富士日記2PAPERS

Jun. 2007 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Jun. 30 sat. 「初日もあけ、そして二日目」

■風邪をひいてのどが痛いので手短に公演の報告を。無事に初日はあけたものの、もう少しここはこうすべきかと思うことがあり、僕には珍しく二日目になって何箇所かの場面を変更した。初日を終えて家に戻ってから朝の五時ぐらいまでずっと考えこんでいたのだ。そのせいで風邪をひいたのかもしれない。それで少し眠ってから森下スタジオへ。変更を俳優たちに告げ、細かいダメ出しのあと、変更箇所を稽古。
■で、まあ、ポストトークなどもあって司会を若い斎藤にまかせたら、だめな司会ぶりが面白くてしょうがない。少し話をし、俳優を何人か舞台に呼んで進行したのだが、質問を会場から求めても、たいていこういう場では質問が出ないのはよく知られている。外国はちがうんだよな。あちらの人は自分の意見をこういうとき、がんがんに話す。でも、初日には少し鋭い批評の意見があって、それに僕も、むしろ喧嘩腰で応接してしまったので、会場の空気は一気に硬くなり、ほかの質問を受けても出てくるわけがない。ただ、その瞬間、裏取引みたいなポストトークではないなにかわからない熱さが出現して、その質問と意見をしてくれた人に感謝した。二日目のポストトークでもとてもいい質問や意見が出たのだ。あるいは、その後、メールで感想や意見もいただきました。ありがとうございます。
■さて、舞台の内容としては、多少のミスはありながらも、俳優はみんなしっかり稽古で作ったものを表現してくれる。単純に言えば、この短い稽古期間でよくこれだけの台詞を覚えてくれた、こちらの無謀な要求に応えてくれたと感謝してやまない。多少のミスはどうでもいいのです。ミスしないにこしたことはないが、でもまあ、それ以上に表現すべきことはきっとあるのだ。あと一日。その先には九月の本公演があるが、あと一日の、<いま><ここ>をしっかりやろう。また舞台が終わってから詳しい報告はしたいと思います。

(6:30 Jul, 1 2007)

Jun. 28 thurs. 「初日を前にして」

■いよいよ「準備公演」の初日である。夜七時から森下スタジオで。詳細はこちらのページへ。そこでは「内容未定」となっていますが、いろいろな試みをしています。もっとできたか、もっとでたらめなことを考えられたんじゃないか、またべつの身体の発見ができたんじゃないか。まったく異なる方向や方法がどっかにあったと思うけれど、でも、いま精一杯のことはしたつもりです。ご期待いただきたい。
■本日は、いくつかまだしっかりしていない場面をなんどか繰り返し稽古した。もっとよくなると思える芝居を直してゆく作業。短い稽古期間ではあったが、いまのわれわれの途中経過を見てもらうことにしよう。そして、これが本公演でがらっと変わっているかもしれない。だから、アフタートークのとき、会場から意見や質問などしてくれるとありがたい。本公演に向けて、そして戯曲第二稿(最終稿)執筆への手がかりになると思われる。
■もっと実験的なことができたんじゃないかなあ。これまで積み上げてきた経験で、作ってしまった部分があるのは否めない。「からだ」から発するなにかが生まれたんじゃないかと、そのことに、もっと僕が意識的であるべきだった。しかし、リーディングの印象とはがらっと変化していると思われる。この公演が、次の本公演でまた、どう変化するか見届けてほしい。それにしてももう本番。あっというまのことだった。また異なる「演劇的身体」へ。またべつの、「劇言語」へ。少しでも考える運動を止めずにいられたらいいのだが。どこまでも追求だ。探求だ。上演後には、僕のアフタートークもあります。またしゃべります。たっぷり話をするでしょう。とにかくきょう(29日金曜日)から今週末は森下へ。遠方の方には申し訳ないけれど、もしよかったら。そして、三軒茶屋九月の本公演にも足をお運びください。では、劇場で会いましょう。

(7:14 Jun, 29 2007)

Jun. 27 wed. 「通し稽古。そして、稽古の試み」

『東京大学[ノイズ文化論]講義』

■少し疲れたせいか腰が痛くなった。きのうの稽古を終え、家に戻って夜11時から鍼の先生にわざわざ来てもらい治療を受けた。軽いうちに治療したら八割方治った。よかった。もう少しほっておいたらまったく動けない状態だった。一息つく。そんなおり、白夜書房のE君から連絡があって、アマゾンに、『東京大学[ノイズ文化論]講義』が登録されたとのこと。いま予約中。ぜひともこの機会に。

■二度目の通しをやったのだった。早いのか、遅いのかよくわからない。というのも、通常の舞台だったら、初日の二日前なら確実に通し稽古をしているし、舞台に早く入れたらゲネをやっているだろう。だが、稽古がはじまってまだ、10日ほどしか経っていないのだった。このよくわからない感じこそが、『ニュータウン入口』という作品を通じてやりたいことのひとつだ。
■『トーキョー/不在/ハムレット』もこんな時間の使い方で稽古をしていた。やはり、「稽古」について、疑問はいろいろに浮かぶのである。「稽古時間」や「稽古期間」はどのように設定されるものなのか。これは少し根本的に考えるに価するが、というのも、一日に2時間の稽古しかしない舞台について、ある人から聞いたことがあったからだ。その舞台が一ヶ月稽古したとしても、合計で60時間である。これが一日に七時間ほど稽古したら、9日もあればいいことになる。ただ、われわれはすでにリーディング公演をしているので、もっと異なる稽古の形態を試している。「準備公演」は通過点のような姿をしてあり、九月の本公演こそが稽古の最終地点になる。だからといって、「準備公演」の意味がないわけではない。繰り返すようだが、<いま><ここ>である。それをないがしろにしたらつまらない。前方にあるなにものかに向かって、<いま>を準備しているのではなく、すべては<いま>のためにある。だから、<ここ>だ。
■で、いろいろなことを今回も試しているが、稽古が終わってから家に戻るとあそこはもっと、こうなるんじゃないかといった演出プランも浮かぶ。あるいは、動きについて、もちろん振付家ではないので、ダンスのようなことは振り付けできないとしても、「身体の動き」について考える。それは『トーキョー/不在/ハムレット』から意識的になった。まだ、あるな。なにかまだある。

