Apr. 29, 2012
さて、昨年の「春式」に続いて、今年もワークショップを開催することは、すでに告知しましたが、そのときは夏だから、『ワークショップ・サマー・ジャンボリー』という名前にする予定でした。しかし、よくよく考えてみると、「ジャンボリー」と名乗るほどのものではありません。よく考えてもらいたい。いったい、「ジャンボリー」とはなんのことか? 「jamboree」を辞書で調べると、驚くべきことに、「にぎやかな宴会」「お祭り騒ぎ」のことだとあります。私たちはなにも夏のくそ暑いなか、どんちゃかどんちゃか、お祭りをやろうとは思っていないし、にぎやかに宴会をやろうなどとも考えていないのです。そういうものを期待するならフジロックか、ライジングサンに行ってもらいたい。
こじんまりとしたワークショップです。だからここは地味に、『夏型』という名前にしました。夏です。夏に開催されます。だったら「夏型」に決まっているじゃないですか。
最初に触れたように、『春式』はこれからも機会があったら開きたいと思っています。春はなにかを始めるのにはちょうどいいですしね。そして、今年は『夏型』です。ぜひたくさんの方に参加してもらえたらと思います。『夏型』の詳しいこと
(日程や場所など)が決まったらここで告知します。また新しい誰かに出会えたら幸いです。そして、演劇について、ワークショップを通じて互いに考えることができればと考えます。<演劇>のことをしたいと思いつつ、けれど、狭い領域を越境し、遠くまで行くことはできないか、その小さなエッジを滑るように進み、暗がりをくぐり、いくつもの障害をすり抜け、ひやひやしつつ、どきどきし、それでも、ふと気がつけば、ちょっと新鮮な場所にたどりつけたらいい。ささいなことでいいんですけどね。ヒントでも見つかればそんなに嬉しいことはない。
今年の8月です。大いに夏です。くらくらするような暑さです。夏は修行の季節です。
トータル・リビング 1986-2011
2011年10月、フェスティバル/トーキョー参加作品『TOTAL LIVING 1986-2011』を上演。それに先がけ、いつものようにワークイン・プログレスとしてリーディング公演を八月に上演した(書き上がったばかりの戯曲を、俳優がその「テキスト」を手にしてただ読むのがリーディング公演だ)。
東京という都市に偏在する「ことば」や「からだ」を一貫して見つめ、リサーチし、演劇の構造にダウンロードする宮沢。
「3.11後」に焦点を当てた新作は、バブル前夜、日本経済のにぎわいに浮かれていた〈1986年〉──それはチェルノブイリの原発事故を遠い出来事として私たちが見つめていた年でもあった──と、経済の下降にあえぐ〈2011年〉の現在とをパラレルに配置することから出発する。舞台上に現れるのは個人的で断片的な言葉──あるいは書物からの無作為な引用──。遠くで、ごく間近で、時間を越え、〈二つの出来事〉はいやおうなく人の意識に反映する。
その事象の重なりと分断からは、私たちの生活と世界の歪みが浮かび上がる。けれど、人は生きている。生活はごく具体的に営まれる。時間は小刻みに進行する。
1986-2011。歴史の集積と分断に見る私たちの生活、現在。
ジャパニーズ・スリーピング
2010年の10月、遊園地再生事業団は、2年ぶりの新作『ジャパニーズ・スリーピング/世界でいちばん眠い場所』を上演しました。連日、いっぱいのお客さんにお越しいただきたいへん感謝しております。テン年代に向け、また新しい一歩が踏み出せたようで勇気を与えられました。ほんとうにありがとうございました。
そして今後も旺盛な、といっても、それはたとえば三年おきとか、そういったペースになるかと思いますが、自分たちが納得のゆく制作体制ができ、さらに宮沢の創作意欲が高まったとき、次の作品が生まれるはずです。
遊園地再生事業団ラボ #002
作 カトリン・レグラ
翻訳 植松 なつみ
(『ドイツ現代戯曲選30』 論創社より刊行中)
演出 上村聡
出演 永井 秀樹 谷川 清美 町田 水城 牛尾 千聖
宮崎 晋太朗 田中 夢 宮沢 章夫(ト書き)
主催 GOETHE-INSTITUT TOKYO
東京ドイツ文化センター
遊園地再生事業団ラボ #001
取り上げた作品はドイツの劇作家ジョン・フォン・デュッフェルの『バルコニーの情景』(平田栄一朗訳)。テキストは論創社から刊行されています。
「パーティー会場の建物。会場脇の夜更けのバルコニー。やってくる人々によって語られる、かみ合わない独りよがりなスモールトーク。背後に見え隠れする過酷な現実と、過酷ゆえの苦い喜劇。いくつもの韻文によって構成された、ドイツのベストセラー作家による社会劇。」
とても面白い戯曲でした。また新しい言葉の世界を試すにふさわしい野心的な作品だというのが、上演をしてからわたしたちが感じた印象です。すのでどうかリーディングを聞きに来てください。ラボ公演は、さまざまな試みを今後も持続してゆくつもりですが、それを通して、またべつの視点から演劇を考え、それが本公演にも反映されればと考えていますし、そのことで集団創作の手がかりになればいいのですが。
ニュータウン入口
