富士日記2PAPERS

Jul. 2007 MIYAZAWA Akio

宮沢宛メイルアドレス

Aug. 31 fri. 「新しい月を前に」

稽古場で

■稽古場にカメラを持ってゆくのを忘れたので、きょう掲載するのは、数日前に撮った稽古のあいまのスナップである。右から、上村、派手な色のジャージの時田、少し映っているのが鎮西。そして若松さん。なにかを検討しているらしい。あまりなにも考えていないかもしれない。
■稽古は戯曲の半ばあたりを何度か流し、まだできていないところを少しずつ返す。ちょっとした「間」のようなものをこだわって舞台上に作られた世界を再構築してゆく。ちょっとしたことだ。なんだか今回の俳優たちは、せっかちな人が多い、といった印象がある。まず若松さんがせっかちだ。あと、太一がせっかちだ。それにつられて、ほかの俳優もせっかちになりがちだが、このあいだ通しをやったときに感じたのは、そうしたところで、きちっと空気を緊張させることがなかったからだろう。よく見ているとそうした細部で、ごく基本的なことができていなかった印象。たとえば橋本が、べつにそれはせっかちというのではないが、せりふを発する前にすぐ首を動かす。それで固まった空気が、一気に、だらっとしたものになる。そうしたことの修正。基本的なそれをすることで舞台の印象はかなり異なる。
■ポリュネイケスとアンティゴネが出会う場面、ほんのちょっとアンティゴネの台詞の前に間をおいたら、その場面全体の印象というか、出てくる空気がまったくちがった。まだほかにもそうした箇所がいくつかある。それを丹念に直してゆけば、もっとよくなると思う。少しずつ修正しつつ、あしたは二回目の通し稽古をしよう。いったいこれはなんという舞台なのだろう。自分でもよくわからない。でも、いい舞台にしたい。なんらかの成果が生まれたらと思っている。俳優ひとりひとりもこの舞台を通じて発見があればいいと思うし、だからなおさら、もっとやりこんで深い表現にできればと願っている。そこから俳優がこの作品の世界で生きてくれたらと、そうした、偶然、なにかの拍子で生まれたような、幸福な舞台になればと思うのだ。

■家に帰って、こんど撮影する劇中における「映画」のためのシナリオを書いた。もっと考える。できることを、あるいは、できるだけのことを、最後まで考えつづけよう。八月もきょうで終わり。稽古もだいぶ熱を帯びてきた。稽古場があたたまる。九月からまた、心機一転、僕はただ、俳優のすることを見、そこからなにか、演劇という行為の、このきわめて不合理な人の営みの、それが生み出すだろう、つつましい美しさを見いだせたらと思う。

(3:18 Sep, 1 2007)

Aug. 30 thurs. 「秋の気配が」

今野

■東京地方は少しずつ涼しくなってきた。本日の写真はカメラマンの今野である。
■今野はこのあいだ書いたように、京都造形芸術大学をこの春に卒業したばかりだ。2年生のとき、やはり今回の出演者、橋本とともに僕の授業を受けて舞台を一本作った。もともとは映像コースの学生だったが、なぜか舞台の授業をとったのだった。それからのことはあまり詳しく知らない。この二月に『ニュータウン入口』のオーディションを受け、卒業後、橋本ら何人かと浅草で共同生活をはじめたという。淡路島に長い期間滞在してドキュメンタリー映画を作ったのを見せてもらったがとてもよくできていた。今回は、舞台に登場するライブ映像のカメラマンだ。あるいは、舞台で使われる映像のロケハンや撮影にも熱心に参加してくれた。とても助かっている。カメラマンだというのに台詞がある。しかもその台詞が長いんだよ。最初、言葉がうまく出てこなかったが、だんだん板に付いてきた。とてもいい。俳優がそれをするのとはちがった感触があるからだろう。だから今野でよかった。まあ、俳優だったらべつの種類の芝居らしい台詞になるかもしれないが、このカメラマンの役割としては、むしろ、その芝居らしさがべつの表現にしてしまうと思うのだ。
■もちろん俳優が演じることで生まれるよさはある。そうではないものがここでは必要だった。あと、俳優がもしこの役をやって、ここまで、期待するようなカメラワークができたかだ。メカもしっかり把握しており、そもそも失敗がほとんどない。こちらが要求したようにきちんとカメラを動かしてくれる。ほんとに助けられているのだ。大阪で『トーキョー/不在/ハムレット』に付随して作った『be found dead』を上映したのは、もう何年前になるだろうか。トークがあった日、今野と橋本が観に来てくれたんだな。それもうれしかったが、今回のオーディションを受けてくれたことがうれしかった。京都とはどんどん疎遠になってしまうが、そのときの学生と、こうしてまたなにか一緒に仕事できることはとても幸せなことだ。

■しっかり睡眠をとったので快調だったきょうの稽古は、前半をじっくり固めてゆく作業だ。見ているうちにいろいろ気がつく。もっとよくなるはずだ。細部をじっくり考える。細部の積み重ね。同時に、全体の印象を見つめてゆく。若松さんのシーンも整理できてきた。不思議な動きはときどきする。やはり呪術かなあ。寺山修司は演劇論に「俳優は呪術師でなければならない」といった意味のことを書いていたが、若松さんを見ているとその言葉を思い出すのだ。
■ここが目的の場所というのはきっとないのだ。だから、反復することではじめて、べつの意味を発見し、それがこの舞台のテーマかもしれない。いくつもの色を重ねて一枚の絵になってゆく。塗りの深さを大事にしよう。この色だ、と決めて作るのではなく、なんべんも色を塗り直すような手つきで。重なった色が、またべつの色になる。そんな表現のことを考えている。
■僕の舞台にもよく出ていた笠木が稽古を見学に来た。稽古が終わってから、新宿で食事をしたのだが、そのときの感想によると、田中がよくなっているという。毎日、見ているとわからない部分で田中も成長しているのかもしれない。その後、夜、無駄な時間を過ごしたのは、ヤフーオークションで、あるものを競り落とそうとし、最後、どこかの誰かとせったからだ。それでかなりの時間を費やしてしまった。今回の舞台で使おうと思ったもの。結局、負けたっていうか、もうこれ以上、値段が上がるんだったらべつにお店で買ってもいいと思ったからあきらめたのだ。だが、時間を無駄にした。そのことが腹立たしい。夏は終わるんだなあ。あんなに暑くて腹立たしい思いをしていたが、「夏が終わる」と書くと、とたんにさびしくなるのはいかがなものか。

(2:25 Aug, 31 2007)