■きのうの通しで、まだ未確認だった部分を整理して、それから二回目の通しをやると、また新たにべつの部分の問題点に気がつく。解決の方法を考える。それで試してみる。試すことの連続だ。そのための稽古。その試みの舞台に、俳優たちも辛抱強くつきあってくれる。われわれ、というのはべつに、いまここにいる固有の「われわれ」ではなく、表現をする者についてだが、われわれにはきっとポテンシャリティがあって、その向こう側にジャンプできる者なのだ。だが、ついそこでジャンプすることをためらう。『1968年』(ちくま新書)で、スガ秀実さんが書いていたのはそのような意味だ。

 確かに、われわれは二メートルを跳べる「革命」の力量があるにもかかわらず、それが千尋の谷であるために、一メートル五〇センチの幅の谷の前で躊躇していると言ってよいだろう。われわれの潜勢力にとって、本当は、五〇センチの差異など存在しないのである。にもかかわらず、われわれは、その存在しない差異にとらわれてしまっており、そのことがシニシズムを生んでいる。

 ここで「われわれ」をためらわせる「存在しない差異」とはなんだろう。演劇という言葉は、本来なら可能性を広げるためにあるが、演劇を取り巻くさまざまなシステムによって人を窮屈にさせてはいないだろうか。だからジャンプをためらう。シニシズムに陥る。「存在しない差異」に煩わされる。そのことについて、『東京大学[ノイズ文化論]講義』でもっと詳しく語っているので、そちらを読んでいただきたいわけだが、ともあれ、「存在しない差異」は、存在しないはずだが、「存在しない」だけに、「ある」と錯覚しがちだ。そこから派生する、さまざまな表現におけるシニシズムに支配され、それが現在的な潮流になる。
 そこから逃れるにはどうすればいいか。そんなことばかり考えている。その考えている状態が、『ニュータウン入口』になればと思う。『東京大学[ノイズ文化論]講義』を単行本化するのに整理しているあいだ、ずっとそれを考えていた。だからといって、排他的に意固地になってもしょうがない。結局、表現できるのは、「わたし」の内部から出てくるものだけだ。観念で組み立てようとしたって出てくるわけがない。だから、「からだ」だ。

■少しでも、毎日、このノートを書き、稽古場の様子を伝えたいが、うまく書けないのだ。ただ、俳優をはじめ、スタッフにも助けられ、舞台は順調に完成に向かっている。初日は金曜日。もうすぐそこだ。ぜひとも劇場に足を運んで、その考えている状態を観に来てほしい。

(3:30 Jun, 28 2007)

Jun. 25 mon. 「照明の仕込みも終えて」

■稽古は、プレ公演第二弾のある「森下スタジオ」でやっているので、そのまま照明の吊り込みが午前中から夕方まであった。作業を先に進行したおかげで夜は照明を入れて稽古ができた。写真は数日前の稽古の模様。で、そちらのスタジオで照明吊り込み作業があった午後は、隣の小さなスタジオで稽古だ。これまであまりやってこなかった細かいところを繰り返し稽古する。気になっていた實光の部分などを修正してゆく。實光の芝居を見ているとこれまであまりしっかりした演出を受けてこなかったのか、ごく基本的なことがどこかまちがっている印象だ。あたりまえのことを反復する。考え方を教えればとたんによくなる。ほかにもいくつかのシーンを少しずつ積み重ねる。
■きょうもからだの調子はすこぶるよい。腰に少し疲れがたまっている気がするものの、でも、おおむね好調。『トーキョー/不在/ハムレット』のときは、「実験公演」「準備公演」のころ、ものすごくからだの調子が悪かった。あの年はなんだったんだろう。まだ大学もあって京都通いもしていたし、ひどく疲れていたのだろうか。今年も忙しいことは忙しいが、ストレスみたいなものがないからいいのか。なんか、稽古が面白くてしょうがないのだ。
■夕方、「MAC POWER」の取材があった。MacProで「Final Cut Pro」を動かしながら稽古を見ているような写真を撮る。まあ、ちょっと嘘なんだけど、MacProのある稽古場の雰囲気である。そんなシーンもないけれど、スクリーンに映像を映しつつ俳優たちになにかの場面を演じてもらう。で、僕の傍らには、MacProと、PowerBookがある。きわめてデジタルな印象の稽古をしている雰囲気になった。この写真は八月売りの「MAC POWER」に掲載されるのじゃないかと思われる。なにかとお世話になっている。ほんとにいい雑誌である。かつてこんなコンピュータ雑誌があったでしょうか。ぜんぜん理解できない人たちもいると思うけれど、そんなことはかまうものか。わからないやつはほっておけ。

■で、生中継部分の照明を決めるための稽古をする。少しずつ舞台はできてきた。もちろん、本公演とは異なるが、プレ公演としてこれがひとつの通過点だ。でも、<いま>、<ここ>である。先のこと、つまり本公演のことはあまり考えていない。この「準備公演」のために作っている。その舞台をよくしようと力を尽くしている。いまできる可能な表現が「準備公演」の舞台になればよいと思うのだ。もちろん、戯曲の第二稿が書けなかったことや、もっと表現の試みがあったのじゃないかと心残りはあるが、それはまた次に。
■「森下スタジオ」を出たのは夜の10時過ぎ。また實光をクルマに乗せて新宿に向かう。家に着くともう11時近くになっていたけれど、舞台のことばかり考える。あしたは午後にはすでに舞台の仕込みもおわっているはずだ。それも楽しみだ。からだの調子がいいのがずっと続けばよいと思うのだ。