二〇〇七年の遊園地再生事業団は、『モーターサイクル・ドンキホーテ』『鵺/NUE』といった方向から、『トーキョーボディ』『トーキョー/不在/ハムレット』の路線にあらためて戻った。若い俳優を中心とした出演者たちとの共同作業による、『ニュータウン入口でした。
もうあれから三年が過ぎてしまった。
四月に「リーディング公演」、六月に「ワークインプログレス」。これは『トーキョー/不在/ハムレット』と同じ「作り方の試み」。けれど、同じことをやってもしょうがない。そこからまた異なる表現がなにかできないか。
考えることはまだあるはずだし、演劇の可能性をもっと拡大すること、演劇を通じて、作る側も、そして観客も意識を拡張するための舞台ができればと考える。本公演が上演された(三軒茶屋シアタートラム)九月の上演まで作業は続き、『トーキョー/不在/ハムレット』と同様、いくつかの試みとしてのプレ公演、ワークインプログレスを通じて作り上げた。
若松武さんをお迎えしての本公演、さらにオーディションによって集まった俳優によって様々な試みをした。その試みが、また誰からも理解してもらえなかったかもしれないし、いまの演劇の潮流からはまったく外れたところで作品ができていたかもしれないが、それはそれで、まあいいかなとしか考えようがない。なにしろ、そんなふうにしかできないからだ。二〇〇〇年代になってからはじめた「遊園地再生事業団」の方法だ。つねに考えること、考え続けていること、その運動している状態自体が遊園地再生事業団と、宮沢の演劇へのアプローチだ。潮流から遠く離れ、だが、現在にコミットしつつ舞台を作ってゆこう。それは刺激的な試み。むしろ、作っている自分たちにとって作業それ自体が、刺激的な体験になることがもっとも必要とされる。
さらに、二〇〇八年の四月、NHKの芸術劇場で『ニュータウン入口』(芸術劇場版)が放映された。「映像作品」として、なにかを作ろうという野心があった。舞台をどのように映像化するか、映像として記録を残すかにはさまざまな方法があるだろう。いま、こういうことをやりたかったという、NHKのNディレクターと宮沢との共同作業だ。機会があったらどこかで観てもらいたい。
まだまだ、遊園地再生事業団の試行はつづく。
鵺/NUE
世田谷パブリックシアターの主催により、野村萬斎企画「現代能楽集」のシリーズに宮沢が挑戦した作品。謡曲「鵺」を題材に、宮沢が書いたのは、『鵺/NUE』である。ヨーロッパ某国空港内になるトランジットルームを舞台に、ヨーロッパ公演を終えた演出家、俳優らが、かつて日本の小劇場で活躍し演出家と供に舞台を作っていた人物「黒ずくめの男」に出会うところから物語ははじまる。
過去の劇言語を現代によみがえらせることをコンセプトに、清水邦夫の戯曲を大胆に引用した作品。宮沢にとっては、はじめて仕事をさせてもらった若松武、上杉祥三らとの仕事で、またべつの刺激を受けた記念すべき作品になった。さらに清水邦夫さんが、現代人劇場、櫻社のために書いた七〇年代の作品を引用することで、ある過ぎ去った時代からいまに繋がるなにかを求める作品になった。
モーターサイクル・ドン・キホーテ
ハーバード大学のスティーブン・グリーンブラッド氏の立案によって、シェークスピアの失われた戯曲『カルデーニオ』をもとに世界数カ国で、それぞれの解釈によって創作された作品の日本における上演の実践として作られた舞台。横浜赤レンガ倉庫で2006年5月に上演された。赤レンガ倉庫の建物の構造を生かしバイクを走らせたが、『カルデーニオ』が、セルバンテスの『トン・キホーテ』を元にしていることから男二人の旅の物語であり、補助線となったのは、往年のアメリカ映画『イージーライダー』である。タイトルは、もちろん、チェ・ゲバラの青年時代を描いた『モーターサイクル・ダイアリー』からの引用。どちらの映画でもバイクで旅に出るとき登場人物たちは、「俺たちはドン・キホーテだ」と言う。男二人が旅をすれば、それは世界中どこに行ったって、「ドン・キホーテ」なのである。横浜市鶴見区のバイク屋を舞台にした、男と女の愛憎、そしてバイクの物語。ベースになっているのは、『カルデーニオ』。ここにグリーンブラッド氏の言う「文化の流動性」はあった。この舞台に関する詳しい話は、こちらのサイトで批評家の内野儀さんが解説してくださっているので参照していただきたい。
トーキョー/不在/ハムレット
上の写真は、『トーキョー/不在/ハムレット』である。あれからもう二年が過ぎてしまった。過去の作品にいつまでもこだわっていてはしょうがないが、反省はいろいろある。そして、『トーキョー/不在/ハムレット』で試した方法をまた発展させ、あるいは、そこで考えたべつの方法や、いま、有効性を持った演劇として書くべきドラマをやはり模索しなければ、ひとつひとつの試みはただ、やりっぱなしで終わってしまう。また考える。『トーキョー/不在/ハムレット』で試した、「プレ公演方式」、あるいは、最近よく使われる、「ワークインプログレス」の連続上演の方法は、すでに書いたように、『ニュータウン入口』であらためて試してみるつもりです。けれど、『トーキョー・ボディ』と『トーキョー/不在/ハムレット』からはじまった遊園地再生事業団の新たな展開は、これからの舞台にどうつながってゆくか、それに期待していただきたいのです。