Aug. 29 wed. 「細部を徹底的に」

杉浦さん

■稽古が終わったあとダンス普及会の会長加奈子を演じる杉浦さんの写真を撮らせてもらった。
■杉浦さんは、鈴木忠志さんのもと、早稲田小劇場でずっと活動なさっていた方だ。僕と同世代。その後、子育てのためしばらく舞台を離れていたという。このあいだ、そのお子さんについて聞いたのは、秋に公開される『椿三十郎』(いわずとしれた黒澤明の同名映画のリメーク)に出演しているという話。若松さんの息子さんもやはり俳優をしているけれど(しかも、『ニュータウン入口』のオーディションを受けに来た)、親と同じ仕事を選ぶ気持ち、それは「俳優」というある特別な職能だとしても、僕にはあまり考えられない感覚だ。というのも、僕は家を継ぐように子どものころからさんざん言われてきたが、絶対いやだと思っていたからだ。ま、それはいいとして、早稲小時代の杉浦さんを僕はほとんど知らない。ただオーディションに来たときほんとに面白かった。そのキャリアから出てくるものが圧倒的だった。「準備公演」まで俳優のなかで最年長だった。本公演の稽古がはじまって若松さんが参加、それで、また杉浦さんの位置が変容し、それはいい方向にいっていると思った。同じことを、稽古を観に来た白水社のW君も感じたらしく、メールでもらった感想にこうあった。

若松さんが入ったことによって、とくに杉浦さんが魅力的になっていると思いました。舞台上における「年長者」の存在というか責任感を一手に引き受ける必要がなくなったわけで、ものすごく若々しくなったと思いました。少女のような、とかいうとあれかもしれませんが。

 舞台というか、芝居を作るとき、人と人の関係によって生まれるものは鮮明にあらわれるが、若松さんが入ったことで、「準備公演」までとはそうした感触がまったく変わった。もちろん芝居も変容している部分も多々あるが、それより「関係の変化」のようなもの。W君が言うように杉浦さんの位置が変わり、それはとてもいい方向にいっている。これから本番に向け、杉浦さんはもっとよくなると思う。というか、もっといままで自分でも気づかなかった魅力をどう引き出せるかがこれからの演出。若松さんが参加したことで、いろいろなところに反映があり、舞台全体、厚みが増した。

■本日は若松さんが仕事で休み。若松さんのいない箇所を細かく稽古していったが、ラストシーンがだいぶよくなった。ある程度形にはなっていたが、ずっと釈然としていなかったのだ。それを細かく再構築してゆく作業だった。重要な根本洋一役の時田のせりふもよくなったしな。というか、細部より、この空間が立体的になった印象。粘ってやってよかった。ほかにも、若松さんがいない場面を丁寧に作っていった。もっとよくなる。まだ自分でも気がつかなかったことがこれから稽古を見ているうちに発見できるはずだ。
■もうすぐ八月が終わってしまう。桜井君の音楽はまだあまりできていない。それが楽しみなのだ。早くできないかなあ。もしあまりぴんとこなかったら、直しをしてもらおうと思っているから、早いほうがいいのだが。上村が悩んでいる場面もあったが、それも解決の糸口が見えてきた。あとは橋本のギターだ。まだ不安定。死にものぐるいで練習してもらうしかない。
■まだ、考える余地のある場面はいくつもある。あるいは、もっとやりこんで深めてゆく場面も。最後まで粘らなければ。あきらめずにいい舞台にしよう。それにしても、今回は若松さん中心に、かなりばかばかしい場面が多い。だが、タイトにしてゆこう。緊密に作ってゆこう。納得がゆくまでしっかり作ろう。きょうは朝からからだの調子がいまいちだった。でも、稽古がうまくゆくにしたがって、気分が向上していった。この調子でいければいいが。

(8:16 Aug, 30 2007)

Aug. 28 tue. 「ミッキーのTシャツについて」

上村

■写真はイスメネ役の上村である。
■『トーキョー/不在/ハムレット』のオーディションに来たのはもう何年前になるだろう。書類選考段階からして、添付された写真が、ほかの応募者とちがっていた。白黒の写真は、こういった履歴書に添付するにはまったくふさわしくないが、でも味があってセンスを感じさせ、その段階から注目していたのだった。で、オーディションで会ったらことのほかよかった。知人のお子さんで、いま中学生の女の子から「準備公演」の感想をもらったが、そこには、「イスメネが好きです」とあった。いろいろなことをよく知っている。音楽にしろ、映画や美術にしろ、マニアックなものも詳しいので、ときどき僕も教えられることがある。上村も、二〇〇〇年以降の僕の新しい表現に欠かせなくなった。そして、Tシャツはミッキーマウスだ。好きなのだろうか、ミッキーが。だが、これでいてひどくあがり症だ。初日など、ちょっとした失敗などしようものなら、もう、どこまでも転落してゆく。以前、「吾妻橋ダンスクロッシング」に出演したとき、舞台上に水の入ったコップをかなりの数並べてゆくというそのしょっぱな、いきなり、そのひとつを蹴って水をこぼした。もう、あとは台詞がぼろぼろだった。『鵺/NUE』で清水邦夫さんの戯曲に登場する「弟」を演じ、今回もまた、アンティゴネの弟、イスメネであり、どこか「弟」がよく似合う。「弟」に似合うっていうのはなにを意味しているのだろう。

■きのうのことを少し記録しておこう。「青春舞台2007」というNHK−BSの番組に出演したのだった。松江で開かれた「高校演劇全国大会」の上位四校の作品が、八月二六日、二七日に国立劇場で再演されそのときの舞台をハイビジョンで記録した。それを放映し、あいまに出て行ってコメントする。昼の12時過ぎから五時間半の長い番組だった。もちろん、舞台の録画中継があるから、僕をはじめ出演者の出番はそのあいだの一時間半ほど。それでも疲れたな。高校生たちと対面できたのはうれしかった。最優秀になった岐阜農林の高校生たちは素朴な子どもたちだったなあ。それに比べ、大阪の追手前高校はやっぱり都会の子どもたちだ。演劇をやるとは思えないようないまどきの高校生だった。冨士高校は静岡県にあるというが、静岡出身でありながら僕はその高校があるのを知らなかった。学校の窓からすぐそばに富士山があるという。子どものころから富士山を見ながら育ったので、そのありがたさがよくわからないという。以前、僕の演出助手をしていた相馬の母校栃木高校は、男子校だからか、なにかわからない明るさがあった。終わったあと、メーク室で、司会を務めたNHKの小田切アナウンサーと話をしていたら、そこに栃木高校演劇部の部長がやってきた。小田切さんに、「いい司会でしたよ」と言ったのには笑った。小田切さんはプロだよ。感謝の言葉だったと思うが失敗してしまったのだった。小田切さんもまた厚木高校の演劇部だったそうで、この日のゲストの一人、横内謙介君の後輩だという。
■さて、きょうのこと。朝、「webちくま」の連載原稿を書いた。それから稽古場へ。少し睡眠不足だったが、きょうは集中した。ほとんど休みをとらずにずっと稽古していた。気持ちがいいくらいだ。途中、10分の休憩を取ったが、原稿のゲラが森下スタジオに届いたのでそれを急遽、直して返送しなければならなかったからだ。そして稽古再開。同じ箇所をまた流し、そしてそれを細かく返し、修正してゆく。その反復。また、同じ箇所を少し長めに流し、少しずつ完成させてゆく作業だ。もちろん、繰り替えしやってゆくと飽きるわけです。でも、その飽きたところからが大事なんじゃないだろうか。三科がどんどん面白くなってゆく。若松さんのシーンも少しずつまとまってきた。でも、まだわけのわからないダンスをしていたので、それはやめてもらいました。あるいは、何度も見ているうちにここはこうしたほうがいいという発見もある。その反面、まだ疑問に思っている場面もあり、それがどうあればもっといい表現になるのか、考えながら見る。まだ答えが出ないので、ただ黙っているが、ぜったいなにかあるはずなのだ。まだまだだな。もっと出てくるものを豊にしなければ。深い表現にしなければと思うのだ。
■少しずつ舞台はできてゆく。こつこつ積み上げるようにできてゆく。時間をかけてゆっくり作ってゆこう。

