富士日記2PAPERS

Jan. 2007 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Mar. 15 thurs. 「都内をまわる」

■個人的にはきわめて興味深いサイトを見つけそれをずっと読んでいる一日だった。夕方、きのう紹介した「CLUBKING DELUXE」が開かれる、「super deluxe六本木」の近くに駐車場があるかを事前にチェックしに行きがてら、その途中、青山のデニーズで読書をしていた。小説に関してある作家が講義をしている本だったが途中で大笑いする箇所があった。で、六本木へ。ほどなく「super deluxe六本木」の近くに駐車場を見つけた。さらに、ユーロスペースの場所が変わったことを最近知り、その場所をたしかめるために、渋谷へ。東京本店の先、松濤に入る直前の交差点を左に折れて細い路地に入ると、かつてはいかがわしい町だったがいまではすっかり様子が変わっていた。ここでも駐車場を発見。ノーム・チョムスキーのドキュメンタリーを見に来ようと思っているのだ。
■ほかにもいくつか戯曲のための資料にあたったり、あとは、まったくべつの勉強をする。ああ、時間があるって素晴らしい。しかし、本ってやつはさ、読んでも読んでも、きりがないくらいものすごい歴史的な蓄積がある。全部、読めるわけがない。そのあきらめから本を読むことはあるのではないか。
■あ、そういえば、このあいだ「実存主義」のことを書いたが、クロード・レヴィ=ストロースが『野生の思考』でサルトルを徹底的に批判したのは有名な話だけれど、そこから構造主義がはじまったことになっている(まあ、単純化していえば)。けれど、この国では『野生の思考』の翻訳が出たのがたしか一九七六年ぐらいだったとすれば、六〇年代から七〇年代の半ばまで、構造主義の影響はまったくなかったのだろうか。あと、カミュを読み返すと、たとえば『シーシュポスの神話』で書いていることって坂口安吾的なんだけど、あれは、あれですか、坂口安吾が影響されていたのだろうか。安吾はフランス語が堪能だったはずだし。そこから、サルトル的な、カミュ的な、安吾的な、実存主義的気分が戦後からずっと響いているような気がし、いまでも、ちょっと気の利いたことを書くひとの文章は、もうすでにそれ、安吾が書いてるよってことは多い。
■あんまり変わっちゃいないな。というか、安吾的な気分のようなものを乗りこえるのはかなり困難だ。しかも安吾は徹底した唯物論者だったし。だからって構造主義(およびポスト構造主義)がこの国で学問的というより、文学的にそれを乗りこえられることはあるのだろうか。といったわけで、小説を書くにあたって考えるべきことは数多くあり、次の戯曲の執筆にあたってもそうだが、なにかふつふつとわいてくることがいま生まれそうだ。小説を書くモチベーションもわいてくるようなことを感じているのは、この何週間か、いろいろ読んでいることの結果だが、来たよ来たよと、ようやく、なにかが出てきた気がする。中上健次ならそれをシャーマニズム的語り部の霊性のように語ったかもしれないけれど、うーん、そうだとはっきり言えるほど僕はえらかない。とはいえ、なにか特別なものだとしか言い様がないし、それは結局、研究者や学者ではない作家という、いわば一種の芸人、あるいはマレビトみたいな者が持つ、だからこそ作家であることの証しのようなものだろう。と、自分に言い聞かせて書くのである。

(4:05 Mar, 16 2007)

