富士日記 2.1

Apr. 13 mon. 「ピンチ」

MacBookが壊れたのである。
で、きょうあったことはすべて忘れてしまった。深夜、相馬に電話し、「u-ench.com」のファイルをMacProに移動させ、なおかつローカルのMac上で、「phpファイル」を動かす方法を教えてもらった。「phpファイル」というのは、つまり、いまこれを読んでいる人が目を通しているファイルだindex.php。たとえばウェブサイトのトップページなどで一般的に使われてきた「index.html」ならローカルで(っていうのは、つまり、家のコンピュータで)容易に見られるが、どうやら、「php」はそういうわけにはいかないらしい。その意味をわたしはまったく理解していないのだが。
で、相馬に教えてもらいながら手順を踏んで作業。うまくいかない。ブラウザがSafariでも、Firefoxでも読めない。いろいろやったあげくマシンを再起動したら簡単にできた。そんなこんなで二時間ぐらい。相馬にはいろいろ助けられる。

それも大変だったが、ショックなのは、MacBookだ。動かないのだ。まったくだめである。まあ、ちょっとしたことが起ったのだ。家にいるまことに小さな生き物がなにやらしたと想像していただければいい。それですごく無駄な時間を使っただけではなく、精神的にかなりダメージを受けた。修理に出してももう保証期間が過ぎているのだろうな。がっかりだ。ま、しょうがない。
そうえいば、このあいだiPhoneの、あれ、なんていうんですか、耳にさすヘッドフォン的なあれですけど、イヤフォンっていうとなんかラジオを聞くみたいな気がするが、まあ、あれですね、それを買ったわけです。それが驚くべきことにマイクもついており、iPhoneにさすと相手の音声は「耳にさすヘッドフォン的なあれ」で聞けるのは当然だけど、なにもしないで話ができる。かなり前、電車のなかにアフリカ系アメリカ人らしき男が乗っており、iPhoneを二台手にして、なにやらぶつぶつしゃべっている。頭がいかれちゃったのかとずっと思っていたが、あれは、こういうことだったのか。
そんなわけで相馬とは、「この耳にさすヘッドフォン的なあれ」を駆使して、コンピュータを操作しながら話を続けたのだが、こういうときはすごく便利だ。ただ、外では使わないほうがいいと思う。なにしろ、「頭がいかれた人」にしか見えないからだ。

それはともあれ、問題はMacBookだ。しばらく立ち直れないぞ。原稿も書く気力がまったくなくなった。e-daysの連載もそろそろ、っていうか、かなり遅れているのだけど、書かなくてはいけないし、小説もあるし、よし、この週末にと気持ちは高ぶっていたのにすっかりだめである。そういえば、日曜日は、「遊園地再生事業団」のミーティングだった。ちゃくちゃくと来年の公演に向けて準備は進んでいる。今年の夏、オーディションをかねたワークショップを開こうかと計画中。僕の「サマースクール」という名のワークショップはもちろんだが、たとえば、相馬の「いかにしてphpファイルをローカルで動かすか」とか、今野の「いかにして大飯食らいでも映像を撮るか」や、上村の「いかにして舞台の上で緊張しないか」など、さまざまなワークショップがあったらいいのじゃないか。

(11:17 Apr. 14 2009)