■稽古が終わったら外は雨が降っていた。自転車で稽古場まで通っている今野と橋本が、雨があがるのを待っていたので、衣装さんと打ち合わせしたあと、少し話をしたのは、たとえばペドロ・コスタ監督のこと。今野は『ヴァンダの部屋』を観て感激したという。それから、山形で二年にいちど開かれるドキュメンタリー映画祭の話をしてくれたが、国内でも一番の映画祭ではないかと今野は言う。世界中からドキュメンタリーの秀作が集まるそうだ。時間があったら僕も行ってみたいが、今年もまとまった時間が取れそうもない。というか、この本番にかけて、僕にとって人生の一つの岐路になることがあるかもしれない。こんどの3日は稽古が休みだが、父親に会いに静岡に帰ろうと思っている。

(4:08 Aug, 29 2007)

Aug. 26 sun. 「稽古のあと、水餃子を食べる」

南波さん

■たしか、南波さん(写真)とはじめて舞台を一緒にしたのは、九九年である。湘南台市民センターで、当時、その劇場の芸術監督だった太田省吾さんの原作『千年の夏』を僕が演出したとき、それは藤沢市を中心にした市民が参加する舞台だったが、そのなかに南波さんもいた。それ以前から南波さんは、湘南台を中心に活動する「宇宙儀」という市民劇団に参加していた。その後、そこをやめ、以降、『トーキョー・ボディ』『トーキョー/不在/ハムレット』や、僕が演出するいくつものリーディング公演に出てもらった。だからあれなんだな、南波さんに僕の舞台に出てもらうというのは、二〇〇〇年以降、僕の表現が変化したことを支えてもらうようなところがあり、ややもすると、逸脱し、逸脱したままどこかに行ってしまいそうな僕の表現を、きりっと締めてくれる感じがある。
■考えてみたら、僕の舞台で南波さんは、「詩人」をはじめ、今回の「ポリュネイケス」といい、ほとんど生活感のない役ばかりだ。とはいえ、南波さんは、芯の強いところがあるから、どの役でも、それは南波さんだし、また逆に、その強さゆえ、からだから言葉がうまく出てこないときは、それがはっきり声となって現れる。岡田利規君の『エンジョイ』ではまた異なる種類の「人物」を表現していたが、やはり南波さんだった。いい意味でそうだと思った。いわゆる器用な俳優というのとは異なり、じっくり考え時間をかけて表現を作ってゆく。しかし、自分でも気がついていないかもしれないが芯はぶれない。「自身」がその「役」というもののなかにくっきりと現れる。『トーキョー/不在/ハムレット』では六分四〇秒の長い独白があった。それを強い表現として聞かせることができたのは南波さんのその部分だろう。そのときも、「リーディング公演」「準備公演」とあり、さらに、本公演ではニブロールの矢内原美邦による振り付けも加わって激しい動きの中でその長い言葉を発した。けれど、そこからまたべつの言葉にそれを昇華してくれた。今回も長い台詞がある。「リーディング公演」を観に来てくれた友部正人さんが、まるでポエトリーリーディングを聞いているようだったと、その場面をほめてくれた。
■そういえば、今回、カメラマンをしている今野は、南波さんと同じ大学を、同じように中退している。なにしろ今野は、その大学ではひとりも友だちができなかったそうだ。その後、京都造形芸術大学に入り直し、そこでいい友だちに恵まれたようだった。それから、ドキュメンタリー作家の佐藤真さんの授業を受けたことなど、京都に行ったことが今野にはかなりよかったんじゃないだろうか。大学で、友だちが一人もできないというのはいったいどういった状態なんだろう。僕は、すぐに友だちができたから想像ができない。その友だちの一人に竹中直人がいたけれど、ほとんど直感的に行動する竹中に驚かされ、しかし、その理屈のない、ばかなのもかもしれない側面が面白いので、それを僕は盗んだ。で、よーく観察していたら、竹中はある状態に意識をもってゆくに際し、からだをその状態にしているとわかって、それを学習した。それまですべて理屈でなにか判断していたが、そうではない表現の方法があると理解し、身体性のようなものを竹中から学んだのだ。「書く」もまた、結局、身体性だと考えたのはもっとあとになってからだが。

■さて、稽古である。アウトラインのできたシーンをひとつずつ反復し、より深めてゆく。あるいは、このあいだ「通し」をして感じた、せっかちな印象がどこからくるのか考え、戯曲をあらためて読み直した。ひとつひとつ検討してゆくと、ここに「間」がないとか、いろいろわかった。それはたとえば、三秒ぐらいの時間でしかないが、その数秒が重要だ。それは、単に時間をカウントすればいいってもんじゃなく、俳優がその時間を理解するべきだろう。そうでなければ、おそらく舞台は立体感のない、絵のようなものになりはしないだろうか。「絵」だったら、「絵」でもいいという考え方もある。むつかしいな。あと、きょう観ていて気がついたのは、ビデオを手にしている俳優たちの、そのビデオが軽く感じたことだ。だからってなあ、以前、新劇系の俳優さんから聞いた、新劇における俳優術として、「ものを持つときはとにかく重そうに持つ演技をする」というのも、どうかと思うわけだ。「演技」というものでそれを実現するのではなく、もっと表現の方法があるはずだ。ビデオのなかに鉛を入れてすごく重くするというのも、ひとつの手だが、それもいかがなものか。いや、もっとビデオを重くする方法がきっとある。組み立ての中でだ。それを考えているが、なかなか思いつかない。
■稽古後、久しぶりにスタッフを含めて全員で食事に行く。森下にある、「森下」というお店だった。水餃子がすごく美味しい。稽古場を出てみんなと一緒に食事をするのは楽しい。僕は酒を飲まないので、稽古が終わってから飲みに行くといったことをまったくしないから、こういった機会があると、べつにことさら芝居の話をするわけではないが、よりみんなを理解することができる。で、みんなが外に出て帰ろうとしたあと、音響の半田君と太一だけがまだ飲み足りないのか、店に残った。うらやましいなあ、飲んべえの、そういったでたらめさは。ほっておいてみんな帰る。
■家に戻って、舞台のことを考えればいいものを、ギターのことをつい考えてしまい、ネットでいろいろチェックする。このギターがほしいとか、エフェクターのこととか。こんなことをしている場合ではないのだ。あした(27日)は、NHKのBSで、松江で開かれた高校演劇の大会を紹介する(優秀校の舞台の録画中継がある)「青春舞台2007」という番組があり、それに僕は生出演する。生は怖いよ。なにを言い出すかしれたもんじゃない。

