材を受けた。リーディングを観た感想として「政治的」だと言われた。直接的な、あるいは過去の政治言語ではない言葉で政治的なことを書こうとしたのでそれは一面であたっている。それが芝居として出てこない部分が多いと演出しながら感じる。まちがうと陳腐になる。きりっとした舞台にしたい。いま表現したいテキストがありそれに見合った表現方法がきっとなにかある。いまのままでは、スタイリッシュなものでしかなくなってしまうし、幼いものになるおそれがある。
■夜10時まで稽古。そのあと衣装や映像との打ち合わせなどしいつも帰りは深夜になる。疲れた。ひどく疲れて帰る。でも舞台のことを考えていたら眠れない。どこをどうすれば表現したいことがうまくゆくか考えていると眠れなくなってくる。もう一度テキストを読む。

(7:00 Dec.28 2002)


Dec.26 thurs.  「京都へ」

■朝9時過ぎののぞみで京都にゆく。関ヶ原あたりは一面が雪だった。京都はやけに寒かった。河原町では立てこもり事件。いろいろだ。
■大学で二年生の発表公演を観る。教員である松田正隆さんの演出。松田さんの作品は大人のドラマなので、去年のやはり発表公演を観たときは、その世界、舞台上に漂う空気を出現させるのに、まだみんな若くてむつかしそうだ思っていたのだが、今回は特に前半、三人の兄弟と、そのうちの一人の妻、四人の複雑にからんだ関係の部分は空間を包む空気が見事に出ていて、むろん演出の力もあるが、あれれ、この四人、いいなあと思った。あと、映像コースの荒木という学生はですね、これがちょっとどうなんでしょうというくらい、だめ人なを見事に演じていた。歌のうまい松倉はかなり重要な役だが、あたりまえだが歌はない。荷が重そうだ。
■最終ののぞみで帰ることになっており、チケットも取っていたが昼の回は全部観られたものの、夜は申し訳ないが途中で帰ることになった。なにしろ2時間20分の作品だ。マチネとソワレのあいだに来年度の授業に関して会議。久しぶりの大学はもう冬休みだからだろう閑散としていた。

■この数日ノートが滞っていたが、べつに病気になったわけではわなく、テキストを書くこと、原稿を書くこと、稽古で忙しかっただけだ。いちおう記録しておくと次のようなことになる。
○23日 ずっとテキストの書き直し。できなかった。ビデオを観、資料を漁る。 ○24日 テキストを書き終える。少しの睡眠。新しく書いた部分を携え昼から稽古。夜10時まで。三坂が泣く。あと京都から稽古を見学に来た人がいて吉祥寺でやっていることはメールで伝えたが細かい場所はあとで携帯に連絡すると約束したにもかかわらず、新しいテキスト部分の読み合わせ、それに続く稽古をしているうちに連絡を忘れてしまった。夕方思い出して永井に電話してもらったときには、京都に帰る新幹線に乗るところだった。申し訳ないことをした。深夜『資本論を読む』を書きあげる。 ○25日 ほとんど眠らず稽古にゆく。夜10時まで。へとへと。
 で、京都に日帰りの仕事だよ。俺はやり手のビジネスマンか。帰りの京都駅で弁当でも買おうと思ったらホーム上の売り場はぜんぶ閉まっているし車内販売も売り切れだという。食べられないと思うとよけいに空腹を感じる。しかし稽古中、夕食の時間を取ると食べたあと眠くなるのであれがだめだ。夕食の休憩はなくしたほうがいいのだろうか。そんなことを考えつつ京都から帰ったらまた稽古。稽古の日々は続く。

(11:31 Dec.27 2002)


Dec.22 sun.  「書けない」

■稽古は休み。
■しかし一日中休むことができなかった。考えていたのであった。テキストの書き直しだ。ビデオなど見ては台詞を引用。ノートにメモ。ビデオを見ているとまったく関係ないことを思いつく。それで書き出すがすぐに中断。なかなか前に進まない。
■関係ないけど、今回の舞台では、楽屋を男女でわけるのをやめることにした。「喫煙者」「非喫煙者」でわけるのがいいと思ったのだ。女優で煙草を吸うのは笠木くらいではないか。リーディングのとき、女楽屋のほかの誰も煙草を吸わないと気をつかってロビーにいることが多かった。「喫煙者」「非喫煙者」で楽屋をわけるのは両者のためになると思うのだ。男女でわけるなんてそれほど意味はない。着替えのことがあるが、三坂なんて平気で人前で着替えるにちがいない。
■そんなことよりテキストが書けない。

(0:31 Dec.23 2002)


Dec.21 sat.  「桜井君からのメール」

■テキストを読み返しどこをどう変えるか考える。こうしたテキストの変更、再構成、再構築という作業は、それはそれで面白い。パズルを解く面白さに似ている。
■そんなとき桜井圭介君からメール。リーディング公演を観た時点では「危険なものを感じていた」が、何度か稽古を見るとことで「安心した」という意味のことが書かれ、それはリーディングがテキストに忠実に「棒読み」のようになされていたが稽古でそれが回避されているということだが、さらに次のようにあった。
 今回はテクスト自体がいわば(普通の意味での戯曲=物語が)解体されたテクストですが、演出において、その「解体されたテクスト」をさらにズラし、解体していく。
 すると、構造=ロジックがそのままで「リアリズム=写実主義」化されるという驚くべき転回が出現する。これは○○さん(引用者注:勝手に名前を伏せました)などが批判する「静かな演劇、J演劇はリアルと称してただ今の日本のダメダメな日常を描く=追認するだけだ」というのもまったく関係ないね、ということになります。リアリズムをイデオロギーとしてしかみないからその手の批判ができるのだと思いますが、リアリズム(リアリズム演技)とは身体の問題でもある。
 つまるところ、ミニマリズムが陥るであろう危機を、「身体的に回避できている」と稽古を見た桜井君は感じたのだろう。まあ、そのようにしかできないところがあるわけです、演出家としての僕は。僕は知らなかったが、批評家が「静かな演劇、J演劇はリアルと称してただ今の日本のダメダメな日常を描く=追認するだけだ」と言うのであれば、べつにそれに賛同などするつもりもないが、ただ、平田オリザ、岩松了の二人はそれを最初にはじめたという意味で、方法を確立しているから断固僕は認めるものの、それ以降の追随する作品たちには否定的だ。表層をなぞっているだけのそれらは、理念や方法への意識も希薄で、「今の日本のダメダメな日常を描く=追認するだけだ」と批判されてもしょうがないのではないか。
 だから『トーキョー・ボディ』は、平田、岩松以後の、その手の演劇を過去のものにしようと思って書いた。あの場所から遠く離れて。

■中野でまた稽古。
■きょうはなかなかに成果のある稽古ができた。劇作家という登場人物が『心中天の網島』を読む場面も少し進展。この場面、もっとなにかあると思っていたのだ。ぐっと出てくるなにか。いくつか演出案を試す。あるいは、だめな人の部屋にだめな人たちが集まる場面もだいぶできるようになってきた。とんとんと、稽古が進んでゆくと時間が過ぎるのも早い。あっというまに稽古が終わってしまう。
■あとは、笠木や伊勢をこの舞台で成長させるとか、いろいろな試みを成功させる課題がある。稽古が終わってから、映像の打ち合わせ。鈴木、浅野、演出助手の足立と制作の永井が家に来る。ピザを注文してみんなで食べた。少しずつ舞台ができてゆく。少しずつ、少しずつ。