(5:54 Jun, 26 2007)

Jun. 24 sun. 「稽古は順調に」

■その後も稽古の日々は続いている。なぜか今回は身体の調子がすこぶるよい。きのう(土曜日)はたしか、四時間ほどの睡眠で夜まで集中力がもつか心配だったものの、杞憂に終わった。というか、自分でも驚くほど稽古ができた。稽古後、一瞬めまいがした。稽古期間中は睡眠をしっかり取ろうと心がけているが、誰でも経験があると思うけれど、そう考えれば考えるほど、眠れなくなるときがある。あの腹立たしさはいったいなんだ。なにに怒りをぶつけていいかわからない。
■でも、俳優たちに助けられ稽古はわりと順調である。代役として参加してくれた森本と實光の二人は、「リーディング公演」で本を読んでいるほかの者らとちがい、いきなりだっただけに勝手がよくわからないと思う。それでもきちんと台詞を覚え各場面を成立させてくれる。しかも一年前に東京に出てきたばかりの實光を帰りのクルマに乗せて新宿まで走ると面白くてしょうがない。帰りのクルマは實光の観光のため毎日のようにルートを変えている。最初、皇居の近くを走ったとき、これが皇居だというと、まあ、軽く感心していたが、しばらく走っていると、その皇居の巨大な森を見て、ぼそっと一緒に乗せていた上村に、「これも、皇居?」と質問した。たしかに、でかいけどね、皇居。で、あまり観光スポットに興味がなさそうにしていた實光は、上村が「これが国立劇場」と半蔵門あたりで言ったときも、「ふーん」と気のない返事である。で、僕が、「その手前にあったのが最高裁判所」となにげなく言ったら、そこで突然、まったく態度を変えた。「最高 !?」と高い声をあげ、なぜか、それだけにものすごく食いついた。なにが實光の興味をひくかわからない。だから毎日ルートを変えて帰るのが面白くてしょうがない。
■そんな稽古の日々である。このプレ公演の第二弾「準備公演」は、「表現の試み」が主眼にあって、いろんなことを試してみた。もっと見たこともない表現はないだろうか。そんななか、それぞれちがう面が発見されることがある。まだ若い齊藤がダンスのような動きをすると面白いのに気がついた。なにかのダンスが基本にあるのだろうと思うものの、わけのわからない動きをする。で、僕は生中継の演出をするのが楽しくてしょうがないわけだけれど、それはいわば、カメラでどう遊ぶかだ。フレームという制約がカメラにはあるが、それを逆手にとれば、いろいろなことができる。これまでもいろいろやってきたがまだなにかないか考える。で、京都造形芸術大学で僕が教えていたこともある今野がカメラをはじめ映像を担当している。その、今野に今回はずいぶん助けられている。もちろん、みんなに助けられているのだが。

■というわけで、準備公演までまもなく。リーディングを観ていなくても大丈夫。リーディングを観ているとより楽しめる。もう稽古も残りわずかだ。

(2:42 Jun, 25 2007)

Jun. 21 thur. 「稽古と、ものすごいMacPro」

■稽古はもうはじまっている。稽古場にアップルからお借りした「Mac Pro」が来たのだった。こりゃあすげえ。メモリもたっぷり積んでくれた。CPUもいまの時点で最速だ。レンダリングもものすごい勢いでやるだろうと思われる。このことについてはまたあらためて報告しよう。
■戯曲の第二稿が書けなかったので、稽古中に微妙に本を変更している部分もある。もっと根本的な変更をすべきだったのだが。で、『トーキョー/不在/ハムレット』のときと同様、プレ公演は表現のさまざまな試みだ。ただ、あの舞台では「実験公演」と、映画作りがあったり、いろいろなことが固まってから一度作ったものをずらすことができた。今回はまだ固まっていないところにいきなりな感じで表現をずらそうとしているきらいはある。あと、少し落ち着いたので、リーディング公演をやったあとにもらった感想のメールをあらためて読み直していた。戯曲そのものについて考えることはまだあるな。内野儀さんのメールに、「構造的な明晰さというものがあったほうがいいのかな、と今の段階では思っています。立場を明確にした方がいいということではまったくありません」とあって、その「構造の明晰さ」に悩む。「構造の明晰さ」がうまくいかなければ、つい、「立場」がわかりやすくなってしまいそうで、それは太田省吾さんが書いていた「目明きの言葉」になる失敗だ。ここでしっかり考えよう。もっと時間をかけテキストそのものについて考える。この舞台がってことではなく、それは僕が作家としてもっと表現の力を高めるためだ。
■ただ、今度のプレ公演は「表現の試み」だ。時間の堆積が足りないな。僕が忙しすぎた。で、月曜からはじまった稽古はとにかく各場面についてどんな表現方法があるか試す作業。俳優たちにどんどん考えさせる。できるだけ、「それ、つまんないよ」と言わないようにこころがけたのは、それだと自由にみんなが考えることができないからだ。なんでも一度はやってみる。失敗してもいいからやってみる。かなりみんな失敗する。次々と失敗している。それでも全然かまわない。で、いろいろ数は出てきたが、もっとあるように思えてならない。というか、もっと考え方として異なる方向性があるのではないか。と、迷いつつ。

■で、きょうは朝から上演用の台本を書いた。とはいっても変更するべき箇所はいくらでもある。それで稽古。やっぱり稽古は楽しい。もっと考えよう。まだなにかあるはずなのだ。

(12:10 Jun, 22 2007)

