富士日記 2.1

Jun. 26 sun. 「4月からのめまぐるしさについて ver.3」

Final Cut Pro(いまだに)で授業の準備。大野一雄さんの映像を編集中の写真。身体論で、様々なダンスする身体を学生に見せようと思ったが、「舞踏」までたどりつかずに授業の終りの時間。残念。素晴らしい大野さんの姿だったのだが。

さて、突然、このノートを再開することにしたのである。というのも、日々がめまぐるしく過ぎ、なにをしているのか、なにをしようとしているか、自分でもわからなくなっているからだ。とにかく大学の準備は忙しかったが、とりあえずいまだけ、かつての授業の資料を流用し、少し手を加えて話している。新しいことを考えなければと思いつつ。
なによりきつかったのは、4月からの「90年代地下現象学講義」(五反田のゲンロンカフェ)だった。4月以前、わりと順調に講義の準備を進めていたが(といってもきつかったものの)、4月以降とは比べものにならない。とにかく、すぐ来るんだよ、講義が。しかも、Eテレの「ニッポン戦後サブカルチャー史III」の収録が始まり、こっちも「90年代」がテーマだったから、内容が被らないようにするのも一苦労。そんなこんなで、講義ばかりしていた三ヶ月だ。疲れた。大学で戸惑うことがいろいろ多かった。なにか早稲田で教えていた3年前とずいぶん雰囲気が変わっていた。第二文学部があったのもあり、18時以降も大学にはわさわさ人がいた。しかも夜、なにか活気を感じたが、いまはそれがない。驚いた。みんな18時以降になると帰る。キャンパスが静かだ。バイトに追われているのだろうか。ただ早く家に帰りたいのか。それより(書を手にしつつ)町に出ればいいと思うが。
あと、授業の雰囲気が少しちがうかな。「サブカルチャー論」という365人の受講生を相手にするのは、まあ、話しづらいという問題はあるものの、かつてとそれほど変化はないし、「先生、レジュメをくだせえ」と言ってくる学生がいてむしろ熱心だ。そこへゆくと、「サブカルチャー論演習」の覇気のなさはなんだろう。やり方を間違えたか。なにか変だな。かつてはこの授業がいちばん盛り上がったのだ。うーん、後期に向けて考え直そう。というか、90分の授業で、三人の学生がプレゼンするスタイルがだめなのか。まったく話に集中していない学生もいるしな。なにかコンピュータでわりと簡単なプログラミングをずっとしていた。それで、その学生にいきなり「プログラミングの話」を、授業の内容として聞く。個人が使うコンピュータは60年代末の「カウンターカルチャー」のなかから生まれたのだから、まんざら授業と関係がないこともない。ま、あれだな、プレゼンがもっと面白ければいいとは思うものの。この授業だって、最初のころ、やっぱり大変だったという記憶もあるし。文化構想学部一期生が受けていたころは人数も少なくて、発表からどんな内容だろうと僕が話を広げる苦労をしていた。いいところばかり記憶に残る。いいことばかりではなかったし、これからの授業。

九月に『子どもたちは未来のように笑う』の本公演がある。
93日から、三週間以上の公演期間。途中で飽きないか心配だ。それより戯曲を書くことに集中。先日のリーディングで披露したテキストに磨きをかけよう。まだ中途半端な台詞がある。ここから演劇活動を再開。去年の暮れ、高橋源一郎さんとラジオで話したとき、高橋さんは2016年の目標を)「小説を書く」と話していた。僕も舞台を作ると宣言。互いに創作者なのにそれ以外のところで忙しい。特に高橋さんは朝日新聞の「論壇時評」を連載していたから、あれはきついと思った。僕はこのところ、朝日の書評が書けない。書評委員会の出席も滞っている。だめだ。与えられた仕事はきちんとしよう。NHKのラジオ「すっぴん!」も。
だけど、私は劇作家であり、演出家だったのだ。書くことが仕事だ。小説も書こうと鋭意努力中。ただ、『子どもたちは未来のように笑う』は少し手応えがある。演劇についてかつてのようにもっと書こう。考えよう。考えてないんだよね、ここんところ、まるでサブカルチャー研究者っていうんでしょうか、文化現象研究者っていうか、そんなものになっているのだ。大学の講義もそれが中心だし。

そんなわけで、2年間の空白のあと久しぶりの更新。持続できればいいが。

(14:00 Jun. 29 2016)

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