(2:25 Dec.22 2002)


Dec.20 fri.  「それが私の力説です」

■先日、新潮社のN君から『近松門左衛門集』などを送ってもらってとてもうれしかったし、今回の舞台にも参考になった。いやもっと学ばねばと思いつつ見切り発車。ほかにも近松についていくつか読んだものの、まだまだ。近松とギリシャ悲劇をあわせて読むとそれはそれで面白いのだった。
■で、きょうは白水社のW君から三冊。宅急便で届く。どれもすごかった。『ヴァギナ・モノローグ』『「写真時代」の時代』『別役実の演劇教室 舞台を遊ぶ』の三冊。なかでも、イブ・エンスラーの『ヴァギナ・モノローグ』はすごい。「ヴァギナ」について様々な女性にしたインタビューを元にして書かれた「一人芝居」の、「ノート」ともいうべきテキスト。そこでは様々な職種の女性たちが自分の「ヴァギナ」について語る。
■もちろん、タブーに踏み込みこと、誰も語ろうとしなかったが女性としての本質に迫り、女性である著者自身もまたそこから女としての自分を探ることこそ読むべき中心だが、同時に作業のきめこまやかさに敬服した。様々な人に会い、ねばり強く話を聞く。作品を作るには時間が必要だ。工場製品ではない。プロセスが決まっていてオートマチックな機械によって大量生産されるようなものではけっしてない。これを女の人はどのように読むのだろう。
■会わなければだめだ。話を聞かなければいけない。歩かなくては見えない。見に行くことが必要だ。

■よく眠ることができたおかげで稽古に集中することができた。睡眠だ。なによりは睡眠。けれど眠る前ずっと舞台について考え、いや、これではいけない眠らねばと薬を飲んだら、ものすごい熟睡をしてしまった。
■テキストを書き足すことを俳優たちに報告。大変だが、もう一踏ん張りお願いしたい。もちろんいま稽古している部分ももっとよくなるはずで、さらに磨きをかけ強い表現にする。パーフォーミンググループと掛け持ちになった伊勢の場面、役が変更になった久保のところを中心に稽古。
■そういえば久保がなにかを話したあと、「それが私の力説です」とわけのわからないことを言っていた。意図的にまちがった日本語を口にしたのか、それとも本気でまちがっているのかよくわからない。でもなんだかいいな、「それが私の力説です」。

■毎日が稽古。原稿もたまる。で、原稿を書く時間をざっと計算し、テキストの書き直しをこの時間で何枚、『資本論を読む』をこの時間に書き、「内田百間の解説」をここ、さらにテキストを何枚と設定するが、せっぱつまっているのにかわりはない。眠らなければいいが稽古ができない。時間が足りない。そんなあわただしい年の暮れ。おそらく映像の撮影で大晦日まで働くだろう。ニブロールの矢内原さんとの対談は1月3日になりそうだ。4日からまた稽古。正月はない。

(11:56 Dec.21 2002)


Dec.19 thurs.  「テキストを書き直す」

■またメールをもらった。リーディングの感想だ。思考を促してくれるに値する貴重な意見だった。まとめると、「いまの東京という都市、東京のからだを描くにしては単純すぎないか」というものだった。具体的なことが書かれていなかったので僕なりに解釈すると、「盲目の人」「風俗店」「セックス」「ジェンダー」といったあたりが劇の中で突出していてそれが「単純」ということなのではないか。
■たしかにそれは僕も感じていたところ。
■「風俗店」が出てくるのは、『心中天の網島』、遊女小春と紙屋治兵衛のドラマとのシンクロの意味があったものの、そこばかり突出しているのはいなめない。って書いても、リーディングを観ていない人にはなんのことかわからないと思うが、それで少し考えた。少し書き直すというか、後半部を書き足してもうひとつエピソードを足そうと思った。そこも気になっていたのだ。劇として後半部が弱い。これからいきなり足して、あらためて稽古するのはきついがいい舞台にするためにはしょうがない。死んだ気になってやろう。俳優たちには迷惑をかけるが。

■午後、パフォーマンスグループの稽古を見る。いろいろアイデアは出てそれぞれ面白いが、「精度」だなあ。まだまだ精度が低いというか、そもそも「からだ」ができていない印象を受ける。ダンスがもっと観たいが、踊らないよこいつら。というか、どうダンスを作るか困っているのかもしれない。やっぱり振り付ける人間がいるべきだったか。硬直していない、僕がやりたいようなことを理解しつつも、振り付けのできるような人。
■あと一ヶ月。正月休みも入ってしまう。26日に京都に行き学生たちの発表公演を観る時間が惜しい気にもなるが、でも、それもまた仕事だ。観たいし。久しぶりに学生たちにも会いたい。
■夕方から俳優グループと合流して稽古。パフォーマンスグループとの流れをやってみたりし、稽古自体の進行も混乱。こういった舞台ははじめての経験なので僕もだめである。じっくりやらねばならない。腰を据えてじっくり稽古しなくてはいけない。どうも落ち着きがないのだいまのわたしは。しっかり睡眠をとって気力と体力を充実させて稽古にのぞもう。悲しいこともいったんは忘れなければ。いい舞台にする。死にものぐるいでいい舞台を作る。
■そんななか、映像班の鈴木がものすごく頼もしいので助かる。映像そのもの、テクニカルなことに関して、てきぱき処理し考えてくれる。きょうも、終わってから打ち合わせしましょうと鈴木のほうから言ってくれた。その熱意がとてもうれしい。なんていいやつなんだ、この人は。

■でもって、「資本論を読む」と「内田百間の解説」の原稿を書かねばならんのだ。20日の占いで私はこんなふうに書かれている。
「約束事守られず悪者に仕立て上げられるような理不尽ありそう。でも辛抱です」
 たしかにそうだよ。約束を守っていないんだ。締めきりは遅れっぱなしだ。悪者だ。でも辛抱なのだな。そんなときまたべつの原稿の依頼がメールで来た。だめだ。安請け合いはできない。ただニブロールの矢内原さんとの対談を引き受けようと思ったのは、しゃべるだけだったらなんとかなると思ったからだし、話したかったからだ。名前がすごいよ「矢内原」。元東大学長・矢内原忠雄と同じ苗字だよっていうか、孫だし。
■ニブロールの公演では、桜井圭介君とアフタートークもする。ダンスのことはうまく話せないなあ。またくだらないことを話してしまいそうだ。

(15:06 Dec.20 2002)