Jun. 17 sun. 「仕事を終えて、あるいは、<言語化されないなにものか>について」

札幌のジンギスカン鍋屋にて

■しばらくこのノートが書けなかった。死ぬほど忙しかったよ。だが、そのかいもあり「ノイズ文化論」の仕事はすべて終わった。札幌に行ったその夜、「まえがき」と「あとがき」を書きあげたが、両方合わせて、27枚ぐらいになった。書いたな。それでゲラを直し終えてあとは渡すだけになったのだ。そういえば、三坂から「ゲラのチェックをやらせてください」とメールをもらったが、ゲラを渡したりする時間もなかった。なにしろ、札幌に行っていたし。
■というわけで話は前後するが、金曜日(15日)の昼間に札幌に向かった。今回はなんの異常もなく快適な空の旅だった。北海道文化財団の方たちとその夜はジンギスカン鍋の店に入った。また、食った。美味しくいただいた。肉を食べ、野菜を食べ、満腹である。一ヶ月前に来たときは食べ過ぎて毎日苦しくなっていたのだ。そのつどこんなに食べなければよかったと後悔したので、今回はその反省をこめ、少しセーブした。なにごとも限度を超してはだめだな。北海道は人から限度というものを忘れさせる。また、いろいろ話をし、楽しい夜だった。
■で、ホテルに戻って少し眠り、深夜に目が覚めて朝まで仕事をする。「ノイズ文化論」の、「まえがき」と「あとがき」を書き終える。この一ヶ月、連載原稿やイレギュラーの原稿、そして「ノイズ文化論」と、合わせていったい俺はどんだけ書いてるんだ。そして朝、一時間半ほど眠ると、もう昼の12時半だった。ホテルをチェックアウト。そのまま「演出ゼミ」の講義へ。一時間半の睡眠がものすごく効果があって、目が覚めたとき、なぜかすっきりしている。こんなにいい目覚めも久しぶりだ。

■「演出ゼミ」は三時間。ベケットの話などをする。あるいは、「ノイズ文化論」で語った、「フリーター」というか、「非正規雇用者」について話をし、そこから「現在的な身体」について考える。いまことのことに一番の興味があるが、でも、もう何度も話したような演劇論を語っても、語るたびに発見があり、それはちょっとしたことがきっかけになる。
■というのも、たとえば、別役実さんの『ベケットと「いじめ」』について話すとする。前回の講義のとき、その予告をしていたので、受講者の一人がもう読んだと言う。で、考えてみると、この本で別役さんが書いているのは、「言語化されないなにものか」についてだと、そのことであらためて気づくのだ。つまり、活字で読んだこと、あるいは、白水社版の『ベケットと「いじめ」』には僕が「解説」を書いているが、しかし、「書かれたもの」とは異なるなにかが、話をすることで表出される。それが、「言語化されないなにものか」だ。
■「ノイズ文化論」のゲラの直しをしていると、僕が一人で話している部分もそうだが、対談も、なぜこれで話が通じているのかよくわからない部分がある。それは「からだが発するもの」が出現しているからだし、それこそが「言語化されないなにものか」になる。だから、活字を目にした人も、そしてそれを読んで理解しても、僕が話すことでまたべつのことを受け取るのではないか。人の会話を録音してそれを再現するような作業をかつてよくワークショップでやった。人の会話は、ほんと、でたらめである。けれど人はなぜか、それでもコミュニケーションが取れている。なぜなんだろう。つまりそれが、「身体言語」というものだろう。人は「言葉」がなければコミュニケーションがはかれないと思いこんでいるが、それこそが「近代という病」である。別役さんが『ベケットと「いじめ」』で書いているのもそのことだ。

■私たちは、言語とは異なるものによって、なにかを表現することができるはずだ。本来はそういう生きものだった。それを考えていたら、ふと、プレ公演の演出プランが浮かんできたのだった。戯曲の第一稿はある。そこにはたくさんの言葉が書かれている。人と交通するための、交通を介在するための言葉たちだが、それを使わずに、同様のことはできないだろうか。「身体言語」について考えていた。
■あ、そうか、それでわかるのは、「身体性の高い人」と「そうでない人」というのは、このちがいだ。おそらく、より多くの「身体言語」を持っている人がいる。それはまあ、要するに動物に近い人なわけだけど、友人の俳優はまさにそうだった。論理性がほとんどなかった。そして同時に、言葉を使いながらも、「身体言語」に近いものを生みだそうとするのが「文学」であろう。「文学」をないがしろにする世界は、「近代という病」に冒された不幸な社会だ。
■まあ、とにかく、疲れた。ものすごく仕事をしてしまった。だが休む暇もなく次の仕事だ。稽古だ。こうして不合理に日々は過ぎてゆく。

(12:51 Jun, 18 2007)

Jun. 13 wed. 「一段落ついた」

ノイズ文化論の原稿を書いているデスクトップ

■とりあえず終わった。第12回を直し終えてこれが最後だ(今回は休講が一回あったので全12回だったのである)。終わらない仕事はないな。あとは「まえがき」と「あとがき」だ。でもすぐに連載の原稿を書かなければな。ところがだ、この週末、俺は驚くべきことに札幌に行くのだった。しかも、「ノイズ文化論」の約半分のゲラが届き、そのチェックもしなくてはいけない。「80年代地下文化論講義」のときは、本になってから三坂からチェックがかなりあって、そういうときの三坂はすごい。よく読んでくれていたし。指摘されて僕もはじめて気がつくことが多かった。このノートに関してもしょっちゅうメールが届く。しかし、そういう人がいるからこそいい仕事ができる。
■ところで、札幌近郊の方に質問なんですが、いまそちらはどんな気候になっているのでしょう。なにを着ていったらいいかよくわからないのだ。夜になると冷えるとか、でも、Tシャツ一枚でべつにかまわないとか、教えてくれたらありがたい。飛行機に乗って札幌まではそんなに時間がかからないし、気持ちがいい。家から羽田まで、千歳から札幌までが遠い。なにしろ、千歳空港からJRで、千円以上だよ、運賃が。俺、新幹線以外で、そんな電車賃を払った記憶がこの30年くらいないよ。遠いなあ、千歳、札幌間。あと、札幌から千歳空港まで戻るとき、まぎらわしい「千歳」と名前のつく駅が、たしか二つぐらいあった。おそらくそちらが先にあった駅だと思うけれど、前回は、あやうくそこで降りそうになった。それにしても、全日空のシステムが落ちなければいいが。
■あ、そうだ、告知をしようと思って忘れていたことがある。いま仕事をしている『東京大学[ノイズ文化論]講義』の刊行を記念して講演会のようなものがある。その詳細を以下に示しておきましょう。