Mar. 14 wed. 「告知など」 ver.2

CLUBKING DELUXEフライヤー

■ここで告知です。「super deluxe六本木」というクラブで、3月30日(金)の夜9時から「CLUBKING DELUXE」というイヴェントがあります(翌日の朝5時まで)。僕も参加します。茂木健一郎さんと「リトルブリテン」について対談したり(「リトルブリテン」はBBC制作のテレビドラマ。「大英帝国」に対する「リトルブリテン」てことは、「小日本帝国」みたいなものですか?)、川勝正幸さん、下井草秀一さんと、去年の夏に高円寺の円盤で開いた「文化デリックPOP寄席」みたいなことをするでしょう。情報は随時、桑原茂一さんのブログで更新中です。きちっとしたイヴェントというより、クラブでゆるい感じで進行する予定のようです。見たいものを見、そうでなければあとは酒を飲んだり、友だちと話をしたりという一夜の催し。いちおう僕は出演者だけれど、一昨年のライジングサンの夜のような、あの楽しみが再現できるのじゃないかといまから楽しみだ。ぜひ、大勢の方のご来場を僕からもお願いします。
■僕はこの日、「super deluxe六本木」で夜をあかし、翌日(31日)は多摩美術大学上野毛校舎で、多摩美の教授であられる清水邦夫さんの退官記念公演のアフタートークに別役実さんと参加する。『鵺/NUE』で清水邦夫さんの七〇年代前後の戯曲を大幅に引用した縁で、今回のアフタートークになりました。まったくなにが人の行方を左右するかわからないものです。多摩美の上野毛校舎といえば、僕が受験した場所だ。地方から慣れない東京にやってきて、そこで目の当たりにしたのが、多摩美を受験に来る者らのでたらめなファッションだった(一九七五年当時の)。なにか祭りでもあるのかと思ったよ、俺は。それで入学したら、実際に授業があるのは上野毛ではなく八王子の山の中だ。驚かされた。
■そんなこともありつつ、舞台に向けて準備もしているけれど、つい、何冊か立て続けに本を読んでいた。「考えない」(新潮社)に連載しているエッセイのゲラをFAXで返したあと、編集部のN君からメールがあって「次は小説を」と言われるのだが、よーくわかっているし、ほかの方からも声をかけられているのになにをしているのかと、うつうつした気分になってめいるが、そんなことをここに書いてもしょうがない。あるいは、このサイトをよく読んでくれときどきメールをくれるS君からも、べつの長編小説について期待している旨のメールがあった。なにをしているのだろうと思いつつ、いろいろな仕事を引き受けている。つい最近来た仕事は、あるマーケティングに関する雑誌から「二、三年後の消費者の意識」について僕の考えをインタビューしたいという内容だ。それ、俺に聞くか。うーん、引き受けてもいいと思うものの、でもなあ、俺、そういうことについてまったく考えていない。ぜんぜん応えられないのじゃないだろうか。

(11:07 Mar, 15 2007)

Mar. 13 tue. 「椅子について」

■そういえば、携帯電話を買ったときのことだが、ヨドバシカメラの店員(まあ、ヨドバシカメラで買ったわけだが)のすごい仕事ぶりに感心したのは、カウンター越しに書類を見せつつ、文字を書く手際だった。書類はこちらを向いているわけである。だからカウンターを挟んで立っている店員から書類は逆さに見えている。けれど彼女は(女性だったのだが)そこにすいすい文字を記入していく。つまり、僕のほうから正しい形で、彼女からは逆さになった文字を記入してゆくのだ。この技はいったいなんだろう。
■そんなことを思いだしていた。この数日、いろいろ勉強していたわけです。で、ある古典を探しにきょうは紀伊國屋書店に行った。簡単に見つかるだろう、岩波文庫に入っているだろうと棚を探したがなかった。目録を調べてもない。どうやら絶版らしい。え、そうだったのかよと、残念な気持ちになって家に戻り、古書店のサイトから探して見つけ注文した。うーん、なんで本はなくなるのかだ。しかも私は図書館で本を借りると返さないという基本的な性格があるのでうかつには借りられない。
■夜、制作の永井と打ち合わせ。オペラシティのなかにある面影屋という喫茶店だ。いくつか確認しておくべきことを話し合う。永井が戯曲はどうですかというのだが、もうリーディング公演まであとわずかになっているのを思いだした。うーん、考えてばかりいてもだめだった。書き出さなくては。