Dec.18 wed.  「だから、ばかやろうだ」

■午前中、先日「一人の女の子が死んだのです」と書いた倉澤愛の告別式にゆく。
■棺に納められた遺体を見てはじめてほんとうなのだと実感した。二十二歳だった。ばかやろうばかやろうとずっと思っていたのだ。お母さんから話を聞いた。彼女が僕のワークショップに来たのは十七歳ぐらいのときだ。たしかそのころ僕は、「表現者は大人じゃなくちゃいけない」と話したと思うが、それを彼女は覚えていてずっと口にしていたそうだ。いま考えるともう少し話しておくべきだったと思うのは、「大人」の意味を詳しく理解してもらいたかったからだ。いとうせいこう君がなにかに書いていたのは、「大人」には二種類あるということで、「大人のような子供」と、「子供のような大人」だ。十七歳の倉澤は「大人のような子供」だった。「ものすごく大人」のような子供だった。
■だから、ばかやろうだ。大人になるまえに死にやがった。とても悲しい。

■でもまあ、僕も「大人」かどうかは怪しい。先は長い。作品を生むことでしかその先へは進めない。
■いろいろな方からメールをもらう。
■大阪で舞台をやっているサカイ君からも久しぶりにメールをもらった。 たしかサカイ君は大阪の扇町ミュージアムスクエアが主宰する戯曲の賞を受賞したはずだ。来年、MONOの土田君の演出でリーディングがあるという。どこかで読めないのだろうか。可能なら稽古を見たいとのこと。稽古場のドアはいつでも開いている。いつ来てくれてもかまわない。
■タコシェの中山さんからはリーディングの感想。これまでとまったく異なるテキストについて、「日常とか、何かしらのテーマではなく、世界そのものを描きうる方法としての演劇が作られようとしている、といった印象」とあったのはうれしかったし、とくに、次の部分はとても示唆的だ。
 単なる偶然ですが、私はこの日(リーディング当日:引用者注)、4才のとき突然全盲になってしまった三宮麻由子さんが書いた「鳥が教えてくれた空」という本を読んでいました。視力を失い、長らく自分の手に触れるものやごくごく近くにあるものしか把握できずに、周囲に無限に広がる空間を感じることのなかった筆者が野鳥を通して、野外の空間を広く感じるようになった過程を記したエッセイです。
 彼女の感覚は、私の想像をこえたすごいもので、鳥の鳴き声から、とまっている木の大きさや時間帯、あたりの植生までを感じたり、水や虫の音から谷の深さがわかってしまったり、超能力か魔法使いかと思えるくらいなのです。
 お芝居では 鳥(子)を失い、視覚も失った人物がいて、本では鳥に出会いどんどん空間をとり戻す人がいて、その偶然とパラレルな状態が面白かったのです。
 それで思い出したのは、ソフィ・カルという美術家による『盲目の人たち』という作品だ。「視覚障害者」を僕は観念でしかとらえることができない。「からだ」について「視覚的」ではなくもっとべつの感覚によって知る人物を登場させようと、主人公である元高校教師を目の見えない人物にしたが、中山さんのメールにあった「鳥が教えてくれた空」に関する話を読むと、「視覚的」ではないからこそ、より「視覚的」に世界を把握できるのかもしれないと想像する。『盲目の人たち』は、生まれつき全盲の人たちに、「あなたにとって美とはなんですか?」という質問をする。解答の多くが「視覚的」だったことに驚かされた。
 充足されていることは幸福だ。幸福なことにちがいない。けれど充足されないものがあるからこそ、それを補おうともっと鋭くなる、感覚や思考の力がある。それは「からだ」ばかりではないね。「生活」もそうだ。お金があるのは幸福だ。幸福にきまっている。それでも足りないものがきっとあるから生活はやっかいだ。

■そしてまた稽古。中央線の中野駅近くにある公共施設。ちょっとずつできてゆく。クボンヌがよくなってきた。それと、どうしてもうまくできない深堀の台詞、ミュラーからの引用「ピル普及によって出産率も急落した時代に、それ以降の新しいドラマ、ベケットの『ゴドーを待ちながら』の、なんと無害なことか」を、そのまえにあるクボンヌの「詩の朗読」の後半部分とだぶらせながら発することにしたら、よくなった。っていうか、そうか、こういう方法があったかと発見。テキストを正しく形にするのが稽古ではない。発見があるからこそ面白い。それが稽古。

(13:02 Dec.19 2002)


Dec.17 tue.  「ほんとうなのか?」

■稽古だった。少しずつ詰めてゆくがまだまだだ。なにか足りない気がする。太い軸というのだろうか、舞台全体を貫くなにかだ。それはなにも、ストーリーの柱というわけではないというか、そもそもストーリーはそれほどない。イメージの散乱だ。いくつものエピソードの集積による中心のない舞台。そうではなく、演出というか、演技や表現の軸になるもの。
■たとえばそれはこれまでとは異なる「立ち方」になるのかもしれない。ただ僕は、稽古中、自分で演技してこうやれと指示。それが楽しくなってしまうので、いや、そうではないんだ、俺が今回の舞台でやろうとしたことはそうではないと戒めつつ演出する。とはいうものの、これまであった過去の演技システムとも異なる「いま」だからこそあるはずのなにかだ。
■先日書いた「一人の女の子の死」は、今回の舞台に出演している俳優たちの大半の者には関係がないので、できるだけ稽古場では考えないようにしている。けれどどうも実感がわかず、信じられず、稽古が終わってから笠木に「ほんとなのか?」と質問してしまった。うそではないかとすら思う。いつでも電話すれば以前のように話してくれるような気がしてならない。いや、もう一度、話しをしたかった。声を聞きたい。
■彼女のことが頭から離れないものの、稽古に集中しよう。それしかできない。それしかすることがない。

(2:53 Dec.18 2002)


Dec.16 mon.  「稽古場にて」

■パフォーミンググループの稽古に午後から参加。リーディング以降、ほとんど俳優グループの稽古をしているので、パフォーミンググループがどこまで達成できているか報告してもらう。いろいろなアイデアが出て面白くなくってきた。こういう条件で考えるよう課題を提出しそれに沿ったアイデアもあるが、まったく異なる方向の発表もあり、それも面白い。ただ、まだアイデアの段階だ。もっと稽古し強い表現にしなくてはいけない。
■夕方から、俳優グループも合流。にぎやかな稽古場だ。舞台監督と美術補佐の武藤、映像班の鈴木と浅野、衣装の今村、制作の永井、演出助手の、太野垣、足立、安彦、京都から来ている本多君も理解できない赤いカーディガンで手伝っている。