(7:41 Aug, 27 2007)

Aug. 25 sat. 「通しをやり、そして、さらに表現を深めるために」

稽古場

■いつものように俳優の紹介写真を掲載しようと思ったが、きょうは写真を撮り忘れた。きのう(24日)は稽古後、残っていた上村をモデルにデジカメで撮影したものの、暗い場所で撮ったので表情が不明瞭な、あまりいい写真じゃなかった。保留だ。あと、男ばかりが続くのもなんである。そこで稽古場の様子を撮った写真を載せることにした。舞台にグリッドができている。舞台美術の大泉さんと相談してこういうものになったのだ。
■24日は、音響の半田君と音楽の桜井君に観てもらうこと、それから単純に、僕が全体像を把握したいと思い、仮の「通し」をやってみた。大きな破綻もなく通しができたが、なにか全体がせわしなかった。ためがないというか。まだまだ、細部がだめだな。もっと稽古をしなければ。それができてはじめて、次のことが考えられる。何度も反復しそのなかからなにか見つけるものがあるはずだ。稽古をしながら戯曲も書き直している。まだ、決定稿にはならない。最後までじっくり考えよう。僕はドラマのうまい書き手ではないので、自分でもよくわからないまま、イメージを連ねてゆき、舞台ができてから、なにを書こうとしていたかようやくわかる。舞台を作る過程で書こうとしたことを再確認する。そんなふうにしかできない。だから、ここはなんでこうなるのか質問されると、そのほうが、面白そうだったからとしか言いようがないんだけど、たとえば、ライブ映像で、なぜかサイケデリックな世界になる場面があって、この意味がまったくわからない。ただ、やってみたかったんだ。というか、その映像の撮り方に興味があったとしか言いようがない。そういえば書き忘れていたが、このあいだ、「シアターガイド」の取材があって、いろいろな雑誌で取りあげてくれるTさんに質問された。それで質問されているうちに思いだしたが、この作品を書こうと思った最初の動機は、コラージュのような舞台にしようということだ。ドラマも物語も一切ない、詩のようなものが連なった作品にしようというのが、最初の考え方だった。だけど、コラージュとドラマとのあいだで揺れてしまった。
■僕には珍しく、今回の舞台には煙草を吸う場面が一切ない。この戯曲にはその「時間」がなかった。「煙草を吸う時間」がなかった。それはこの作品の表現を示しているように思う。かつて、九〇年代に書いた作品は必ずと言っていいほど誰かが煙草を吸っていた(もちろん、去年上演した『鵺/NUE』は、煙草が大きなモチーフとしてあったが)。そこには、「煙草を吸う」という行為によって構成される時間があった。おそらく、それがないというのは、根本的にあのころ書いたものと異なるのだろう。

■ヤフーオークションで買ったギターを稽古場に持って行く。半田君が持ってきてくれたアンプにつないで音を出した。橋本が一生懸命ギターの練習をしている。だんだんうまくなってゆく。二反田の泳ぎといい、橋本のギターといい、稽古の過程でなにか上達するという事態は面白いな。人って、(まあ、主に、身体的な運動についてだが)できないと思いこんでいることは、たいてい思いこみに過ぎないのかもしれない。やってみたら、結構できるんじゃないのか。俺もなあ、四十歳の半ばを過ぎてからクルマを運転するようになるなんて思わなかったからな。稽古後、僕もギターを少し弾いて気晴らし。もっと、いろいろなギターが欲しくなってしまった。

(3:57 Aug, 26 2007)

Aug. 23 thurs. 「稽古は休みでも仕事は続く」

麻布ディプラッツの近くから見た東京タワー

■稽古は休み。少し勉強。夕方、髪を切ってくれる店でまた坊主頭にしてもらった。睡眠不足だったせいだろうか、そのあいだ、ずっと眠りそうになっていた。昨夜遅く、鍼治療を受けたせいもある。からだがぐったりしていたのだろう。鍼治療は定期的に受けているが、今回は腰に不安があったので、思い切ってやってもらった。痛かったんだ。治療自体がすごく痛かった。しかも鍼の先生がサービスとでもいうのか、ものすごい数の鍼を打った。打った腰のあたりなど、鏡で見ると、なにか虫にでも刺されたかのようにぷっくら赤い斑点が無数に浮かんでいる。激戦を物語るような跡が残る。
■夜は、京都のダンスカンパニー「セレノグラフィカ」の公演(オリエンタル版@麻布ディプラッツ--東京-- 「ダンスがみたい!9」参加公演)のプレトークで話をする。少し早めに麻布に着いたのでどこかカフェにでも行き時間をつぶそうと思ったら、このあたりにはなにもない。ただ、東京タワーが目の前にある。しばらくそこらを散歩した。ほんとになにもない。途中で「珈琲園ブラジル」という喫茶店を見つけたが、午後五時以降は、まったくちがう名前の、それを忘れてしまったが、やけにしゃれた名前のバーになっていた。なんだよそりゃ。仕方がないので缶コーヒーを買って公園で時間をつぶした。で、劇場で、山海塾の照明をしている岩村源太さんに会う。岩村さんとは、京都造形芸術大学で教えていたころに知り合った。きょうのトークを進行してくれる。いろいろな人が来ていた。東大の内野儀さんもいらした。舞台のことなど少し聞きたかったがあまり話しをすることができなかった。トークは、これから作品の上演があるのに、これでよかったのだろうかという内容。なんだか申し訳ない気がする。ダンスについてうまく言葉にできないのだが、いろいろな細部を興味深く見た。それから、岩村さんにうかがったが、少しずつ作り、そして発表し、そうやって作品を生み出してゆくという「セレノグラフィカ」の話に興味を持った。作り方のまたべつの試みだ。演劇は、たとえば、それが「ドラマ」だとすれば、少しずつというわけにはいかないだろう。べつに「連続ドラマ」みたいなものをやろうってわけじゃないし。むしろ、そういう作り方によって生まれる演劇としての舞台作品が、ドラマではなく、存在するかもしれない。つまり、「作り方」が先行した表現。いろいろ示唆される。もっとダンスを観よう。
■さて私はといえば、どうしたって、『ニュータウン入口』のことばかり考えてしまうわけだが、結局、16日に撮影した映像は、二反田が泳いだ池のシーンをのぞいて撮り直すことにした。あれからいろいろ考えたのだ。技術的なことで失敗している部分もあるし、考えていたら、こうしたほうがいいと思うことがあった。出演していた鎮西には申し訳ないがもういっぺん撮り直したい。さらに、その部分、いったんシナリオのようなものを作ってそれで撮影したが、あらためて書き直すことにした。というのも、まあ、最初に撮ったのは、ほとんどテオ・アンゲロプロスの『永遠と一日』のラストシーンと同じ台詞で、あきらかに、もうひとひねりあるべきだったのだ。舞台のことばかり考えている。まあ、しょうがない。