Apr. 11 sat. 「あわただしく一週間が終わった」

一週間が終わった。そういえば、木曜日、複数の教員で担当する「メディア論」の授業があり、初回は、全員が出席することになっていたのに、すっかり忘れてべつの用事を入れてしまった。失敗。
金曜日は「都市空間論演習」と「サブカルチャー論演習」の二コマだった。今年もTATeaching Assistantを、K(こと、近藤)がやってくれる。以前は二つの授業が立て続けにあってせわしなかったので今年はあいだを空けた。白水社のW君も来てくれたが、九〇分以上なにもすることがないので、食堂に行って三人でカレーを食べいろいろ話す。学食のカレーはやっぱり学食のカレーだ。「カレー」というより、「学食のカレー」という名のある特別なメニューである。しかし、いくら話をしても時間が余る。逆に休憩が長くて眠くなってきた。考えてみればだ、4限に「都市空間論演習」があり、その後、15分の休憩時間がある(今年から休憩時間が少し長くなった)、それで5限のあいだ待っている(90分)。さらに六限の「サブカルチャー論演習」の前に休憩時間が15分あって、都合、二時間じゃないか。長いよ。
その後、6限が終わってからW君と単行本の打ち合せ。さまざまな視点から都市を読み解くための方法を考える。書籍化にあたって、またかなり書くことになるが、「都市空間論」によって語る「東京」はやはり興味がつきない。今年のフィールドワークで、楽しみにしている課題は、「都市伝説、あるいは東京の祟りを探す」だ。ぱっと考えられるところで、将門塚とか、四谷のお岩稲荷とか思いつくが、ほかにもなにか見つけたら面白い。ただ、たたられないで帰ってきてほしいと思う。

といったわけで、いま池袋シネマロサでは、『シャーリーの好色人生と転落人生』という映画が上映されている。レイトショー。監督は、あの冨永昌敬君(『亀虫』『パビリオン山椒魚』など)と、佐藤央君の二人による、オムニバスっていうのか、二本立てっていうか、不思議な上映形態と、構成の映画だ。きょうそれを観に行ったのは、4月19日に、アフタートークがあり僕が出演するからである。詳しくは、『シャーリーの好色人生と転落人生』のサイトで。
トークがあるからって理由だけではなく、きょうはそれを観に行った。それというのも、俳優の小田豊さん、戸田昌宏君、笠木など、よく知った人が出ているというのがあり、それに冨永君が、また元のフィールドである自主制作映画的な環境で作った映画だというのもあった。でも、まあ、詳しくは書かない。いや、『シャーリーの好色人生と転落人生』についてではなく、このノートでは映画のことはあまり触れないことにしている。
劇場には、笠木と相馬が来ていた。ほかにも小田さん。終映後、初日ということもあるのかどこかで飲むことになっていたが、疲れていたので先に帰ることにした。というのも、きょうは朝の七時半ぐらいに起きて明治神宮へ散歩に行き、そのまま森を抜けて原宿まで歩いたり、昼過ぎ、もう一回寝ようと思ったが、あれこれ資料をあたっていたら、なかなか眠れず本を読みこんでいたのだ。夕方少し寝た。

大学がはじまり、準備でせわしなかったが、少し落ちついたので「90年代サブカル」について調べるために資料にあたっていた。古書店から次々と九〇年代の古雑誌などが届く。で、さらに古書を探したり、「90年代サブカル」にまつわるキーワードでネットを検索していたら次のような文章を発見した。素晴しいレポートだ。

土曜日
夕方くらいからボード(スノーボードだと思われる:引用者註)を買いに出かける。東西線内にプチ永ちゃんがたくさんいたので、「あ! これは!」と思い、わざわざ九段下からミナミのバーゲン会場に向かう。武道館では今永ちゃん5daysが開催中だったのです。もう、電車に乗ってる時点で右肩にE.YAZAWAタオルをかけている人が多かったが駅に降りた途端その人口が倍増。ダブルのスーツにリーゼントか、革ジャンにリーゼントの人しか見かけないほどに。ダブルのスーツの色は圧倒的に白が多かったが、次いで赤・紫・黄色の順だった。
ダフ屋と客の区別のつかない会場なんて初めてだよ、ホント。
ファンに混じって武道館前に流れていくと、物販ゾーンはE.YAZAWAビーチタオルを求めて大変な人だかりができていた。フジロックとかサマソニの物販ゾーンなんか目じゃない! 便乗して買おうかなぁなどと思ったけど値段すら確認できなかった。
しかし男は皆、トラックの運ちゃんぽい人だったが女が揃いもそろってトウの立った、場末のスナックのホステスっぽいのだらけだったのが笑った。武道館前に立ち飲み屋が登場してたし。