■写真は、上段から、「歩く人たち」「広い稽古場の片隅で稽古する人たち」 中段、「映像班が働く」「考えるパフォーミンググループ」 下段、「武藤と永井」


 少しずつの稽古。もっと細かくと思いつつ、反面、もっと大きく全体的な視野とも考え、演出はむつかしい。

■リーディングの感想をメールでいくつも送っていただきとてもうれしい。
■ワークショップに来ていた早稲田のY君の感想に、「ベケットの舞台でハイナー・ミュラーの台本を演じているという印象」とあって、それで思い出したのは、去年、ミンヤナのリーディングをしたときフランスの演劇人から「ミンヤナがベケットになっている」と指摘されたことだ。スーザン・ソンタグがサラエヴォでベケットの『ゴドーを待ちながら』を演出するプランについて書いた文章の中に、その作品が「普通はミニマリストの流儀で、あるいはヴォードヴィルのスタイルで上演される」とある。あるいは、装置のプランについて「ベケット自身、ミニマルなものを望んでいたと思うので」とも書いている。
■「リーディング」という形式はそもそもがミニマルなのではないか。
■とは思いつつ、僕の演出はミニマルなのかもしれない。というかミニマルだな。それがベケットのイメージになってしまう。意識していないのだがそうなる。ミンヤナの戯曲はかなりドタバタだ。もともと笑いは好きだが抑制するのはむかしから変わらず、「滑稽を演じるな」としばしば口にする。「リーディング」という形式が好きだと以前書いたが、リーディングはミニマルにならざるをえないから好きなのかもしれない。ともあれY君の言葉にはぴたり言いあてられた思いがした。まあ、なんとういうか、ハイナー・ミュラーからの引用がすごく多いし。
■本公演はかなり異なる舞台になる。「過剰」はないかもしれないが、「ミニマル」ではないだろう。

■ほかに、「ほらほら堂はボラボラ島に似ていますね」とメールに書いてくださった方がいたが、「ほらほら堂」とは一言も書いてないし、リーディングのテキストにもないので面白かった。どこから出てきたんだろう「堂」。「ほらほら書房」である。
■出版社で思い出したが、平凡社の編集者の方から、津野海太郎さんによる『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』という本を送っていただいた。筑摩から出ている「明治の文学」のシリーズ「坪内逍遙の巻」に書いた解説を読んで送ってくださったとのこと。うれしかった。どこかで誰かが見ていてくれる。だからひとつひとつ丁寧に仕事をしようと思う。どこか遠い場所にいるまだ知らない誰かが見ていてくれる。それにしても、逍遙の解説を書く前に『滑稽な巨人 坪内逍遙の夢』を読めていたらとつくづく思う。いや、この本のあとではもうなにも書けなかったかもしれない。

(13:37 Dec.16 2002)


Dec.15 sun.  「報せ」

■稽古から帰宅するクルマのなかでその報せを受けた。
■一人の女の子が死んだのです。舞台を一緒にやったこともあるまだ二十歳前半の女優だった。またいつか舞台を一緒にやりたいと思っていたし、なにより、もうずいぶん以前、携帯電話の不在着信履歴に彼女の番号が入っていたのに、連絡しよう、そのうちにと思っているうちにずいぶん時間が経ってしまったことの悔いがひどく残った。
■『サーチエンジン・システムクラッシュ』を書いたのは彼女と舞台を一緒にやった、『おはようと、その他の伝言』の直後のことで、彼女がなにか話した、その一言に触発されて、小説を書こうとなんども試みながらそれまで書けなかったのが、不意に書き上げることができたのじゃなかったかと記憶をたどる。一人の女の子が死んだのです。死因や理由を求めるより、いまはその事実をまっすぐ受け止めるしかない。
■そんなことを書いたところで彼女にしたら迷惑な話かもしれないが、いま稽古している舞台を彼女のために、可能な限りいい舞台にしようと思う。それしかできることがない。一人の女の子が死んだのです。いま書けるのはそれだけだ。

(6:56 Dec.16 2002)


Dec.14 sat.  「ほらほら書房」

■毎日、芝居のことばかり書いている。たまには「美味しいラーメン屋の話でも書いてくれ」というむきもあると思うが、しょうがないだろう、これはそういうノートなんだから。といった書き方は、以前も、エッセイで使った方法だ。
■本の話を書こう。晶文社の本が好きなのは以前も書いたと思うが、装丁をするデザイナーが平野甲賀さんからべつの方に変わったからだろうか、最近刊行されたものをよく見ると、本の背にある「晶文社」という文字の感じが以前とちがう気がする。少し文字間が広くなっている。それがどうも気持ちが悪い。なにか意図があるのだろうか。で、晶文社のマークは「犀」だ。おそらく平野さんのデザインなのだろう。

 で、これによく似たマークが作りたくなった。当然ですけれど、なかにいるのは「牛」だ。時間があったら作ってみようと思う。するとそれに準じて出版社を作りたくなり、リーディングを聞きに来てくれた人は知っていると思うけれど『トーキョー・ボディ』に「ほらほら書房」という古本屋が出てくるので、「ほらほら書房」という名前の出版社だ。とりあえず出すのは、『三坂知絵子厚着写真集』といって、ぜったい脱がさないばかりか、これでもかと厚着させるのはどうか。あと、『クボンヌ回転レシーブ物語』。
■リーディング公演を見に来てくれた沖縄出身のMさんからメールがあった。登場人物の「浦添サキ」を、「うらぞえさき」と発話していたが、もし「浦添」と文字にして書くのなら、これは「うらそえ」と、濁音がないとのこと。なるほど、そうだったのか。テキストにはたしかに「浦添」と記されているが僕も濁音があると思いこんでいた。これもまたリーディング公演の効果のひとつ。ありがとう。

■かつて井上ひさしさんがが、芝居とは「一に趣向、二に趣向、三、四がなくて、五に趣向」と書いていたのをどこかで読んだ。それで思い出したが、「趣向」と「実験」はなにが異なるかだ。寺山修司の「実験」は本で読むことでしか過去のものを知ることができないが、本で読む限りその「実験」は「趣向」と通底する部分があると感じる。いきなり観客席から、観客だと思っていた人間が舞台上にあがり、客席の大半が俳優だった『観客席』という舞台のそれは、思うに、「趣向」にかなり近い。実際の公演でそれがどんなふうに受け止められたかわからないが、寺山修司の実験は路上演劇にしろ、書簡演劇にしろ、話しを読むだけだとかなり面白いのだ。
■江戸時代、歌舞伎は各劇場が様々な「趣向」を競った。いま見てもものすごいことをしている。「実験」と言ってもかまわないくらいすごい。
■むろん、それをする根本の原理というか、思想が異なるのはわかる。「実験」はたいてい難解とされる。「趣向」はおおむねエンターテイメントだ。けれど表出されたものは、表層的な差異はあるものの本質的に変わらない印象がある。だってくりかえすが寺山修司は面白いんだから。映画における「実験映像」と「CGを駆使した映像」のちがいにおきかえてもいい。僕は「実験」をしたい。いまあまり「趣向」に興味がないものの、「実験」のつもりが、気がつくと「趣向」になっていると感じることがある。
■そして、唐十郎は、井上ひさしと寺山修司のあいだに存在するのではないか。「趣向」と「実験」のあいだ。それもまたあり。そんなことを考えつつ、稽古場に向かう。