(9:59 Aug, 24 2007)

Aug. 22 wed. 「さらに深めるために」

稽古前にくつろぐ二反田

■毎日、一人ずつ俳優を紹介しているが、きょうは鳩男役の二反田である。青年団に所属している。映像で池を泳がなければならなかったので、この夏はプールに通って泳ぎの練習をしていた。猛特訓だ。それまで25メートル泳ぐのがやっとだったにもかかわらず、人間、練習すればなんとかなるもので、このあいだの撮影のときすいすいと池を泳いだ。演出助手の白井が指導して、しばらく練習していたら泳げるようになったというのだ。わからないものだなあ。ある日、市民プールに練習に行ったら小学生の女の子が団体でいたという。大人は二反田だけだ。あからさまに不審者だった。二反田にはなんの罪もないが、少女連れ去りなど、そういった事件が社会的な問題になってから、人の見る目が変わってしまった。しかも、その環境におかれた本人がそう感じている。まったくやっかいなことになっているのだ。あと、二反田は声が高い。それから、これまでに何度も、初めて会う人から「二反田団」という劇団を作ったらどうかと冗談で言われたという(いわずもがなの解説をすると、「五反田団」という劇団があるのだ)。俺は言わなかったよ、あまりにあたりまえすぎて。
■そしてまた、きょうも稽古だ。戯曲の半ばあたりを稽古した。これは、いままでに何度も経験していることだが、そうだと思いこんで稽古しているうち、繰り返し同じ場面を見、ふと、こういうやり方があると気がつくことがある。むしろ、なんでいままでそれに気がつかなかったのか不思議なほどだ。反復と発見。まだなにかあるはずなのだ。俳優の芝居はだんだんと固まってきた。ニュータウンに土地を買いにきた若い夫婦の夫役・根本洋一を演じる時田のシーンを反復。ぜったい、時田はもっとよくなるはずだ。
■わりと、みんなが稽古できるようにと、流して長めにやってみることがいまのところ多い。もっと短いところを深める稽古をこれからはもっとしなければ。アウトラインはできたがそれをどう深めるか。できればいいってもんでもない。クオリティがあがればいいわけではない。そこからもっと出てくるもの、からだが発するものを見つけなければと思うのだ。まだそこまでいたっていない。だって、「リーディング公演」「準備公演」を経て、ある程度、作品の姿は浮かびあがっている。本公演にあたり、その成果をもとに、もっと異なるなにものかを見つけなければ意味がないだろう。奥行きの深いもの。俳優は、作品に奉仕する必要はないと思う。その瞬間を生きてくれればいい。もちろん、俳優の仕事としてせりふをちゃんと言うとか、いろいろあるわけだけど、でも、そうした条件のなかで生き生きとすることはできるはずだ。

■途中で短い休憩を入れるが、夕食の休憩を入れないで稽古することにしている。これをやってみてわかったのは、あの一時間弱の休憩が途中に入ると、なんだかからだがだるくなったり、眠くなったりすることだ。いままでは俳優に気をつかっていたが、むしろ、俳優こそがそうなんだろうと思う。つまりからだが冷えるということ。それより、そのぶん早めに稽古を終えたほうがいい。
■初日まで一ヶ月を切ってしまった。もうそんなになってしまったか。あしたは稽古が休みだ。稽古明け、一度、通してやってみようと思う。スタッフに見てもらいたいのもある。それから全体を通してどうなっているか見てみたい。上演時間の目安も知りたいし。長いようだったら、どこかカットしよう。いや、べつにそれは単に「上演時間」という制約というより、舞台をよりシャープにしたいのだ。足すだけ、足して、それから引くことができればと思う。できないんだよな、引くって作業が。つい足したくなる。足すのではなく、引く。引くことによって生まれる美しさがきっとある。
■ラストで流れる「映画」を岸が編集してきた。稽古が終わってから大きなスクリーンで見たが、思いのほかよくできていたので驚いた。それから、いろいろ考えて、このあいだ撮影した映像の半分くらいをまた撮り直しにゆくことにした。もっといいものが撮れたはずだが、準備不足だったと判断したのだ。まあ、主にアンティゴネ役の鎮西のところだが、ものすごく暑かったのと、日差しがまぶしいこともあって、鎮西がそういう表情をしていた。それもよくないし、そもそも、映像がもうひとつだった。いいものを作ろう。そのためにできることは、あとで後悔しないために、しっかりやっておこう。

(7:43 Aug, 23 2007)

Aug. 21 tue. 「残暑はきびしいが」

話をする佐藤

■まちがいをひとつ訂正するならば、きのう書いた、ダンスカンパニー「セレノグラフィカ」の公演(オリエンタル版@麻布ディプラッツ(東京) 「ダンスがみたい!9」参加公演)での僕のプレトークは、23日(木)だった。考えてみたら、23日が稽古休みだったんだな。いまやもう、時間の感覚がでたらめになっている。稽古場にばかりいる。そして、僕の休みはないのだ。
■本日の写真は佐藤である。リーディングのとき、衣装用にTシャツを佐藤に貸したのだった。返ってきたそのTシャツを着たら首が伸びていた。どんな着方をしたのかわからないほど首が伸びていた。僕も首は太いほうである。だとしたら佐藤がそれ以上に首が太いのだろうか。となると、ハンマー投げの室伏なみだ。驚くべき首だ。だが、比べてみたところそんなに首の太さは変わらない。試しに伸びてしまったTシャツを佐藤が着たらぴったりだ。僕が着ると伸びている。謎だった。しかし、伸びたTシャツを着るとなんであんなに気持ちが悪いのだろう。ひどくだらしない気分になるのだ。佐藤は物語のなかで鍵となる役。佐藤が長い台詞を口にすると味があるが、それはほかの人にはない。なにしろ、油断していると、声がひっくり返る。それも味。そのぶれのようなものがいい。
■さて、きょうも昼の一時半から稽古。前半をやってみた。だんだんできてきた。あまり二反田には、ああしろ、こうしろと言っていなかったのだが、最初に若松さんとのシーンがあり、そのやりとりのなかで変化してゆくのを感じた。よくなってきているのだ。大事な経験だと思う。年長の人たちと舞台を一緒にすると、それだけで価値があるにちがいない。特に、若松さんが特別だから、これはめったにないことだ。山口小夜子さんが亡くなられたという報があったが、若松さんは天井桟敷時代に山口さんと共演なさっているそうだ。そうして、連綿と流れてゆくなにものかがある。若い俳優たちには、そうした経験のなかで、なにかを獲得してもらいたい。遊園地再生事業団という「場」を利用して、得られるだけ、得ればいいと思うのだ。