第70回 新宿セミナー@kinokuniya
 『「80年代地下文化論」から「ノイズ文化論」へ……で、「ノイズ」ってなんですか?』
 −『東京大学[ノイズ文化論]講義』(白夜書房)刊行記念特別授業−

  ・出演 宮沢 章夫(劇作家・演出家・作家)
      内野 儀(東京大学大学院総合文化研究科教授)
      土屋 敏男(日本テレビエグゼクティブ・ディレクター)
  ・日時 2007年7月10日(火)19:00〜20:30
  ・場所 紀伊國屋ホール(紀伊國屋書店新宿本店4F)
  ・料金 1,000円(全席指定・税込)

  ・内容 第1部 東大で授業を行なった2年間を振り返る(ゲスト:内野 儀)
      第2部 「ノイズ文化論」アンコール・紀伊國屋ホール出張講義(ゲスト:土屋 敏男)

 以上の内容で、チケット販売はすでにはじまっています。
 詳しくは紀伊國屋書店店頭の催し物案内、Webサイトの「各店イベント情報」へ。


■さて、直しを終えたのは深夜だったので、話は前後するが、夕方、永井が打ち合わせで家に来た。その直前まで眠っていた僕は、ずっとぼんやりしたままだった。申し訳ない。ほんと、かつてに比べると寝起きがひどく悪くなった。むかしはなあ、寝起きですぐにカツ丼が食べられたのだ。三桁ぐらいの暗算だったらすぐにできた。やったことはないが、知恵の輪もすぐにとけたかもしれない。さらに乗ったことはないが、一輪車だって寝起きですぐに乗れたと思う。あと、高いところにあるものを、からだを伸ばして取れたと思う。それくらい寝起きには自信があったのだ。なにも考えることができぬまま永井の話を聞いていた。いろいろ仕事があるらしい。もう『ニュータウン入口』プレ公演の稽古がはじまるのだ。結局、第二稿を書けなかったので、稽古の途中でせりふを変更してゆくことにした。演出のプランもこれから考える。あと映像のことがある。
■しかしいま、もっとも楽しみなのは、MacProの最新機が稽古場に来ることだ。しかも、ディスプレイは30インチの液晶っていうか、アップルの純正だよ。驚きだ。それは楽しみだが、動かすソフトがあまりないのだった。アドビのCS3を買っちゃおうかとすら思ったものの、いまアカデミックパックが買えないからな。高いよ、アドビ。とにかく楽しみという話。ひたすら、MAC POWERのT編集長に感謝するのみ。
■で、仕事が一段落ついて、もっと勉強をしようという思いを強くしたわけだが、まあ、こつこつ進めてゆこう。なにごともこつこつだ。それにしても、仕事はどこまでも続く。

(11:37 Jun, 14 2007)

Jun. 11 mon. 「平野甲賀さんのエッセイを読む」

平野甲賀『僕の描き文字』

■ようやく「第11回」を直し終えてメールでE君に送信したのは午後の二時過ぎだっただろうか。直しを終えたのは昼だったから推敲に二時間もかかった。この回は長い。いままでで一番長い。疲れた。それで少し休もうと思って平野甲賀さんのエッセイ集を読む。『僕の描き文字』(みすず書房)。なにか久しぶりに、ゆったりした文章を読んだ気持ちになって、とてもなごむことができた。「みすず書房」と言えば、装丁がどの本もほぼ同じで、書店に行き棚を見れば「みすずの本」だとわかる。白い本の出版社というイメージがある。ところが『僕の描き文字』は装丁を平野さん自身がしており、しかも、本文の活字も本人が決めている。版元が記されていなかったら、どう見たっていちばんよかったころの(というのも、かつての活気は薄れ、いまは受験参考書みたいなものさえ出しているし)「晶文社」の本である。
■というか、平野甲賀デザインの本。すごいなこれは。しっかりそれが刻印されてしまう。しばしば、平野さんの書かれたものや、インタビューにこたえた言葉に登場するのは「写植」と「ペーパーセメント」だ。だが、コンピュータでデザインするのがあたりまえになってから、「写植」も「ペーパーセメント」も現場ではほとんど使われなくなったのではないか。とはいっても、素人の想像でしかないが。それで、平野さんのデザインで僕がなにが好きだったかっていうと、装丁に限って考えれば、写植の文字のレイアウトだったように思う。同じ写植文字を使っていても平野さんの手にかかるととてもきれいになる。その後、平野さんは「描き文字」でデザインするようになる。コンピュータの普及とそれが平行していた印象がある。そう思って本書を読むと、なぜ描き文字になったかについてインタビューにこたえている箇所があって、それによると演劇のポスターがきっかけだったという。
■僕は一度だけ、平野さんに会ったことがある。『遊園地再生』を上演するにあたってチラシのデザインを頼みに行ったときのことだ。だからもう、二十年近くも過去のことになる。あれはたしか成城の、平野さんのご自宅の近くにある喫茶店だったと記憶している。僕は約束を二時間遅刻した。演劇において、デザイナーが果たす役割のようなことを平野さんから諭されるように教えられた。つまりそれは、演劇という運動においてデザイナーもまたその運動の一員であること、運動体としての演劇における集団は、「ものを作る」という一点において、皆が平等にそれに携わっているという意味の話だった。それが黒テントの、いまでも変わらない考え方なのだろう。そこには、「運動としての演劇」と「運動体としての劇団」が存在する。それと同様のことを、本書の「甲賀の眼 僕のデザイン見聞史 ポスターは運動の旗印だ」に読むことができる。そして舞台のポスターについて平野さんは、ポスターよりチラシのほうが宣伝効果があることを前提に、次のように話している。