■かつて住んでいた豪徳寺からほど近い、世田谷線宮の坂の公共施設だ。まずはストレッチがわりにきのう練習した「歩き」でからだを温める。
■それからようやく、動線、人の立ち位置など、きのうできなかった場面を作ってゆく。テキストの後半は短い場面が次々出現するが、そのつながりをどう処理してゆくかだ。いま「処理」という言葉を使っていやな気持ちになった。「処理」ではないな。ある種の技術用語だなきっとこれは。デザイナー的な発想から来る言葉ではないか。デザイナーではない演出法もまた今回の課題だ。細かいことを気にするのではなくもっと大きな目で作品全体を作ることを目指す。そこからもっと深い舞台が生まれるのではないかと。
■みんな台詞がだいぶ入っているので驚かされる。リーディング公演の効果か。俳優たちがすぐれているのか。
■そして、稽古の終わりは、「背後へばたーんと倒れる練習」だ。まずは柔道の受け身の基礎から。こつこつ積み上げる。おそらく今回の稽古でもっとも大変なのはこれだろう。できるようになるだろうか。もし舞台を見に来て「背後へばたーんと倒れる」場面がなかったら、できなかったと思っていただきたい。途中、高校時代、名門のバレーボール部に所属していたというクボンヌが意味なく回転レシーブを披露してくれた。ほんとうに意味がなかった。

(12:35 Dec.15 2002)


Dec.13 fri.  「ばたーんと背後に倒れる」

■少し遅れて曙橋の稽古場に着くと、今回は舞台に出ていないが、例の「歩き」のスペシャリスト佐藤がパフォーマンスグループだけではなく俳優も含めた全員に「歩きの指導」をしていた。稽古場にはスタッフも含め、パフォーマンスグループ、俳優グループと、ものすごい数の人間がいる。
■それがとても楽しい。
■パフォーマンスグループは昼間で稽古が終わったが、可能な者には残ってもらい稽古に参加。芝居とパフォーマンスのからみをところどころ入れてゆく作業をすることにした。いまふたつのグループはばらばらに稽古をしているがやはり合同で作業をすることができたらいい。というか、たとえば、すぐ隣で稽古していて必要に応じて僕がどちらも見るという稽古がベストだろう。物理的にむつかしい。稽古場の確保はいつも悩む。

■さて立ち稽古。きのうは演劇マシーン吉田が登場する「私は資本主義だった」の場面までできなかったので全体的に吉田君中心になる。かなり台詞が入っている。やっぱりリーディングの効果はかなりあったのではないか。まだ未消化とはいえ、皆、ある程度ことばが生きたものになっている。だから突然、配役を変えられたクボンヌはまだたどたどしい。読むことの重要性を知った。台本を渡し読み合わせ、すぐに立ち稽古というのがこれまで稽古の進行だったが、「リーディング公演」は稽古を進めるにあたって大きな意味があった。なにしろ「読む」だけの簡素な舞台にしろ、俳優にとってはいきなり「他者」に向かわなければいけない。
■意識がちがう。緊張感がちがう。「読み」の種類がまったく異なる。
■しかしまだまだ。細かい動きなどを整理しよう。未分化だ。なんというか、舞台上にタイトなものを感じない。きりっとした舞台を作る。

■さて、いきなりある提案をした。演出上の提案。「うしろに向かってばたーんと倒れる」だ。きのうの夜、突然ある場面でそれを使いたいと考えた。いきなり「ばたーんと背後に倒れたらかっこいい」と思いついたのだった。
■提案したところ、みんな怪訝な顔。当然である。なにしろけがをする可能性は高く、そもそもそんなことができるかどうかわからない。ただ、以前、なにかのテレビ番組でそれを訓練している人たちを見た。ばたーんと背後に倒れていた。武道の道場のような場所だった。手がかりは武道かとみんなで話していたところ、突然、片倉君が、ばたーんと、見事に背後に倒れたのだった。前触れもなく倒れた。さすがに第三エロチカである。硬い床だ。見ていた者はみな、はっとした。「あっ」と声を出す者もいた。
■片倉君は柔道をやっていたそうだ。エロチカとは関係がないらしい。つまり柔道における「受け身」の発展形だ。昨夜それを思いついたとき、三坂はできるだろうと思った。なにしろ月触歌劇団だし、口から火を吹くし、すぐ脱ぎたくなるような女が倒れられないわけがない。心配だったのが笠木だ。無理にきまっている。しかし片倉君の指導でこれから毎日、稽古することに決めた。

■いろいろ演出上のアイデアが浮かぶ。というのもいま、舞台のことばかり考えているので、見るもの、聞くもの、そうしたものから舞台の演出にすぐにつながり演出案になる。そうか、あそこの場面は、ああすればいいんだと発見したときの快感。それは稽古しているときもあり、つまり思いつきで稽古しているわけですけれども、だから稽古が好きなのだと思う。
■まだなにかあるぞ。もっといい舞台にするためのイメージ。パフォーマンスグループとの接合によってもっと豊かな舞台にする作業だ。

(8:58 Dec.15 2002)


Dec.12 thurs.  「あらためて稽古。三坂は脱ごうとする」

■なによりも困ったのは、すぐ脱ぎたがる三坂であった。
■あらためて本公演に向けての稽古がはじまった。千歳船橋にある公共施設だ。以前も何度か利用したことがあるが広くて使いやすい。関係ないけど、今度の公演に出ている久保はメールアドレスが「クボンヌ」だ。だからなんだという話ですけれども、そんなことはともかく稽古の開始。当然ながら、リーディング公演とは劇場の規模も装置も異なるので、どこからどう出るか、動線、動きなど、おおざっぱに整理してゆくことからはじめる。「私は警備員ではなかった」という台詞の文殊はかなり台詞が入っていたので驚いた。あと南波さんも入っているというか、南波さんの場合、リーディングの途中からもうほとんど台詞を覚えていたふしがあり、本から目を離すことがしばしばあってそれリーディングじゃないよと思ったのだった。
■劇作家役の熊谷の動きが難しいな。台詞がまるで観客に向かって話しかけるように書かれている。これまでの僕の舞台ではこんなことは一切なかった。いきなり観客に語りかけるのもなんだし、そこらの演出を考える。

■そして三坂である。テキストの段階で「裸」になるのは指定されているわけだが、「じゃ、脱ぎましょうか」といきなり服に手をかける。「ちょっと待て」と押しとどめる。「でも、早いうちから小田さんにも慣れてもらわないと」ともっともなことを言うが、とりあえず年明けから脱げと指示。意味はないが、年内は脱がないでもらいたい。気持ちのいい正月を迎えたいからだ。あと、笠木も脱ぎます。ある程度脱ぐ。どのあたりまで脱ぐ演出にするか悩むところだ。あまり見せるのも観客に失礼だと思う。
■三坂と片倉の恋人同士の場面の動きを作っているとき、二人が見つめ合う瞬間がある。二人のあいだに、なにか、ものすごく濃い空気が漂った。男女のあいだに発生する濃密な愛の空気。まさかなあ、抱き合うんじゃないだろうなあと思って見ていたら、二人、なんの躊躇もなく抱き合った。必然的に抱き合うところまで達してしまった。あのですね、たとえば、二人の人物がいる。そこに男女の濃密な空気が生まれるのはいい。つまり「あいだ」に出現するもの、人と人の「あいだ」に、見えないなにかを作り出す力こそが芝居の基本で、それはなにも男女の恋愛感情ばかりではない。だからそこまではいい。だが、「抱き合う」というストレートさは、僕の演出には存在しないものだ。なぜなら「抱き合う」のはわかりやすすぎるからだ。あえて「抱き合わない」ことによって情感がより強く表現されると僕は考える。
■さて、ひとり俳優を降ろしたことで多少の配役変更があり、クボンヌはべつの役になったが、とてもいい。というかクボンヌは面白いしある程度芝居ができるので、とことん演出したくなった。かなり面白くなる予感がする。徹底的に演出しようと決めた。あと声が魅力的な深堀もとことん演出する。この人ももっとよくなる。あと、だめな男の山根は、たしかに芝居は下手だし素人だが、なんだかよくわからない面白さがある。下手だがにじみ出てくる魅力。中途半端にうまいのはだめだ。へたでもいい。魅力だ。魅力が見たいのだ。全体的に、台詞の発し方、芝居についてはまだ手つかずだ。もっと細かく稽古をしなくてはいけない。細かく細かく。つい疲れていると「それでいいのかな」という気分になってしまうが、納得がゆくまでとことんやろう。