 目的地から近いとはいえ、興味を持って地下鉄を降りているところが素晴しい。もちろん、矢沢のコンサートについては、ナンシー関の『信仰の現場』 (角川文庫) に詳しいものの、しかし笑うなあ、「ダフ屋と客の区別のつかない会場」というのは。

そろりそろりと大学の授業がゆったりはじまった。例年のように、最初は、コンピュータから映像や音を出そうと思ってなにかトラブルが起こるけれど、まあ、それほど深刻な事態にはいたらず授業ははじまった。やることはまだいろいろあるな。読むべき本はさらに無数にある。

(6:10 Apr. 12 2009)

Apr. 9 thurs. 「戯曲を読む」

早稲田の第二文学部は新しい学生を取らなくなった。というのも、学部自体が廃止になり(いろいろ議論があったようですが私は詳しいことは知りません)、最後の二文生が卒業してしまうのは、たとえば八年間学生をやっているとしたらまだ数年先になるとはいえ、その数は必然的に少なくなっている。そりゃそうだ、新しい学生が入ってこないのだから。そのぶん、文化構想学部の学生が年々増加している。
そんななか、今年も「戯曲を読む」の授業(二文生しか受講できない)があったのである。去年の半分以下の受講生だ。教室も小さなところに移ったが、狭くなったぶん、学生との距離も近づき話がしやすくなった。これはこれでよかったんじゃないかな。きょうはとても授業がしやすかった。あとで学生に聞いたら、二文生だけ取れる授業としてはこの授業はまだ人数が多い方だという。「戯曲を読む」の授業は多いときなんかもう、人が座れないくらいいたので、え、これでと驚く。それを考えるとさみしい。というのも、二文生は社会人も多かったし独特な学生が多くて面白かったからだ。
そんな、「表現・芸術系演習44・戯曲を読む」は進行してゆくのである。戯曲を読もう。とことん読もう。なんか楽しいし。きょうも気分よく、授業ができた。

授業が開始されて第一週目。ふー、少し落ちついた。始まる前はいろいろプレッシャーがあったが、だいぶ慣れたな。面白くなってきたし。授業で、もっとこんなことやってやれ、ふざけてるかもしれないけど、構うものかといった楽しさがある。それにしても新学期の早稲田周辺は人が多い。信号を渡ったり、歩道を歩くのにも苦労する。
写真は春の情景。新宿。早稲田とはなんの関係もありません。

(9:10 Apr. 10 2009)

Apr. 8 wed. 「授業のこと」

まるで予告するように、"あした「九〇年代サブカル」について、あるブログの引用と、考察を少し長めに書こう" と六日付のノートに書いたわけだけれど、本格的に授業がはじまってその準備をしていたのだった。きょうは「サブカルチャー論」の授業と、「表象メディア論系」の会議。授業は200人くらい入る教室がほぼいっぱいだった。途中、アップルのプレゼン用ソフトKeyNoteがおかしなことになった。文字が出ないのだ。画像は出るのに文字が出ない。何枚かのスライドがそうなった。わからない。べつのスライドがうまく動き文字も出たので後半、なんとかなった。
考えてみれば、KeyNoteを使ったアニメーションのようなことはなにかべつのもので作れるのではないだろうか。たとえば、Flashとか。そうか、そういう手があると思いついたのはいいが、Flashを勉強するってことになるとですね、なにを俺はしているのかと。本末転倒っていうか、やるべきことがもっとほかにあるのではないか、小説を書いたらどうか、舞台を作ったらどうか、まじめに戯曲を書くべきである。そうは思いつつ、いま面白いことをやりたいのだから困るよ。たとえば、「90年代サブカル」の考察も面白いからそうしているのであって、この一ヶ月ほどでどれだけ資料を漁ったか。漁ることに意味があるかどうかわからないが、面白いからそうする。
そんな資料の一冊に、「青山正明(元「危ない1号」編集長・故人)」のインタビューが掲載されているというだけで古書店から取り寄せた、きわめてグロテスクな古雑誌がある。「死体」「奇形」「医学書(特殊な症例)」といった種類の写真が載ったそれを見て、ではそれがなにか特別なことか、特別な雑誌なのか考えていた。たとえば、いわゆる「エロ本」は古くからあり、これからメディアの種類が「雑誌媒体」から「DVD」になったとしても、「エロ」はずっと存在していた。潜在的に需用があるのだし、むしろ、ごく普通の欲望としてある。だとしたら、グロテスクな雑誌もそれと同様と言えないか。「現実」として、「エロ」と同様、それを隠蔽するのはおかしいのと同時に、人のどこかに、「エロ」を求めるように、「グロ」があるとしたら、べつにその手の雑誌が特殊ということはないと思える。だから、今後もなんからかの姿で、「エロ」と同様、「グロ」は流布する。欲望するそれもまた人のある側面。そう考えて、雑誌を読んでいたら、なんてことのないものだった。ごく普通の雑誌だ。好みの深度は人によってちがうだろうし、俺のことを書けば、ことさら好んで読もうと思わなかったのは「エロ」と同じ(といってもべつに、聖人君子ぶってるわけじゃないよ、好きなエロはあるさ、人と同様に)。そんな程度だよ、「危ない」なんてものは。