 出来上がったポスターを稽古場に持っていって壁に貼ると、みんながびっくりして、稽古場の気分が、いっきに盛り上がる。ようするにポスターは劇団の旗なんです。

 たしかに、ある時期までの黒テントのポスターは圧倒的な力を持っていた。B全サイズの大きさの迫力といったらなかった。いまでも黒テントの劇場iwatoで見ることができる。それだけでも、未見の舞台について、すごかったんじゃないかと想像させられる。その後、しばらく平野さんは黒テントから離れるが、理由はいたって簡単だ。ポスターを作るとき平野さんには、基本がB全のサイズだった(というか、横尾忠則が状況劇場のために作ったポスターが「B全」だったことから、小劇場界にポスターは「B全」という不文律が生まれたらしい)。「街がきれいになって貼る場所がますます少なくなっていく。制作費もかさむし、気力、体力ともにおとろえて、B全からB2に戻ってしまうのを看過せざるを得なかった」と言う。ポスターはある時代を反映した存在だ。そして町からポスターは排除されてゆく。それはちょうど、演劇の変化とよりそうようにあった。【 追記・いま、早稲田の演劇博物館で黒テント展をやっているからここで平野さんのポスターが見られるのではないかと思われる。絶対、行ったほうがいいと思う。僕も時間ができたらぜひ行こう。さらにいま調べたら、「古川ロッパとレヴュー時代−モダン都市の歌・ダンス・笑い−」というのをやっているけれど、これも興味を引かれる。なにかこの催し自体が「晶文社」的で、平野さんを彷彿とさせる。】

■さて、ようやく「ノイズ文化論」の直しもあと一本になった。もう少しだ。ようやく落ち着けると思ったらすぐに稽古がはじまる。『ニュータウン入口』の第二稿が書けない。連載もあるのだが。まだ仕事は続くよ。

(1:04 Jun, 12 2007)

Jun. 8 fri. 「あるブログから」

朝日新聞より「社会保険庁です」

■うまく直しができないと、「第10回」の原稿を前にうんうん唸っていたのは木曜日(7日)なわけだが、それからきょう、朝、わりと早く起きてから一心不乱で直しはじめほとんど休まず夕方に終える。あと2本。予定ではきょうですべて終えるはずだったのだが。
■写真は朝日新聞をスキャンさせてもらったもの。年金問題で大あわての社保庁。窓口を作って相談を受けているらしい。あまりにこの人が印象深かったのである。

■ずっと読み続けている、「あるブログ」があったのだった。フリーターから正規社員へ、だがその後、株取引に手を出して借金を作り会社もやめた。また職を変え、その後、ある巨大自動車企業の期間工というものを満期完了して借金も半分以上は返済した人のブログだ。だめな人生が面白いなあと思いつつも、まあ、変に触れるのは失礼だろうと、ここにも書いたことはなかった。期間工を終えてからその彼の人生へのモチベーションは猛烈に高まっていた。ばりばり勉強もしているらしかった。将来への希望も高かった。そして、営業職の正規社員として就職が決まったのは、二週間ほど前だっただろうか。(本人の言葉で表現すれば)「底辺」のような場所から立ち直ったのだなあ、と思い、それはそれでブログとしての醍醐味はたしかに薄れたが、これで原稿に書いてもいいかなとブログのタイトル入りで書いてしまった。雑誌の連載だ。知らない人の「ブログ」は面白いという内容。「ノイズ文化論」の仕事で忙しくしばらく彼のブログを読んでいなかった。きょう「第10回」を書き終え、少し落ち着いたところで、久しぶりに読みに行ったわけさ。
■研修期間中に辞めていやがったよ。研修で毎日、問題解決のミーティングや、数分のプレゼンテーションがあり、周囲の同期入社の若手(といってもブログの彼だって28歳。若いよ)はみんな活気がありプレゼン能力も高い。自分はだめだ。研修の息苦しさが地獄のように彼を責めさいなんだということらしい。読んでいたら暗澹たる気持ちになった。というのも、「第10回」は「マイノリティ(=少数者)」を中心にした内容だったが、一般的に知られている様々な種類のマイノリティに加え、「非正規社員という概念的なマイノリティ」ということを書いた直後だったからだ。『フリーターにとって「自由」とは何か』(人文書院)の杉田俊介さんによれば、「日本型のフリーター労働者とは、ある種の階層である」ということになる。そして、どうしても働けない人がいると思うし、いくつもの理由、本人にもどうにもならない理由で働けず、「正規」になれない人がいる。それについて考えていた直後であり、そして、雑誌の原稿には彼のブログのことを書いてしまった。
■たしかに、彼のブログを読んで問題点はいろいろ感じていた。文章を読むと、まあ、こういったブログにはよくあるように、素人としてうまいほうだ。だけど彼の語る「勉強」がなあ。その方法が、もう少しこうしたほうがいいのじゃないか、根本的な考え方に問題がないかといろいろ気になっていた。それはたとえば、読んでる本が、当面、必要になるビジネス書っていうか、そうした種類のものばかり、もっと読むべき本があるんじゃないかっていうような疑問だったものの、でもさあ、たとえばそれは僕が演劇のことばかり考えて、演劇論や、演劇に関する本を読むのと構造的には同じかと思いもしたのだ。面接を受けて一発で就職が決まったのだから大丈夫なんだろう、いろいろな生き方があるし、と思っていた矢先の出来事だ。