■稽古が終わって外に出るとひどく寒い。舞台のことばかり考えている。永井からいくつか受けた取材のゲラチェック用の原稿を渡された。仕事は終わらない。原稿もまだある。

(6:07 Dec.14 2002)


Dec.11 wed.  「つかのまの休息。眠る一日」

■ものすごく眠った。
■打ち上げから家に戻ったのは午前五時過ぎ。メールチェックをしたり舞台のことを考えていたら時間が過ぎてゆき眠ったのは九時。目が覚めたら夕方の5時だった。八時間の睡眠は僕にしたらものすごく眠ったことになる。留守電に「一冊の本」のOさんから原稿の催促があった。メールも来ていた。打越さんからのメールもある。「せりふの時代」のIさんからも映画のアンケートに関してのメール。あちらこちらいのちがけ。夕食をすませてから原稿を書く。
■ひとつ原稿を書いたら眠くなる。久しぶりの休みは眠ってばかりだ。リーディング公演を見たという方からいろいろなメールをいただいてうれしかった。「演劇マシーンの人にもう夢中」という女性がいた。でも、マシーンだぞ、と言いたい。ほかにも3月にあった「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」に参加してくれたS君のメールはこれまでとは異なる質の作品に戸惑ったという意味の内容。僕はもっと戸惑う人がいるだろうと思っていた、というか、戸惑った人はメールをくれないのだろう。戸惑うのもしょうがない。あれはどうしたって戸惑うはずだ。でも、八〇年代にやっていた「ラジカル」から、遊園地再生事業団になって戸惑う観客がいて、その人たちは僕の舞台から遠ざかっていったが、その後、また新しい観客と出会った。
■戸惑う方たちには申し訳ないのだが、また新しい観客に出会えればと思う。ただS君のメールは本公演に向けてとても参考になった。もっと忌憚のない意見を聞かせてもらいたい。ただ、「眠りました」とメールに書かれても、「ああそうですか」としか答えようがないけれど。考えるべきことはやっぱりまだあるのだ。

(12:16 Dec.13 2002)


Dec.10 tue.  「一段落ついて」

■リーディング公演が終わった。
■で、終わったなあと妙な感慨にふけっている場合ではなく、これからがいよいよ本格的な稽古だ。本公演まであと一ヶ月と少し。だが、夜の回が終わったあと観に来てくれた人たちと話しをしたり、打ち上げがあるとどうも「終わった」気分になっていけない。舞台のできはまだまだだな。あまり細かい「だめ」を出さなかったので未消化だ。笠木にもっとうまくなってもらいたいとかいろいろ考える。なるのだろうか。俳優というやつはうまくなるのだろうか。笠木はうまくなるだろうか。あと演劇マシーンの吉田君のマシーンの回路を少し変えてみようとか、だめな男を演じる山根のかつぜつをもう少しよくさせようとか、いろいろ課題はある。だけどやってよかった。リーディングによって様々なことがわかった。テキストの書き直しもしよう。考えることはまだまだあることがよくわかった。

■そして、なによりの収穫は、ひとり役者を降ろしたことだ。
■つまり、リーディング公演に出ていたけれど、本公演には出ないやつが一人いるということだ。数日前から気になっていたのは、俳優の一人が、たいして自分もうまくないのに、人の芝居について「いやみな口調」で批評していることだった。まあ俗に言う、「やなやつ」ってことになるのだろうが、打ち上げの時、片倉君と三坂のシリアスな場面の芝居について、ひどくいやみな笑いを浮かべ、「笑いをこらえるのにたいへんでしたよ、けけけけけ」と言った。その瞬間に降ろすことを決めた。言われた第三エロチカの片倉君は口数が少なくあまり前に出てこないタイプなので、苦笑いし困ったような表情をしている。僕は片倉君が好きだ。片倉君はものすごくだめな人の感じを漂わせ、というかかなりだめな人なのだが、舞台に上がるととたんに二枚目になる姿などとてもいい。その片倉君が困っているのを黙って見ているわけにはいかない。「やなやつ」を稽古場に存在させてはいけない。舞台は集団で作る。そのなかに「やなやつ」などいさせるものか。
■表層に深層はあらわれる。そいつ、俺にだけはこびをうる。信じていい気になっていた自分がばかだ。そいつを選んだ私が愚かだった。
■「おまえ、次から稽古場に来なくていい」ときっぱり宣言。すると、とたんに周囲の空気が一変した。ふつう演出家が怒鳴ったりすればあたりに緊張が走る。だがそうではなかった。なんだか妙に明るくなったのだった。みんなが明るく晴れ晴れとした表情に変わった。わーい、という感じで、どいつもこいつもばかである。でもよかった。みんな「やなやつ」に困っていたのか。
■さらに、「おまえ、芝居、へただな」と言うと、「へたと言われたのははじめてです」と答え、どんなレベルの低いところで芝居してきたんだこのド素人が。俺がこの20年間でどれだけ数多くのものすごいプロたちと仕事してきたと思ってやがんだばかやろう。まあ、彼にも将来はあるので名前は書かない。これも試練だ。教育的指導である。屈辱にまみれて大きな俳優になってもらいたい。少年法みたいなもんだねこうなると。その後、きっと、そいつからメール来ちゃうんだろうなあ来たら読まずにゴミ箱に捨てちまおうと思っていたがやっぱりメールが来たので読まずにゴミ箱に捨てた。

■稽古の途中で降ろした俳優はこれで二人目である。
■一度目の人のとき、どこで知ったのか大人計画の松尾スズキが、「そいつを使う」と言ったそうだ。そしてさらにこう付け加えた。

「で、稽古に呼んで、それでやっぱり稽古の途中で降ろす」

 なんてひどいやつなんだ松尾。人でなしだ。それでますます松尾のことが好きになったね、俺は。しかし演劇界は狭いな。すぐにこういう情報が松尾のところまで届く。
 片倉君で思い出したが、制作の永井が片倉君に、第三エロチカの主宰者である「川村毅さんにオーディションで選ばれたことは話したんですか」と質問した。片倉君は報告したそうだ。すると川村毅は言ったという。「俺が話しといたんだ」。そんなことはひとことも聞いてない。あの人もほんとうに面白い。というか、演劇人、どいつもこいつもろくでもないやつらばかりだ。
 教育指導で思い出したが、いまパフォーミンググループのリーダーをしている小浜はかつて泥棒だった。指導した。更正した。ほんとうによかった。
 あと、降ろしたそいつの彼女がある大きな劇団の研究生で、研究所の発表公演で僕の『ヒネミ』を上演するとその劇団から連絡があったそうだが、すぐに「上演はまかりならん」と永井に連絡させようとしたものの、それはかなりばかなので思いとどまった。