■ところで、椅子は、ものを書くことを職業にしている者にとって(様々なデスクワークの方にとってもそうだろうけれど)仕事道具のひとつだと最近、つくづく思ったのは、いま、仕事部屋にある椅子で集中してなにか書いていると腰がひどく痛くなるからだ。それとはべつに、10数年前、粗大ゴミ置き場に捨てられていた椅子を拾っていまでも使っている。腰を下ろす部分を直したらやけにそれがしっくりくる。居間で使っているが、これは魔法の椅子だ。よくわからないが仕事がしやすい。ホテルにこもって仕事をしたとき、たとえば、『演劇は道具だ』を書いたとき、これをホテルまで運んだ。不思議きわまりないほどしっくりきて書きやすい。ただ仕事場にある机の高さに合わない(というのも、高さ調節がないからだ)。で、以前から人に勧められていたのが、「アーロンチェア」だ。腰にいいらしい。少々、値段が高いのでどうしようかずっと迷っていたが、やはり、腰は大事である。少し集中して仕事部屋で書いていると腰のあたりがひどく張る。椅子のことばかり考えてもう何年も経ってしまった。ようやく買うことにした。
■いろいろからだが衰えているわけです。たとえば、夜、本を読もうとすると、できるだけ明るくないと目が疲れる。それ専用に照明を買ったり、老眼のために眼鏡を買ったり、それで今度は椅子である。からだが衰えると出費がかさむ。そういうことを考えるといやになるんだけどさ、もっと考えるべきことはほかにあるはずだし。
■関係ないけれど、知人の日記を読むと、そこにメールアドレスがあって、そもそもリンクが貼られていないのはともかく(簡単にできると思うものの)、「上記はお手数ですが手で打ってもらう事になりますが、ご快諾ください」とあるのは、「半角英数」で記されているのだからコピーアンドペーストでいいと思うわけだよ。しばしば、メールアドレスがサイトや掲示板に記されているとそれを自動で集めるソフトがあり、そうして集められたデータが迷惑メールの元になるのはよく知られている。だからなかには、全角で記している慎重な人もいる。するとそれをあらためて半角でまさに「手で打つ」ことになる。あれが面倒だ。それにしても、この知人の「手で打ってもらう事になります」がいつも理解できないのだ。あと、この人は、どこかのブログに早く引っ越すべきだと思う。大きなお世話だが。

(8:22 Mar, 14 2007)

Mar. 12 mon. 「なつかしいとはなにか」

新しい携帯電話

■携帯電話を新しくしたのだった。もう同じ機種をかなり長いあいだ使っていたし、それで事足りていたが、「携帯電話を買いに行く」ということをしてみたかったのだ。
■ちょうど土曜日だったこともあり売り場は異常な混雑だった。それで手続きをすませてから、新しい機種が手に入るまで二時間待ちだと言われたので新宿西口あたりでぶらぶらしていた。コンピュータ売り場に行くと異常な大きさのディスプレイがあった。これでテレビも見るということらしいが、それにしたってコンピュータの作業をこの大きさでするというのは、ひどく違和がある。まあ、慣れってのもあるだろうし、単純に見やすいから目が疲れないとかいろいろいいとは思うけれど、こうなると「個的」なものではなくなる気がした。するとこれで文章を書くときどうしたって文体とか、書く内容そのものに影響を与えるようにも感じる。
■原稿用紙にペンで書くことから、コンピュータで書くのが主流になる経過のあいだにいくつか議論はあったが、モニターの大きさはまたべつの議論を生む。まあ、単純におかしいと思うんだよあれでものを書くということは。まあ、ゲームをするとか、DVDを見るならべつに問題ないし、あるいは映像の編集でも効果はあるだろう。けれど「書く」はどうもちがう。このことにより、「書く」という行為においてコンピュータはまた、べつの局面に入ることになるのではないか。「書くにふさわしいディスプレイ」がきっとある。まあ、単純にでかい画面で文字を入力しているのを想像するとひどくまぬけな気がするのだ。

