富士日記 2.1

Aug. 23 Mon. 「ごぶさたしていました」

いまや、Twitterで、さまざまな情報は発信され、なかには日々のことを書くのがあたりまえになったし、読む側にしてみればスマホしか持っていない層が増えているという。つまり、MacWindowsも使ってないわけで(つまりコンピュータに縁がない人たち、必要としない人たちがいる)、そうなるとなあ、ブログだの日記だの、長い文章を読むのは面倒だろう。Twitter140文字に人はもう慣れてしまったのだ。
そんなご時世に「富士日記2.1」を更新するのは反時代的である。しかもだ。それこそ僕がTwitterをはじめてもう9年になり、そこから一気に「富士日記2.1」の更新頻度は下がった。なんとかしよう。続けようと一年にいっぺんは考えるのに長続きしたことがない。うっかり忘れ、たいてい一年が過ぎている。去年は舞台の告知をしょうと、かつてだったら稽古のことを毎日、書いていたが長続きしませんでした。それもしょうがない。Twitterで短い言葉ながら稽古の記録を書く。ほかにも稽古の日々を書く。かつてはそうではなかった。稽古を終えてから考えたこと、演劇についてあらためて疑問が出現し、それをどのように考えられるか検討していたように思う。というのも稽古のなかで俳優に教えられるからである。そこでからだを動かしている人たちがいる。そうした実践こそが演劇の考え方になる。そのための「富士日記2.1」だった。って、まあ、「富士日記2.1」は演劇のためだけにあるわけではないのだが。
そして人間は堕落する。書かなくなってしまう。

今年の夏は特別だったので、時間が比較的あった。去年はなあ、稽古のほかに、「熊野大学」に行ったり、日本近代文学館が主催する「夏の文学教室」に行ったりと忙しい夏だった。あっというまの一年ですね。で、時間があるものだから「遊園地再生事業団 PAPERS」の更新をしていた。いろいろわからないことがあり、考えた、考えた、考えました。それにはスマフォで読むということを前提にしているところがあり、更新しているとわからないことが生じるのだ。もちろん「完全スマフォ対応」には時間がかかりそうだが、それでも少しは更新していたわけだよね、「過去の公演」のページを設けそこに舞台写真を載せると同時に、文章も少し書き直した。
すると、いくつかのページにおいて、この下のほう、「宮沢章夫の代表的な著作」のこのブラウンの地がですね、スマフォ(僕はiPhoneですが)だと一部白いままになっているのだ。いくら直してもわからない。ただ、そうならないページもある。で、この二つのソースを見比べてなにがちがうか探す。わかったのは、< META >タグの一行があるかどうかだった。それを消すと正しく表示される。
まあ、コードのまちがいを発見するのは興味深い作業だったが、それとはべつに小説も書いていました。短編小説を書きませんかと「新潮」のM君から声をかけられて最初は書けなかったんだよ。書くテーマは決まっていたのに、なぜか書けない。50枚なんだから、まあ、一週間もあれば書けると思ったら大間違いだ。50枚は長い。240枚より長い気がした。短編はむつかしい。というか、「小説を書く」と気軽に考えていることがそもそもの間違いだ。どれだけの先人がこのことに苦労し、新しい文学を生み出そうとしてきたか。坪内逍遙は「小説」という存在を知ってから六年後に『小説神髄』(1985年)というものすごい本を書いてしまった。たったの6年で「神髄」がわかったんだ。とはいえ、その当時、まだ小説のことを誰もわかっていなかったし、坪内逍遙もまた、そのことを考えつくしたとおぼしい。これは以前、筑摩書房から出た「明治の文学」のシリーズの解説で書いたことでもあるが、明治初期の小説家をめざしていた者らは教養がありすぎた。古典の教養。たとえば、歌舞伎、浄瑠璃、能といった古典テキストから、あらたに「小説」というまったく新しい文学ジャンルに挑戦しなければならなかった。それにしたって、六年で「神髄」とは大きく出たもんだなあ。

そんなわけで、これから「スマフォ対応」の「PAPERS」を作る勉強をしようと思います。それと同時に小説も書きます。「スマフォ対応」のコードを書くことについて、小説を考えるくらいの情熱を持って挑もう。て、普通そういうのは、二十代のはじめに考えることではないだろうか。いろいろなことが起こり、いろいろな反響があって、考える時間がたっぷりあった夏だ。修行の夏だった。学生が好きなので、彼らのために仕事をするのは当然だし、彼らを守る。そして自分自身のことを考え前に進むことをまた新たに意識した。
とはいえ、先日、山縣太一がやっているオフィスマウンテンを観たし、きのうは岡崎芸術座の『バルパライソの長い坂をくだる話』(作・演出 神里雄大)も観ている。オルタナティブなというか、インデペンデントな作品に触れる機会が多い。刺激的である。山縣太一をはじめとするダンサーたちの動きも魅力的だったし、『バルパライソの長い坂をくだる話』は日本語で書かれた戯曲をアルゼンチン俳優によってスペイン語で上演される。それを字幕で私たちは読む。この複層性にひかれた。
それと、重要なのは、97日に「music is music presents レクチャー・シリーズ第三回「国道16号線スタディーズ」を開くことです。これは面白い。いま注目の「国道16号線」についていま私が考えていることを存分に話し、そして、書籍版『国道16号線スタディーズ』(青弓社)の著者の一人である塚田修一さんをお招きして話を聞く。詳しくはこちら。music is music presents レクチャー・シリーズ」まで。まあ、これは「サブカルチャー」「文化研究」の分野の興味なわけですが、やりたいことはあれこれある。まだある。それと、繰り返しますが、近日中に「スマフォ専用サイト」も作るのでお楽しみに。さて、こういったさまざまなことを続けてやっていけるだろうか。やるね、おそらくまだ時間があるから。

(8:02 Aug. 24 2019)

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