■たくさんの人がリーディング公演を見に来てくれて、差し入れに、いろいろなものを持ってきてくれた。ほんとうにありがとう。また稽古がはじまる。あと原稿。書くね、俺は書く。とことん書く。

(16:56 Dec.12 2002)


Dec.9 mon.  「リーディング初日」

■リーディングの初日だが、考えてみれば二日間の公演なので初日もなにもないが、ともかく初日だ。東京地方は雪。雪のハッピーバースデー。って俺が。46歳。無事幕を開けることができた。

リーディング舞台

 リーディングは、「観る」というより「聞く」と表現すべきか。ただテキストを読むのを観、せりふを聞くのは集中力を要する。で、リーディング用に特別な短いテキストにする予定だったが、結局、1時間36分になった。おかしいな。こんなはずではなかった。というかそれでも書きたいことがまだ大量にあったが、削ったつもりだったのだ。
 俳優たちが緊張しているのがわかる。緊張するのは当然で、緊張しないほうがおかしい。それが人間。しかしなぜだろう。するとなぜか力が入る。そんななか、まるで変化のない者もおり、稽古と変わらない俳優とそうでない俳優のちがいとはなにか。なかでも、「私は資本主義だった」と語りはじめる民藝の吉田君はまるで演劇マシーンだ。ぶれない。これはすごい。あまりそういう俳優と仕事をしていなかったので驚かされる。稽古の最初、笠木とせりふをやりとりするとき吉田君がうますぎて、むしろ、「おまえは下手だよ」と言わんばかりに笠木に向かってせりふをたたみかけ、なんて意地悪なんだ吉田、とすら思ったね、俺は。すごい、この人は。
 ただ、俳優は、「ぶれ」も魅力になる。ぶれぶれな人の魅力もある。むつかしいな、俳優という存在は。
 結局ですね、「リーディング」という形式が僕は好きなのだとわかった。「書く」ことがあまり手続きを経ずに舞台に上げることができる。俳優を通して言葉になる。「書く」をすぐに試すことができる。本来のリーディングとは意味が異なってしまうが、去年、ミンヤナの『アンヌ・マリ』のリーディングを演出しその形式自体が好きになったのだと思う。

■いろいろな人が観に来てくれた。うれしかった。ありがとう。でも、客席では眠る人が続出。しょうがない。パリで五日連続してフランス語の舞台を見たとき、眠るかなあと思ったが、意味がまったくわからないのに面白くてしょうがなかった。自分でも不思議だ。パリだったからだろうか。しかもそこから刺激すら受けた。つまり俺は演劇が好きなのだった。そうかもしれないなあと思ってはいたが、かなり好きなのだった驚くべきことに。
■雪は雨になった。舞台監督の武藤のクルマが劇場前に停めてあった。開演直前、動かすようにスズナリの下にある店の人から注意されたが武藤が忙しく、けれど武藤のクルマはマニュアル車だ、手伝いに来ている誰も動かせる人がいないというので、僕が移動、本多劇場の地下駐車場まで運ぶ。なぜ演出家がそんなことをするのかと疑問に思いつつも、運転したかったんだ俺は。久しぶりのマニュアル車は面白かった。そのまま遠くまで走ってみようかとすら思ったのだった。
■初日打ち上げがあったが、あしたもう、楽日なのに。
■で、パフォーミンググループももちろん来ていて、なにを作るかかなり悩んでいるのも知った。これからそっちも考えなければいけないし、考えることはさらにある。本公演は、全然異なる質の舞台になるはずだ。リーディングと両方観ると、そのちがいがわかって楽しんでもらえるのではないか。本公演まであと一月半。まだはじまったばかりだ。

(12:31 Dec.10 2002)


Dec.8 sun.  「リーディングの稽古はずっとやっていた」

■四日間、このノートが書けなかった。
■稽古とテキスト執筆の日々だ。稽古風景の画像も貼り付け様子をお伝えしたかったものの、いつも稽古場にデジカメを持ってゆくのに稽古になると撮影するのを忘れる。そのあいだメールもいろいろもらったのに返事も書けない有様。
■夜、稽古。帰って食事。すぐに眠り、早朝起きてテキストを書く。それから午後また少しの時間の仮眠。夕方稽古場へというルーティーンの毎日だった。疲れた。そのあいだに、『資本論を読む』の原稿を書いた。今回は、「いかにしてわたしは、今月、資本論を読めなかったか」について八枚書いた。読めなかった。今月はさすがに読めなかった。

■そして、とうとう書き終えた。本番の直前だ。もちろん毎日少しずつ書いてはコピー。俳優たちには渡していたので少しずつ稽古する。毎日、できたところまで通し稽古。もっとここをこうすればと思うところを「抜き」で稽古したかったがあまり時間がなかった。あとは各自の自主稽古に任せる。俳優たちに考えさせる。俳優たちはきちんと要求に応えてくれる。ほんとうに助かる。少しずつよくなった。
■読む。ひたすら読む。リーディングとは私の考えでは次のようなものだ。

1)テキストの言葉を観客の前で試す。試練を受ける。
2)観客にテキストの言葉を味わってもらう。
3)俳優がとことんテキストを読む。

 さて、今回のテキストはいわば「原作」である。出版すること、雑誌に発表することをはじめこのまま外部に放り出してもいいが、「ト書き」がない。誰のせりふか指定がないというテキストだ。読む者は困ると思う。だが、あとは演出家に任せる。解釈にゆだねる。そういうものを私は書きたかった。

■最後の部分を渡してとりあえず仕事は一段落。稽古をする。最後の部分などむろんきょう渡したのだから、言葉が消化されていないが、ほぼできてきた。あしたリーディング本番。楽しみだ。ただ寝不足。で、家に戻り、筑摩書房のPR誌「ちくま」に、僕の新刊『牛乳の作法』にかんしてのエッセイを書く。「せりふの時代」のインタビュー原稿のゲラを直す。本番だというのに、あしたの夜は、「一冊の本」の連載、「テアトロ」の原稿、「せりふの時代」の映画に関するアンケートに書いた原稿の書き直しがある。終わらない。さらに、本公演用の上演台本を作る仕事がある。まだなにかやるべきことがあった気がするが、忘れてしまった。
■でもまあ、テキストが書けてほっとした。
■そしてまた稽古。あとPAPERSのトップページを作り直さなくちゃな。それからこのノートを続けよう。小説も書きたい。読むべきものもまだあるぞ。ただ、原稿を依頼されても、あんまり安請け合いしないようにしよう。迷惑ばかりかけている。
■さて、リーディング公演本番だ。雪だとの情報。寒いのはいやだが気持ちは高ぶる。