■照明の斎藤さん、音響の半田君が来て、稽古を観てもらった。また稽古場があたたまってゆく感じだ。作業は少しずつ徐々に進んでゆく。ひとつの輪郭ができる。その輪郭をべつの線で描いてみる。そして最終的には、輪郭線のない、もっと立体的なものによって、その線が浮かびあがってくるようになればと思う。太い輪郭線で、ぎゅっとそれを描くのではなく、もっと異なる表現を探している。輪郭線のかわりに複雑な面による構成。面が接することで、そこに、線のようなものが生まれる。輪郭が、「線」ではなく、べつべつの面が接することで見えてくる。それはデッサンのように。
■稽古が終わって家に戻り、『眠り姫』という映画をDVDで観た。コメントを書く仕事だ。詳しいことは書かないほうがいいと思うが、日常がカメラのレンズを使ってべつのものになってゆく。だからといって、べつにトリッキーなことをしているわけではない。そのことからいろいろに想像する。少し熱をおびた意識で見た街の風景。表現したいことに近しいものを感じたが、ここまで徹底する意志が僕には希薄だ。
■そういえば、Final Cut Proの調子の悪さは、再インストール後も変わらなかった。これはもう、映像素材を取り込んだ際になにか問題があって、そこからやりなおさないとだめだと、きょうのところは結論づけた。いろいろ、うまくいかないことはあるな。うまくいかないことを通じて学ぶ。ごつごつした手で不器用そうに作ってゆく。まあ、それしかできないのだが。

(1:55 Aug, 22 2007)

Aug. 20 mon. 「眠らずに稽古」

斎藤と鎮西、稽古風景

■稽古が終わってから、格闘シーンを自主稽古する斎藤(右)と鎮西(左)。きょうのメインは斎藤だ。ヒップホップをやっていたという。ニューヨークで踊った経験があるらしい。これはべつに仲良しのシーンではあきらかにない。後半に出てくる理不尽な格闘シーンである。いろいろ研究中だ。最初はうまくいかなかったし、斎藤にいたってはほとんど格闘技の技を知らなかったが、稽古しているうちにだんだん覚えてきた。だいぶよくなってきた印象。
■稽古に行く前に、「BURUTUS」の原稿を仕上げる。さらに「サーカス」の原稿を書きあげ、そして、戯曲のここまでの決定稿(まだ変更する予定)を書き終える。ほとんど眠らないまま、稽古場へ。またぐったりとしたが、しかし原稿が一段落ついたので少し気分的には余裕になった。ところで、稽古場で、映像班の井上さんが編集をしているが、どうもFinalCutProの調子が悪い。サポートセンターに電話し、向こうの指示に従っていろいろ試してみたが、どうしてもうまくいかない。困った。結局、FinalCutProを再インストールすることにした。でもニュータウンの映像などいいものができてきた。膨大に撮影した素材の中からどれを使うか悩むくらいだ。
■さて稽古だが、後半はかなりよくなってきた。さらに反復し、微調整してゆけばもっとよくなるのではないだろうか。まだ表面的に形が整ったところ。でも、これからさらに稽古することで深みを増してゆけばいいと思う。いい舞台にしよう。丁寧に、丹念に演出しよう。あきらめずに。稽古後、若いスタッフや俳優と、森下スタジオからすこし歩いたラーメン屋に入って食事。みんなと食事をするのは久しぶりだな。寝ていなかったのであまり僕は盛り上がらなかったが、でも楽しかった。原稿は一段落。あと、仕事のために観ておかなければならないDVDがある。23日(木)に、ダンスカンパニー「セレノグラフィカ」の公演(オリエンタル版@麻布ディプラッツ(東京) 「ダンスがみたい!9」参加公演)があって、その開演の前にあるアフタートークならぬ、プレトークに出演するのだった。詳しくは、セレノグラフィカのサイトをご覧ください。忙しい。くり返すようだが仕事を引き受けすぎた。でも、稽古は楽しい。少しずつできてゆく。いくつかの場面をのぞいてはかなりできてきた。

(7:05 Aug, 21 2007)

Aug. 19 sun. 「素晴らしき日曜日」

三科と、稽古風景

■写真は、三科である。えーと、名前を忘れてしまった劇団にいる。申し訳ない。なんだっけな、奇妙な名前の劇団だった。で、この写真を撮ったとき一緒に南波さんもカメラに収めたが、やっぱりケーキを食べており、口にクリームがついていた。そりゃあちょっと大人として問題なので、南波さんの写真はまた次の機会に。それにしても三科には妙な面白さがある。「MAC POWER」のT編集長はメールで、「最後になりますが、ボクは三科さん相当好きですね(笑)。あの表情と声、猫背っぷりはたまらないものがあります」と書いてくれた。そうなんだ。猫背なんだよ。どうなってるのかよくわからない姿勢だ。で、その三科が以前、僕にメールをくれたのは、今回の舞台で引用している黒澤明の『素晴らしき日曜日』をDVDで観た感想だった。とてもよかったという言葉があって、それで自分も、「終戦直後のような生き方をしている」という意味のことが書かれてあった。その意味がよくわからなかったのだ。
■さて、稽古だ。毎日が稽古だ。今月はもう、俺は一日も休みがないのだ。仕事を引き受けすぎたよ。笠木が見学に来た。それから若松さんの事務所の方がいらして、それぞれ差し入れをいただき、途中の休憩のとき、みんなばくばく食っていた。で、休憩中、僕は映像について、岸や井上さんとのことをしてたような気がするのだが、気がついたら、差し入れがもうなかったのだ。失意のうちに私は稽古を続けた。きょうは気持ちよく稽古をすることができた。ライブ映像の一部で、これまでと異なる映し方を試してみたところ、ことのほかうまくいったので、それでご機嫌になったのが大きい。きのうは調子が出なかったがきょうはかなりいい感じだった。
■それで順調に稽古を終えて家に戻ると、白水社のW君からメールがあった。とても貴重な示唆をもらったし、勇気づけられた。で、原稿を書く。「BURUTUS」の原稿だが、テーマが「八〇年代ファッション」についてだ。俺はファッションについて無知だ。じゃあなぜ引き受けてしまったかだ。しかも、原稿用紙10枚だ。こりゃあ大変だと思っていたが、書き出したら思いのほかすいすい書けた。資料にするため、八〇年代に発行された「an・an」を古書店の十数冊買った。考えてみたら、同じ出版社じゃないか。「BURUTUS」も「an・an」も、マガジンハウスだ。しかし、「an・an」はすごいよ。読んでいるとかなり笑う。原稿にぜんぶが書けなかった。字数が足りないくらいだ。もっと書いてもよかったんだ、って、最初と言ってることがちがうし、でたらめだが。

■さあ、初日まで、あと一ヶ月だ。まだ一ヶ月もあるのか。わからないな。「まだ」か、「もう」か。稽古の時間について根本的な原理はなにかあるのだろうか。舞台作りの指針として、「稽古時間」について誰かしっかり論考している人はいないのだろうか。それを参考にしたい。いろいろな経験がテータとして残されていればと思う。すべての舞台の稽古時間が資料としてあればそれを調べたい。あと、下北沢について、以前、「尾崎放哉Tシャツ」を送ってくれた「ボンベイジュース」の店長さんからメールをもらった。とても示唆的な内容だった。それもまたこんど紹介したい。そういえば、「尾崎放哉Tシャツ」だが、送っていただいた直後、かつて寝屋川に住んでいて、いまは桜上水に住むYさんからもプレゼントしてもらったんだった。ありがたかった。というか、Yさんは、それを発見して「これはなにか運命的な出会い」と思って僕にプレゼントしようとした矢先、僕のこのノートに「尾崎放哉Tシャツ」が紹介されているのを知り、愕然としたという。申し訳ない話である。そして外は残暑。稽古は佳境である。