■必要があって久しぶりにWindowsXPを立ち上げたので、ついでに、Internet Explorer 7でこのページを確かめたところ、少し不具合があり、じゃあ、Windows版のFireFoxではどうかと思ったらそちらはほぼ意図通りのビジュアルだ。ただ、Windows版のFireFoxでは、「■」がですね、小さくなっている。まったくこういった統一はできないものかねと思いつつ、とりあえず、もっとも使われているだろうと思われる、Windows版のIEのためにCSSに簡単に手を入れた。最初、どうもうまくいかなかったので、相馬に相談しようかと思ったが小細工をしてことなきをえた。ほんとにまあ、小細工である。でもまだ、Internet Explorer 7はおかしなところがあるが、まあ、そんなに気にならないかと思ってそのままにした。そういうことを考えるのもそれはそれで楽しい。
■少し前に、WAVE出版のTさんから「しまおまほ」さんの本を送ってもらったが、しまおさんは、豪徳寺に住んでいたのだった。以前、住んでいたところからすぐ近くに水色をした木造の洋館があり、風情のある建築だとそのころから思っていたが、そこに住んでいたとは知らなかった。その後も、しまおさんは豪徳寺近辺に住んでいたらしく(しかも僕が住んでいたところからやたら近いらしい)、べつのエッセイには僕も知っている店がしばしば出てくる。とても親近感を持った。で、Tさんからメールをもらい、この左サイドの「解体中の家」の写真に見覚えがあるとあったがこれは「梅ヶ丘」の商店街のなかで撮った写真だ。「梅ヶ丘」といえば豪徳寺の隣の駅であり、しまおさんの生活圏の一部であるらしい。豪徳寺に住むと、梅ヶ丘、経堂が、だいたい出没地になるのだった。歩いても行動範囲になるが、自転車だったらすぐだ。
■しまおさんの本で、なつかしい気分になったが、いったい「なつかしい」とはなにかについて考えることにもなった。このあいだ桑原茂一さんと電話で話していたら、「サディスティック・ミカバンド」の再結成のライブがすごくよかったと茂一さん。これまで郷愁とか、懐かしいことを否定し、過去の音楽にまったく興味がなかったが、再結成された「サディスティック・ミカバンド」にはそういった懐かしいといった感がまったくわかず、現在的なものとして堪能したという意味のことをおっしゃっていた。

■しばしば、音楽を聴くと、人は「懐かしい」と口にすることがある。ところがですね、むかし読んだ小説を再読しても、「懐かしい」と思うことはまずないのだ。映画も同様に。じゃあ、「クラシック音楽」はどうか。あれも、かなり過去のものだが、クラシックを聴いて、「なつかしい」と口にする人はまったくいない。となると、「なつかしい」は「ポップミュージック」の持つある特別な感傷なのではないか。そもそも、「ポップミュージック」は「なつかしさ」をその前方に発動させるなにものかを持っており、それはつまるところ、「現在」ときわめて強く結びついていることによって、時間の経過がもたらすのはその音楽が、「時代」を象徴することになるからだ。音楽がもつ特性だとも考えにくいのは、先にも書いたように、クラシック音楽がなつかしくないからだ。「ポップ・ミュージック」の「ポップ」は「なつかしさ」をあらかじめ内包している。その「あらかじめ感」こそが、「ポップ」の「ポップ」たる由縁にちがない。

(14:00 Mar, 13 2007)

Mar. 9 fri. 「夜のリレー」

サルトルとカミュの作品

■埼玉県の富士見市に「キラリふじみ」という公共劇場がある。その芸術監督をいま、生田萬さんが担当なさっているという。生田さんの発案で、阿部和重君の『グランドフィナーレ』を舞台化しようとしているそうだ。生田さんの前に「キラリふじみ」の芸術監督をしていた平田オリザ君から(生田さんからの橋渡しとして)、阿部君に連絡をとって許可を得たいという内容のメールが僕のところにあった。僕は阿部君の連絡先を知らない。申し訳ないと思いつつ、青山真治さんにメールしたのだった。青山さんから阿部君に連絡をとってもらった。僕のメールには、趣旨のようなものを簡単に書いてあったのでそれが阿部君に伝わり、こころよくOKが出た。青山さんから返信をもらった。それでまた平田君に僕から返信。というわけで、生田さんから、阿部君まで連絡が伝わるあいだに、「平田オリザ」→「わたし」→「青山真治」という(自分で言うのもなんですが)豪華リレーがあったのである。それも深夜の3時過ぎのリレーだ。谷川俊太郎さんに「朝のリレー」という有名な詩があるが、こちらは、「深夜のリレー」である。
■私にはこうした「橋渡し役」のような仕事はかなり苦手な範疇に属する。青山さんに助けられた。青山さんの迅速な対応で素早く動くことができたのだった。ことの発端は「キラリふじみ」なので、僕が青山さんに感謝しているのもなんだか妙な経路なのだが、でも、直接的には僕が助けられた。
■そんな日々のなか、懸案だった、筑摩書房のウェブ連載の原稿も書きあげた。これで少し気持ちが落ち着いた。というのも、昼間、早稲田に行って、最後の、これがほんとの最後の仕事をし、それから原稿を仕上げたので一段落ついたのである。で、「実存主義」についてあらためて考えようと思ったのは、一九四五年の敗戦後、様々な思想がこの国に一定の影響を与えたなかで、実存主義がずっと響いているように感じるからだ。すでに過去の思想のように扱われているサルトルはじめ、実存主義が、現在における「主体のありかた」「主体の思想」に大きく影響しているのではないか。それはいまでは、きわめて大衆的な思想というか、気風というか、時代の気分のように流通しているように思える。その原点を考えなおすこと、「文化」にあたえた反映を考えることが、たとえば、六〇年代以降のこの国の演劇にあたえた影響や傾向となった筋道を探り、いまを再考することにおいて意味を持つにちがいない。きのう書いた本の、「ニューレフトからポストモダンへ」という問題提起から刺激されたことも強い。そしてニューレフトが、というかある時期の青年たちにあたえたサルトル、カミュの影響のことを考えると、ニューレフト創世記の人たちの思想、気質(それは戦後の豊かさの萌芽の時代を反映し、あるいは、アメリカナイズという時代の空気があったことも大きいのだろうが)の形成にやはり大きく作用したと思えてならないのだった。それはさらに、「六八年」へと続く道だ。少し時間ができたので本を読む。