(7:24 Dec.9 2002)


Dec.3 tue.  「リーディング稽古開始」

■昼過ぎまでテキストを書いていた。
■やはりぜんぶは無理だった。三分の一程度。半分。いやそれよりちょっと少な目。書きたいことがもっとある。どんどん書いているとものすごい量になりそうだ。昼過ぎ二時間ほど睡眠。睡眠不足。それからWindowsに入っているエディターで作ったテキストファイルをMacに転送する。それがまちがいだった。なにしろワープロソフトってものを持っていないので、なにかで紙にプリントアウトしなくちゃいけない。アドビのPageMakerでレイアウトしようと思ったが、PageMakerがどこにもない。仕方なしに急遽、AppleWorksをインストール。ワープロでレイアウト。
■ファイルを作ったのはいいが、やたら出力が遅い。ものすごく時間がかかる。稽古、というか第一回目の全員による顔合わせは午後六時から。遅れて到着。着いたら、部屋にはすごい数の人たち。30人以上いたのではないか。俳優部門の者ら、パフォーマンスグループの者ら、スタッフ。かなりいる。部屋が妙な熱気に包まれている。テキストをコピーしているあいだに今回の公演の趣旨のようなものを話す。とにかく二年ぶりの公演だから、これまでとは異なる舞台にしたいという話に終始する。
■いよいよはじまるという感慨。なにやら妙に気分が高ぶるのだ。やる、俺はやる。死んだ気になって舞台を作る。いい舞台にする。

■コピーが出来たので読み合わせ。
■そこではたと気がついた。問題発生。湘南台市民シアターで舞台を一緒にやった南波さんのことを書き忘れた。ノートでは、「クリスチャン」「宗教家」「詩人」「風俗店でなぜかポエトリーリーディングをする」とあり、そのつもりで場面を考えていた。それを書き忘れたのだ。ほんとうに申し訳ないことをした。ある程度書けてしまったテキストにどうやって登場させるか考える。難問だ。
■それにしても、これまでの僕の舞台とはまったく異なる種類のテキストだ。僕の舞台をよく経験している笠木が帰り際、「全然ちがうホンですね」と言った。全然ちがう。はじめての人はどう感じただろう。
■読み合わせ。こういうとき漢字が読めない人がいるとなぜ場がなごむのだろう。パリで、向こうの俳優たちによるリーディングの稽古を見学させてもらった。よくあるのは、調子に乗り、勢いあまって他人のせりふまで読んでしまうことだが、パリの稽古にもそれはあり、みんな笑っていた。あれは万国共通なのかもしれない。笑えるんだよな、つい調子にのって他人のせりふまで読んでしまう俳優。
■顔合わせのあと、スタッフと打ち合わせ。今回は妥協せずとことん打ち合わせをし満足のゆくものを作りたい。舞台監督助手というか、美術助手でもある武藤が頼もしい。映像スタッフもやる気を出している。いい舞台にしたい。いろいろな意味でいい舞台にしたい。もちろん観客のためにもいい舞台を作る。

■とにかく僕は、テキストの続きをさらに書かねばならないのだ。

(6:13 Dec.4 2002)


Dec.2 mon.  「その筋の人たちの集団」

■朝までテキストを書き、少し疲れたので本など読んでいるうちにもう午前10時。それから眠ったら眼がさめたのは夕方だ。夕食のあと新宿のTSUTAYAにビデオを返しにゆく。甲州街道を新宿駅南口を越えたあたり、明治通りの手前の小さな路地に入ってゆくと、有名な風月堂がむかしあった通りに出てそこを左折。少し行って、左にTSUTAYA、正面に紀伊國屋書店のある道に入り、路駐する。
■クルマを降りようと思ったらものすごい集団がうしろからやってくるのがバックミラーに見えた。その筋の人たちである。その筋の人たちを見るのはさほど珍しくないが、集団でいるのはいったいなにがあるというのだろう。総勢50人はいる。50人のやくざ。怖くてクルマから降りられない。
■ビデオを返却したあと、ふと思いたって池袋に行く。サンシャイン通りの付近を散歩した。このあたりはよく歩いた場所だ。小説を書くために何日も歩いた。それで今年の三月、「サーチエンジン・システムクラッシュ・ツアー」を敢行してしまったわけだが、小説の通りに歩くとものすごい距離だ。でも楽しかったな、あの日。桜が満開だったのを思い出す。冬の池袋は、コミュニティカレッジのワークショップの記憶となぜか結びつく。さかのぼれば池袋文芸座と文芸地下だな。ふたつの映画館でどれだけの映画を観たかもう思い出せない。
■池袋から帰ってまたテキストを書く仕事。あしたから稽古だ。書く。ひたすら書く。

(8:56 Dec.3 2002)


Dec.1 sun.  「夜、渋谷を歩く」

■テキストを少しずつ書いている。気がついたら12月。舞台のことばかり考えているうちに今年も終わってゆく。
■だんだん書くのが面白くなってきた。こういうものは不思議で書きはじめるのに時間がかかり、けれど書いている途中からとたんに面白くなって、以前も同じようなことを記した気がするがつまり「からだが暖まる」というスポーツ選手のような状態になる。徐々に暖まってきた。「書く」は「観念」の問題のようにとらえられがちがだが、やっぱり「からだ」なのだと思う。「手」が書いている。「からだ」が書いている。いくら「考えて」いても「書かれたもの」は生まれない。「手」が動いてはじめて「書かれたもの」が出現する。
■しかし、どう考えても三日の稽古初日には間に合わない。
■このノートを読んでいる出演者も多くいると思うのであらかじめ断言しておくが、ぜったい完成していないだろう。なにかの拍子に書けているかもしれないがそんなことがあったら奇跡である。ちょっと奇跡に期待したいとも思う。あさ目を覚ますと、最後まで書けているというような夢のようなことは起こらないだろうか。

■で、テキストを書いていたら、ふと渋谷の町を見たくなって出かけた。
■もう夜の12時を過ぎていた。日曜の渋谷の夜は人がまばらだ。いるのは怪しい連中ばかり。歩いていると少し怖い。百軒店(こういう表記で正しかったかどうか)の坂を上がると、右手に道頓堀劇場があり、つきあたりにはローソン。ローソンがやけに混んでいて面白かった。狭い店内に人がぎっしりいる。いったい何の職業の者たちだろう。暗がりにも人。なにか小声で話す男たち。道ばたに座り込む若い男は寒くないのだろうか。宇田川町の交番の近く、工事の人たちがなにかを待って、道にたたずむ。その姿が面白い。警備員がいる。作業員がいる。男たちの世界。渋谷といえばセンター街に集まる若い連中をすぐに連想するがそこにいるのも東京の「からだ」だ。とても味わい深かった。夜の人々。夜の奥にもっと深い場所があると思えてならないが、近づくの怖かった。みつめるべきだっただろうか。その先まで足を踏み入れるべきだっただろうか。
■町をもっと見なくちゃいけない。本を読むよりずっと、町を歩くことがいろいろなことを教えてくれる。

(4:23 Dec.2 2002)