本格的に大学がはじまった。新鮮な気持ちで授業をやろう。それを通じて学ぶことは多い。
ところで、火曜日(7日)は鍼治療をしたのだが、治療を受けた、西武新宿線の野方と都立家政のあいだあたりにある診療所から帰り、クルマで新青梅街道、中野通りを走ったら、ここも桜がものすごいことになっていた。下高井戸でBOMBAY JUICEという店をやっているS君から先日もらったメールで、S君も書いていた「プライマル・スクリーム」をクルマのオーディオで流していたら、桜がトンネル状になった通りの美しさ、快適に走る爽快感、音楽の反復するリズム、それらがないまぜになり意識がものすごく高揚、わけのわからない多幸感に包まれたのだった。
なんだったんだろう、あれは。ドラッグのような効果だ。もっと早く知っておけばよかった。でも、また桜の写真かいと言われるのではないだろか。もうこうなったら、どんどん北上し、4月いっぱい桜の写真というのはどうか。どうかってこともないが。来年は、もっと最盛期の深夜にでも、いま書いたルートをクルマで走ろう。ものすごいんだよ、外灯の明かりに照らされて。

(11:07 Apr. 9 2009)

Apr. 6 mon. 「もう桜はいいんじゃないのか」

このところ毎日のように桜の写真を載せているような気がする。
5日の日曜日は、下北沢で花見をしたが、詳しくは、相馬のブログを読んでいただきたい。写真もいろいろ載っているし。何年か前、やはり下北沢の遊歩道で花見をした。あのときも天気がよかった。松倉が来て歌ってくれたんだな。ただ、今年になって、外に出るとやけに花見客がいるような気がし、こんなに人が出てしまうものだっけと、驚かされるのだ。というか、桜を植えすぎてないか。どこでも見られるような気がしてありがたみがなくなると感じる。まあ、僕が心配するようなことじゃないかもしれぬけれど。
さて、きょうは朝10時40分から、今年度、最初の授業であった。早稲田へ。天気のいい午前中は気持ちがいい。「社会演劇学」。この授業名を変えようという案が出ている。たしかに、「社会演劇学」って言葉は聞き慣れないし、というか、あるのかこの概念は。で、なにかいい授業名はないかと岡室さんに求められたが、ぱっと出てこなかった。授業の初回は、担当する教員が全員出席してそれぞれ自分の担当分についての解説をする。いろいろしゃべってしまった。大学ははじまったばかりでにぎわっていた。ただ、去年、精神的な不調で後期を休学していた学生とすれちがったが、あきらかに調子が悪そうな表情で歩いており、声をかけたが視線がどこかうつろで気づいてもらえなかった。心配になる。