■それは喜劇かもしれない。滑稽な姿に見える。チェーホフ的なアイロニカルな喜劇。というか、ブログの読者でしかない私には、遠くでながめるだけなので、それはやはり喜劇に見える。変に同情的なことを書いても、しょせん、知らない人だし、そうする態度が逆にひどく差別的になる。ただ気になったのは原稿に書いてしまったこと。
■あるいは、巨大自動車企業の「期間工」という、きわめて過酷な労働形態があり、いってみれば、そのシステムがこの国を支えてるようなものだと知ることができる。『フリーターにとって「自由」とは何か』を読むとやはり暗澹たる気分になりつつも、多くの示唆を与えられる。杉田さんの言葉を借りれば「たまたま」うまくいってる者がいるように、ある人たちは、「たまたま」悪いほうにゆく。ベンヤミンが、「その際ファシズムは、大衆に(権利を、では決してなく)表現の機会を与えることを、好都合とみなす。」と『複製技術時代の芸術』に書いている一文を杉田さんは引いているが、それはまさに、「クリエイティブというイデオロギー」だ。引用した言葉の「ファシズム」のかわりに「巨大自動車企業」の名前を入れればいい。
■そこで、さらに考えたことがあるが、まだやらなくちゃいけないことがあるのできょうはここまで。終わらない仕事はない。だが、まだ終わらない。

(6:50 Jun, 9 2007)

Jun. 6 wed. 「引き続き書いている」

■ようやく「ノイズ文化論」の「第八回」を直し終えた。時間がかかった。その一回分を書いているあいだも、終わるのかな、という疑問がいつもあって、書いても書いても終わらない気分になっているのだ。だけど、終わる。やっぱり、終わらない仕事はない。とにかく丁寧な仕事をこころがけているのである。ばかじゃないかと思うほど丁寧に。
■「第七回」は主に網野善彦さんについて触れた回であり、「第八回」は、ジョン・ケージとノイズミュージック、さらに青山真治監督の『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』を中心に話した回。どちらも大変だった。ただ、網野さんの『異形の王権』(平凡社)はこの授業のために読み直したのだったが、やっぱりものすごく面白い。あらためて後醍醐天皇はモンスターだと思った。もちろん、網野さんの業績は学術的にすぐれた仕事だが、どこかに、「物語的な想像力」があるのを感じる。だからこそ人をひきつける。それと、ジョン・ケージのこと、ノイズミュージックのこと(特にメルツバウについて)、そして『エリ・エリ・レマ・サバクタニ』について考えていたら「実験音楽」や「ノイズミュージック」がなにか愛おしくなってきた。ジョン・ケージがでたらめだしさ。メルツバウの映像をYouTubeで見ていたら面白くてしょうがない。メルツバウの中心にいる秋田昌美さんは僕と同じ年齢だが、まだそれをやるかと思うと、感服するっていうか、勇気づけられる。
■それで、「第八回」の原稿をメールでE君に送ったのは夕方。ばったり倒れるように就寝。深夜に目が覚める。あるメールが届いたので、その件に関して制作の永井に電話して相談する。で、そのとき、別件についての話にもなる。「URACIO」という店が大阪にあった。三月末まで開いていた。自主映画関連の催し物をするスペースだったと記憶しているが、そこに呼ばれてトークライブのようなことをしたのは、今年の二月だ。大阪のM君の企画だった。で、そのとき会ったN君からメールをもらい自主制作映画の審査をしてくれないかという依頼があった。大丈夫だろうと思いつつ、永井にメールを転送したところ、審査会がある10月っていうのが、すごく忙しいのだと知った。いまさら知るなよって話である。いろいろなところへ行く。一週間ぐらいニューヨークに行くことになっている。瀬戸内海にある島で講演もする。でも、頼まれたことはできるだけ引き受けたいわけです。なにしろ、声をかけてもらったんだから、そのことに感謝したいのだ。

■あと三本だ。「ノイズ文化論」の話ですが。予定では今週中。そういえば弟子にしてくださいという学生からメールをもらったのは数日前か。申し訳ないが弟子は取らない。だいたい、「弟子」と呼ばれるような人に対してどうふるまっていいかよくわからないし、なにか、気まずくなると思うんだよ。「気まずい」という状態はほんとにいやだよ。でも、さまざまなことを示唆してくれるメールは大歓迎だ。刺激にもなるしね。メールをきっかけになにか考えることもできる。といったことで、また仕事だ。

(5:22 Jun, 7 2007)

Jun. 4 mon. 「終わらない仕事はない。まだ終わっていないが」

■その後、「ノイズ文化論」の「第五回」と「第七回」を書き終えてメールでE君に送信した。なぜ、「第六回」がないかというと、「第三回」「第六回」「第九回」はゲストを授業に招いたときの対談だったからで、それはもうすでに送ってある。ともあれ、この数日、原稿ばかり書いていた。去年の『80年代「地下文化論」講義』で学んだのは、「終わらない仕事はない」だ。終わるんだよね、なんだかんだ苦しみつつも。そこから私はまたなにかを学んだのだった。「東京人」の連載も書きあげる。「webちくま」もほんとは締め切りなんだろうけど、まだあの連載に関しては貯金があるから来週にでもまとめて何本か送ろうと勝手に決める。
■「webちくま」に連載しているエッセイのタイトルは「テクの思想とその展開」だが、未知のMさんという方からメールをもらいそれには標題に「テクノ思想とその展開」とあった。こうすると、まったく文字面が変わってぜんぜんべつのものになる。なんというか「テクノ思想」だと、いかした感じになってしまって、「テクの思想」におけるどこか間の抜けた感じがなくなるのだ。ここでの「テク」は「テクニック」の略である。それを「テク」と口にするとそう口にした人がばかに感じる。それはさておき、Mさんのメールには次のようにあった。