(10:38 Aug, 20 2007)

Aug. 18 sat. 「なにか不調だった」

山縣太一

■写真は山縣太一である。これから毎日、一人ずつ写真で俳優を紹介してゆこうと思うのだが、太一は、チェルフィッチュの岡田君の作品によく出ている俳優だ。チェルフィッチュの中心俳優のひとり。というか、現在性を持った俳優のなかでも、いま特別な身体の持ち主だと考えられる。若松さんもかなり「特別」だが、やはり種類が異なる。現在的だ。
■きょうの稽古はやけに疲れた。理由がよくかわからないが、疲労が堆積したということかもしれない。少し寝不足だったのもある。だけど、うまくゆかないところが多かったせいだろうか、どうもイメージ通りにならない場面が多くて、ひっかかったまま、それを即座に解決することができない自分にいらだったのかもしれない。演出するというのは、いったいなんだろうとあらためて考える。若いころから、演出するというのは、その場で思いついたことをさっとやってみるという反射神経でこなしてきた。ような、気がするが、それだけじゃないと思うのだ。じっくり構えて、俳優を信頼し、見ているのも必要なんじゃないだろうか。時間をかけて待つこと。太田省吾さんについて、人から聞いたところによれば、「ちがう」としか言わないという話がある。ただ黙って稽古を見、それで、よければいいが、ちがうと思えば、「ちがう」だ。もうかなり前、太田さんから、「宮沢君は気になるんだよな」と言われた。稽古を見ながら少しでも気になるところがあると、そこを細かく直さないといられないことを指摘された。でも、その言葉の真意がわからなかったし、では、「気にしない」という演出の方法があるなら、それはなにか、もっと太田さんに質問すればよかったのだ。
■稽古には、白水社のW君が見学に来てくれた。終わったあと、細かい打ち合わせがいろいろあったので話ができず、気がついたらもう帰ったあとだった。話がしたかったのだが。で、映像の井上さん、今野と舞台中に流す映像について相談。編集したところまでを見せてもらった。稽古場にあるMacProで編集してもらっている。なんかシステムが調子悪いので、Disk Worrierで修復しようと思う。なにが原因かわからないが不安定になってしまった。で、映像だけど、暑いなか撮影したかいがあった。いい絵が撮れている。でも、編集者はまだ、こだわる必要があるかな。きょうはこれでいいとOKを出したが、あとになって考えると、冒頭で流れる映像などまだ考え方があるように思える。
■それにしても疲れた。なんだったんだ。なにがあったんだっけな。ああ、途中で、なにかいらいらして怒鳴ったな、俺。気が晴れぬまま稽古や打ち合わせを終えて家に帰る。

(4:38 Aug, 19 2007)

Aug. 17 fri. 「きょうの若松さん」

若松さん

■若松武史さんはきょう、逆さまになっていた。
■まあ、三点倒立なんだけど、同じとき、舞台上にいた二反田と上村が、ふと振り返るとふつうに立っていたはずの人が逆さまになっていたのだ。毎日、やっていることがちがう。『鵺/NUE』のときも、稽古の最初のころはいろいろ試しているようで、思い出せばずいぶん自由だった。それがだんだん固まってきて、なにかが若松さんのなかで結論が出るらしい。で、少しずつ固まってはいるものの、『鵺/NUE』では、若松さんは出ずっぱりだったからあまり考える時間がなかったんだと思う、今回はほかの人の稽古で待っている時間が長いせいか、そのあいだに、とんでもないことを考えているのだ。考えさせないようにしたほうがいいんじゃないだろうか。台詞もだいぶ入ってきて安定してきたというものの、次に何が来るのか、僕も予想していないが、同じとき舞台に一緒にいる者にとってはいよいよ予想できない。なにしろ逆さまになっていたのだ。
■午後から稽古。はじめ、芝居の半ばあたりを少しずつ整理し、そしてもっと面白くなるんじゃないかと細部を手直ししたあと、夕方、少し長めに流してやったところ、やっぱり最初のあたりは、まだ不安定だ。これからだな。もっと細かく稽古しなくては。というか、何度も見ているうちにいろいろ思いつく。発見もある。ここはこうすればいいんだとわかる。稽古のやり方そのものが、いつも同じではつまらない。もっとなにかないかと思いながら、探り探りやっている。まあ、「リーディング公演」「準備公演」と二つの公演を通して獲得してきたことは多く、それ自体が、また異なる舞台作りの試みだ。劇団とはそもそもそういったものなのだろう。長い時間をかけた集団創作。遊園地再生事業団は劇団ではない。「劇団にしない意味」はいろいろあるが、まあ、省略するとして、また足りなさもあり、いまやっている長い創作期間はその足りなさを補うというのが、一つの理由としてある。でも、それだけではない。「作り方の試み」とよく話してきたが、「作り方の試み」も、もっとほかに方法があるかもしれない。

■きわめて唐突だが、今回の舞台でエレキギターを使いたいと思ったのだ。橋本という、二日前のこのノートに添えた写真で、時田の右にいる者が歌う箇所があり、そこでギターを弾かそうと思ったわけだ。それでヤフーオークションでエレキギターを探していたことは覚えているのだが、入札した記憶があまりない。眠る間際に入札してしまったのかもしれない。落札していたよ。驚いた。すごく高価ってわけではなかったのでいいが、でも、まあ、舞台で使いたかったからいいか。むかしどうしても舞台で使いたくてやっぱりターンテーブルとミキサーを買ったんだったな。深夜、桜井君がすでに作ってくれた音楽のメロディーに詩をつけた。たった二行の詩。これを橋本に歌わせよう。あと一ヶ月で猛練習だ。桜井君に、練習のためのガイドを作ってくれるよう、深夜メールした。早く稽古したい。
■そんな稽古と、きのうの撮影のように、舞台作りの日々だが、連載原稿の締め切りも着々とやってくるのだった。「webちくま」と「一冊の本」の原稿を書いた。まだ、「CIRCUS」があるし、イレギュラーの原稿が二本あって、このあいだ書こうと思ってその詳細を見たら、原稿用紙10枚とあった。それを確認した途端、書く気がまったくなくなった。この期に及んで10枚ってことはないじゃないか、この忙しいのに。いまは舞台のことばかり考えている。
■過日、あれはいつだったか、下北沢に行ったときのことだ。茶沢通りと小田急線がぶつかる踏切の手前でクルマに乗って、踏切があくのを待っていた。すると、遮断機が下りてきたころ、まだ小さな女の子が自転車で渡ろうとしているのに、うまく進めず、踏切内に取り残されそうになっていた。危ないと思って、クルマを停車させ助けにゆこうと思ったら、なんとか女の子は自力で外に出ることができた。そこに父親がやってきて叱っている。よく見たら、むかし僕のワークショップにも来ていて、よくメールをくれるO君だった。ああ、あの女の子は、はなちゃんだったのか。まだちっちゃなころのはなちゃんを知っている。子どもって成長が早い。それにしても無事でなによりだった。