■ずいぶん前から面白いと思っていて、書くのを忘れていたのは、テレビの話だ。金曜日の夕刊のテレビ欄を見て「タモリ倶楽部」を探すと、きょうなにをやるか簡単なコピーが書かれている。それを読んで、タモリさん以外、イレギュラーに誰が出演するか予想するのが面白い。わりとあたる確立が高いのは、その日の内容を見ると、だいたいこういった人たちが出てくるのだろうといった傾向があるからだ。だから「タモリ倶楽部」でもっとも見どころなのは、冒頭である。誰が出てくるかどきどきしながら見てしまう。
■それで思いだしたが、このあいだ青山を歩いていたら、「宮沢さん」と突然、声をかけられて驚いて見ると、『鵺/NUE』に出てくれた、半田健人君だった(というのも半田君が以前、「タモリ倶楽部」に出ていたことを思いだしたらだ)。急ぎの用事があったので軽く挨拶をしてすぐにわかれてしまったが、まあ、半田君、なにか話しはじめたら止まらないからな。七〇年代のことなどものすごく詳しい。ちょっとふったりすると大変なことになる。しかもその時代の歌謡曲などが好きで自作の曲をそれふうに自分でアレンジする。あのマニアックさはなにごとかと思うのだった。七〇年代の後半にまだ新宿西口の副都心が整備されていないころ、そこにあった空き地で公演した黒テントを見たという話を、稽古中だったか、はじめて会ったときだったか半田君にしたら、すぐに、それがいまどの高層ビルになっているか教えてくれた。地図上で(つまり位置で)、判断するのではなく時代でそれがわかるらしい。その情熱がすごい。
■しかしテレビってのは、かつて作り手側に僕はいたが、いまではすっかり、恣意的な視聴者である。ぼんやり見ている。ぼんやり見てあははあははと笑っているが、それでもやっぱり、好きなものとそうでないものははっきりしている。それについて詳しく書くのは、いまではあまり興味がないが。

(16:29 Mar, 10 2007)

Mar. 8 thurs. 「近況。原稿も書かずに本を読む」

studio2 二〇〇七年三月三日

■写真は、京都造形芸術大学のstudio21である。このあいだ行ったときの写真だ。僕が教えていたころに比べ、さらに新しい建物ができており、印象がかなり変わっていた。
■原稿を書こうと思っていたが、ついつい、『新左翼の遺産 ニューレフトからポストモダンへ』(大嶽秀夫・東京大学出版会)を読んでしまったのだった。とても学ぶことが多く、そこから「文化」についていくつかのことを考えていたのだ。面白いので一気に読んだ。原稿がすすまない。筑摩書房のIさんからメールをいただいた。だが、書けない。なにしろ本を読んでいたし。あ、Iさんから、ちくま新書の『郊外の社会学』(若林幹夫)という本を送ってもらってこれも興味深い内容だ。「文學界」「新潮」「群像」と文芸誌が立て続けに送られてきたのでそれにも目を通す。それから「考える人」(新潮社)のゲラチェックをしたのだが直しがかなりあって少し苦労した。といったところが7日の話だが、きょうは昼間、永井に会って打ち合わせ。いろいろな仕事がある。そして舞台に向かってもう動き出さないとまずい。原稿が書けないので気が晴れない。といっているうちに、別役実さんの『壊れた風景』のなかの「せりふ」を取りあげて書く、「東京人」の原稿を書きあげる。この連載は、掲載された月に上演され、僕の文章を読んだあと観に行くことのできる作品を取りあげる。字数が少ないのでまとめるのに苦労した。それを読んでから舞台を観に行くのはいかがでしょう。
■そんなわけでほんとに近況だけでした。原稿を書かなくては。だめである。チョムスキーのドキュメンタリーも観に行きたいし。いろいろ落ち着いて書きたい論考もあるのだが。