『webちくま』の連載に書かれている”リコーダーの男”についてなのですが、どうも気になって仕方がありません。
というのも、一度見ただけですけど、ぼくもその男に覚えがあるからです。
その”リコーダーの男”がリコーダーを吹いている遊歩道がある場所というのはひょっとして、世田谷区の芦花公園ではありませんか?
ちなみに、そのときその男が吹いていた”ピーポポピー”はバッハの「管弦楽組曲3番」の”ガヴォット”というパートでした。

 残念ながら、それは同一人物ではないと思う。僕の知っている男がいるのは初台の近くだし、吹いている曲も、バッハの「管弦楽組曲3番」の”ガヴォット”というパートではないのだ。ただ、興味深かったのは、芦花公園にも、「リコーダーの男」がいるということだ。芦花公園のリコーダーの男は演奏がうまいのだろうか。初台の遊歩道のリコーダーの男はものすごくへたなんだよ。その音が聞こえてくる。しかも、同じ曲を、もう何年も同じ曲だ。気が狂いそうになる。
■ところで、ほんとだったらもう「第八回」を書き終えている予定だった。いろいろ理由はあるものの(「第七回」が思いのほか時間がかかったとか)、仕事のリズムが崩れたのは忘れていた歯科医の予約が金曜日(六月一日)にあったせいだ。おかげで予定が24時間ずれた。これは痛いと思いつつ「第五回」を書き、「第七回」を書き終えたのがきょうの深夜。疲れたな。いったん眠ったが、こんな時間に目が覚めて、このノートを書いている。「第八回」に少し取りかかる。だめだ。やっぱり眠い。疲れたんだよ。

■そういえば、スリーピンという映画の宣伝をする会社のHさんから、土本典昭氏の、初期のドキュメンタリー映画『ある機関助士』をビデオで送っていただいた。このあいだも書いたけれど、この作品も六月一六日に上映される。ぜひとも見よう。さらに、土本さん自身をテーマにした映画『映画は生きものの記録である』はすでに、ユーロスペースで上映中だ。こちらもぜひとも。あと『不知火海』も観てほしい。あの少女の問いの意味を考えつづけたいと僕は思った。
■さらに、白水社のW君からメール。岡田利規君と青山真治さん、そして、パスカル・ランベール(ジュヌヴィリエ国立演劇センター芸術監督)との座談会か、シンポジュウムのようなものか、そういった催しが神楽坂の日仏学院で開かれたという。知らなかった、そういったことがあったなんて。まあ、ぜんぜん行く時間がなかったわけだけれど。世の中ではなにが起こってるって? どんな舞台がいまやっているのか、どんな映画がいまかけられているのかなんて、まったく知らない。ただ仕事だ。
■ただ、ニュースをチェックしたり新聞は読んでいるので、脱北者が青森で保護されたのは知っている。よく生きてたなあという、政治的なことはさておいて、とにかくなにかうれしい気持ちになったんだけど、どんな勢力も政治のことはさておき、「よく生きてた」とまずはそれを喜ぶべきじゃないのか。あの日本海をなあ。あんな小さな船でなあ。でもすぐに政治的に利用されるんだよな、ばかやろう。それだったら年金はどうなんだ。内閣支持率も下がろうってもんじゃないか。人から教えられて笑ったのは、あの年金の不払い問題は、「国家規模のオレオレ詐欺」だという話だ。「おれおれ、社会保険庁。おたく未払いなんで、すぐに銀行に振り込んでくれる」と電話が来たので、振り込む。ところがあとになって、記録されていなかったと社保庁。って、それほんとに、詐欺だよ。ということで社会のことにも目を配りつつ、それを笑い、批評し、どうでもいいと無視をし、距離をおき、あるいは積極的にコミットし、消極的にコミットもし、そして私は原稿を書くのだった。

(4:42 Jun, 5 2007)

Jun. 1 fri. 「もう梅雨になる気配だという」

■午前中、仕事が一段落し、といっても全十二回のうち、「第四回」をメールで送っただけだが、少しのんびり昼食をすました。アマゾンから届いた本を少し読む。午後、眠ろうと思ってぼんやりしていたら歯科医の予約をとってあったのを思いだした。眠れない。予約の時間まで少しでも「第五回」を進めようとしたがさすがに眠い。時間が来たので下高井戸にある歯科医へ。治療に一時間半もかかった。家に戻って眠ろうとした直前、メールをチェックすると「MAC POWER」のT編集長から原稿をという催促。このままでは無理なのでいったん眠ることにした。で、なぜか三時間ほどで目が覚める。夕食は遅い時間。テレビのニュースを観ながらだったが、日テレの、夜11時くらいからのニュースがなぜかいい感じだ。ぜんぜん期待してなかったけどね、日テレのニュース。報道ステーションのキャスターは言葉に修飾が多くてまどろっこしいが、こちらのキャスターは言葉の歯切れがよくて端的にものを伝達してくれる。端的がいいよ、端的が。このあいだはフリーター問題というか、漫画喫茶難民を特集していたし。それから原稿を書く。わりとさくさく書けたので、このまま、「東京人」の連載と、「webちくま」の連載を書いてしまおうと思いたつ。で、こっちのほうはうまく書けない。どういうことだか理解ができないのだ。さらに、「第五回」を進めることにする。あまり進まない。というか、「第四回」が長かったのと、内容が濃かったので、すっかり疲れてしまったような気がする。そうか、きょうから六月か。五月はあっというまだった。ずっと原稿を書いていた気がするし、「かながわ戯曲賞」のリーディング公演があったのがずいぶん遠い過去のようだ。出演していた、金さんと、森田からメールをもらったんだったな。返事を書く時間もなかった。早く七月にならないかなあ。一年でいちばん好きな季節がもうすぐ来る。あ、そのまえに、『ニュータウン入口』のプレ公演が、6月29日(金)から7月1日(日)まで、森下スタジオでありますが。

(4:40 Jun, 2 2007)

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