■まだ残暑は続くのだろうか。稽古はさらに進む。稽古がうまくゆく、とはなんだろう。ぴたりぴたりと、細部の精度を上げてゆけばそれで稽古の成果になるだろか。丁寧に、丹念に稽古をしたいと思うけれど、もっと異なるものがあるように思えてならない。若い俳優は成長するために稽古はある。だが、もっと異なることもあるな。表現を深めるためのなにか。その「なにか」という漠然としたものがよくわからない。こんだけ舞台を演出してきてもまだわからない。それを探しています。

(9:24 Aug, 18 2007)

Aug. 16 thurs. 「八月の炎天下だったよ」

撮影

■途中、本気で俺は、熱中症になるかと思った。とにかく暑い。そんな日、われわれは、『ニュータウン入口』で使う映像素材を撮影しに、多摩ニュータウン方面に出かけたのだ。撮影は順調だったし、いい映像が撮れた。楽しかったしな。だけど、ほんとに暑かった。ものすごかった。
■朝6時過ぎにみんなが初台の我が家に集合した。向かうのは、僕のクルマと、レンタカーで借りたホンダのステップワゴンだ。映像に出演する、アンティゴネ役の鎮西と鳩男役の二反田をはじめ、映像班の岸、井上さん、今野、さらに、手伝いに来た演出助手の大地と白井、それから上村もいる。制作の永井、さらにクルマの運転をかってでてくれた時田だ。考えてみたら、時田が運転してくれなかったら、誰がレンタカーを運転したんだろう。白井か。うーん、それはもう、心配で走れなかった気がする。岸はすごいよ。おとといぐらいにイスラエルから帰ってきて、すぐにこの撮影に参加してくれたのだ。なんてタフなんだ。
■初台を出発して首都高に乗り、首都高から中央高速、調布の先で稲城大橋の有料道路を走って多摩に出た。正確にはここらは稲城市から、多摩市にあたる。まず最初の撮影は、以前、ロケハンに来たとき見つけた若葉台というニュータウンの一画だ。ラストに流れる映画のワンシーン。鎮西の場面である。まだ朝も早かったからそれほど暑さを感じなかったし、道路を行く人やクルマも少なくて撮影は順調に進んだ。テクニカルなことで苦労したものの無事に撮影を終えた。きれいだな。ニュータウンはほんとにきれいに整備されている。井上さんは、はじめてこのあたりに来たのか、まるで映画のセットのように建ち並ぶ住宅群に興味を持ったようで、そこらをクルマでゆっくり走って撮影。井上さんというのは、二段目の写真に写っている女性だが(ちなみにその横にいるのが鎮西)、プロで映像の仕事をしている人だ。クルマの窓から身を乗り出し、いわゆる箱乗り状態で撮影していた。まだみんなこのころは元気がよかった。

■その後、今回の『ニュータウン入口』のチラシに使われている写真を撮影した団地に移動し、そこで鎮西のべつのシーンを撮影したが、ここでの暑さはただごとではなかった。日陰がなかったのもあるけれど、時間的にも日が高くなったころだったのか、立っているだけで汗が出る。それだけで疲労する。日に焼ける。そこでの撮影を終えて、鎮西のシーンはもう撮り終えたが、その後も撮影に付き合ってくれ、手伝いもしてくれた。とはいえ、ここから「じゃあ、帰って」と言うわけにもいかない。クルマで次の撮影場所に移動だ。
■ところで、僕のクルマはエアコンをつけるとエンストするのだった。エンジンをぶん回しているときは平気だが急にアクセルを放してエンジンの回転数が下がると止まるのである。だからいちばん焦るのは交差点だ。交差点を右折か左折しようとするとどうしたって減速しエンジンの回転数が下がるのでエンストする可能性がかなりある。原因はよくわからないものの、エアコンをつけていると、まず、発生する。だからエアコンを切り、窓を開けて走ったが、まるでサウナにいるように汗が出る。久しぶりに気持ちのいい汗をかいたよ、俺は。同乗していた映像班の、岸、今野、井上さんが死にそうになっていたので、もう一台のクルマに乗っている永井に、とにかくエアコンの効いているところでいったん休もうと携帯で連絡。このまま走ったら熱中症になっていたと思う。
■食事。一息いれる。だが、テンションってやつは、いったん休みが入るとがくっと下がるもので、なんだかだるくなった。だいたい、あんまり眠っていなかったのでファミレスで食事をしたら眠くなってきた。それで小一時間休憩をとってから意を決して、つぎの撮影場所へ移動したわけだが、これが今回の撮影でもっとも困難な場所だ。三段目の写真である。池である。二反田のシーンだ。詳しいことは書けないが、まあ、写真を見ればだいたいのことは想像できると思う。スタッフは、パンツ一丁になって池に入ったのだ。その向こうにいるのが二反田だ。詳しくは書かないがこの撮影が思いのほかうまくいった。何度かテストをしたり、何テークか撮ったものの、最終的にはかなりいい絵が撮れたのではないか。写真にはないが、カメラでプレビューしているとき、水に入っていた、岸、今野、上村、大地の四人は、パンツ一丁でモニターを見ていた。あらかじめ水着を用意してくればよかったものの、もってなかったのでもう捨て身である。下着だ。下着でずぶずぶと水の中に入ったのだ。このときほど、暑い日でよかったと思ったことはなかった。とにかく撮影は成功した。楽しみにいしていただきたい。

■その後、ニュータウンの実景などをいくつか撮影して初台の僕の家に戻った。そうめんをみんなで食べた。食ったなあ。食った食った。36束食った。ものすごい勢いで岸と大地は食べていた。それからスイカも食べた。上村がものすごくスイカを食べた。それからずっとばか話をしていた。主に、話題は「岸伝説」である。それから、池の撮影のとき、なにもしなかった白井について。白井は、池に二反田が入るということで救助係ということだったが、はじめ水辺の茂みに立っていた。なんの悪気もなくそこにいたのにカメラに映りこんでしまうから「邪魔だ、どけ」とまで言われ、結局、最後まで茂みにしゃがんで体育座りをしていた。なにもしなかった。幸いなことに、救助の必要もなく撮影はきわめて順調に終わったのだった。まあ、それがほんとによかった。なにごともなくてラッキーだった。しかもいい絵は撮れたし。
■疲れた。炎天下に立っているだけで体力は消耗してゆく。家に帰ってニュースを確認すると、日本中で、この日は猛烈な暑さだったと知った。また、なんて日に撮影をしてしまったのだろう。でも空は晴れていて、光は強く、いい絵になったんじゃないだろうか。よかったよかった。誰にも事故が起こらなかったしな。さあ、いい舞台にしなくては。またあしたからは稽古場だ。

(6:43 Aug, 17 2007)

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