(4:43 Mar, 9 2007)

Mar. 6 tue. 「黒曜石のことなど」

黒曜石

■このノートが滞っているというのは、つまり、原稿が書けなくて苦しんでいるということである。せっせとひとつずつ書いている。四本ぐらいたまっていて、きょう(6日)になってようやく二本書けた。筑摩書房のウェブに連載する原稿と、「東京人」の連載はまだ書けない。迷惑のかけっぱなしである。で、あまりノートが更新しないのもなんなので、メモ程度に書いておこう。すぐに過去のことを人は忘れてしまうからな。オーディションが終わって26日(月)は完全に休んだ。ぐったり疲れたのだ。27日(火)、28日(水)と、なにをしていたかもう忘れた。さらに3月に入って1日(木)も記憶にないが、誰か、知っている人がいたら教えてほしい。
■あ、そういうのはどうでしょう。人から教えられる日記。それはうそかもしれないが、他人がそういっているのだから、俺はそうだったかもしれないと、他人に言われるがままの日記だ。
■ただ、たしか27日には永井が家に来てオーディションの合格者を決めた。京都で学生による卒業制作の舞台を観たのは3日(土)のことだ。東京に戻って4日(日)には、ニブロールの新作『no direction』を観たし、先週、あれは28日だったか、そういえば、お茶の水にある明治大学の博物館に行って「岩宿遺跡」で発掘された石器を見たのだった。それぞれ刺激的な経験になった。5日(月)原稿を書く。京都で、またべつの学生から舞台の映像を記録したDVDを渡されたがそれを観ようと思っても時間がない。それぞれの感想はまた時間ができたら。
■さらにヤフーオークションで「黒曜石」(上の写真)を落札したのだけれど、家に届いた黒曜石はまるでガラスのようだ。きれいだなあ。採掘されたのは、長野県の「星糞峠」という土地だ。明治大学の博物館にも「星糞峠で採れた黒曜石」が展示され、その土地の名前が気になっていたのである。どうなんだその「ホシクソ」という言葉は。それはともかく私は原稿を書こう。筑摩書房のIさんが待っているのである。

(12:38 Mar, 7 2007)

Mar. 2 fri. 「気がついたら三月になっていた」

■『ニュータウン入口』のチケットは3月3日(土)の午前10時から発売です。詳しくはこちらのページまで。
■私はいま、京都である。京都造形芸術大学映像舞台芸術学科舞台コースの卒業制作・優秀作品の上演が3日にあるというので、そのアフタートークに参加するためやってきたのだ。京都に着いたらもう夜10時過ぎだったのだが、それというのも、いろいろ東京で片づけておかなくちゃならない仕事があって、ばたばたしているうちにもう夕方だ。東京駅に着いたら、「のぞみ」の指定がのきなみ満席だった。驚いた。まあ、金曜日の夜なので、ある程度は予想していたが、こんなに混んでいるとは思わなかった。ようやく新幹線に乗れたのは夜8時近くだ。
■京都の夜はあいかわらずひっそりしている。宿泊しているホテルの近くに鴨川が流れている。あしたは少し早起きして川を見てみたい。
■そういえば、今週はなにをしていただろう。オーディションが日曜日に終わってから、最終の選考をした。これで次の舞台の大枠がきまった。かなり新しいメンバーとの共同作業になる。どんな舞台になるかまだ自分でもわからない。あと原稿を書いていたのだな。せっぱつまっているのだ。うーん、京都から帰ったら、まず小説を書こう。それから戯曲を書く。のんびりもしていられない。というわけで、チケットが発売されるので、それを告知しようと思ってノートを更新したのだ。また追って詳しいことは記すことにしよう。では、京都より。

(1:26 Mar, 3 2007)

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