その後、このあいだ書いたとおり仮歯が欠けたので歯科医へ。治療してもらう。でもって家に戻り、「新潮」のM君と小説について電話で話す。励まされた。技術的なことについてのアドヴァイス。うーん、むつかしいな。そこが書けると僕はもっと、小説がうまくなるのではないか。
昼寝をしようと思ったが、小説のことを考え、少し書き直したり、本を読んでいるうちに眠れなくなる。ぼんやりしていた。だが、夜から、またべつの花見パーティに誘われていたので、ぐったりしていたが遅くなってから出かける。中目黒へ。目黒川沿いはすごいことになっていた。平日だというのに人でにぎわい。桜が過剰なほど花を咲かせている。中目黒って、よくない街のイメージを、祐天寺に住んでいた10数年前まで僕は抱いていたが、変わったなあ、話には聞いていたがすっかりおしゃれな街になっているのだな。
目黒川沿いにあるイタリアンレストランで花見パーティ。俳優の伊武雅刀さんが所属する事務所の社長に誘われたのだった。つまり、スネークマンショーのビデオがらみ。伊武さんとずっと話していた。ときおり、伊武さんが北朝鮮のニュースアナウンサーのモノマネなどしてくれた。ものすごい声量といい声。贅沢だった。すぐ横に、阿藤快さんがいたが、ただの酔っ払いだった。で、ジャズピアニストの上原ひろみさんが生演奏をしてくれ、これがねえ、すごくよかった。それも贅沢だが、演奏中、阿藤さんがうるさい。
いろいろな人に会った。80年代に仕事をしたわりと芸能関係の人たち。少し話をして、じゃあ、また、なにかあったら、とかなんとか言ってわかれるのだが、もう絶対会わないだろう。一生会わないにちがいない。まったく異なる場所にいる。伊武さんといちばん話をした。伊武さんの話、阿藤さんの「ことによったらばかじゃないのかこの人」と思わせる姿、そして、上原ひろみさんの演奏、これだけでこの夜は幸福だった。

家に戻ってぐったりしていたのですぐに眠ってしまうべきだったが、水曜日からはじまる「サブカルチャー論」の授業のことを考えていたら、なにをどう準備しようか、悩んで眠れなくなり、あれこれ考え、資料をあたり、調べものをし、さらに考え、結局、眠ったのは朝の六時ぐらいか。
長い一日。「90年代サブカル」についてこのところずっと考えていたけれど、授業の進行でゆくと、前期は「サブカルチャー論としての五〇年代論」からはじまるので、そのことももっと深めておくべきだったし、「五〇年代」「六〇年代」「七〇年代」が前期の予定で、後期が、「八〇年代」「九〇年代」「ゼロゼロ年代」(いま書いていたら、「〇〇年代」と書くより、「ゼロゼロ」がいいんじゃないかとふと思ったのだ)になる。というわけで、「九〇年代サブカル」はまだ先の話になるわけだけれど、ただ、いまの興味といったら「九〇年代」なわけで、興味のあることがなにより優先されるべきだろうし、授業としても、きっとそのほうが熱がこもるにちがいない。「都市空間論」の参考資料を読むのはあまり進んでいない。白水社のW君と単行本化に向けて少しずつ準備している。それも考えないと。
で、「サブカルチャー論」「都市空間論」、そして本来の専門であるところの「演劇」があるわけだけれど、考えてみれば、ぜんぶつながっているにちがいない。三つの異なる領域が重なるその位置に「身体」があると思う。「身体が存在する、(文化的な、地理的な、芸術としての)空間」という概念。だから「身体」だ。「からだ」だ。で、あした「九〇年代サブカル」について、あるブログの引用と、考察を少し長めに書こう。

(9:55 Apr. 7 2009)

Apr. 4 sat. 「ものすごく話した日」

電車で行こうかと思ったけれど、家を出るのにぐずぐずしているうち時間がなくなったので、クルマで出たのが、いろいろ失敗だった。
土曜日の午後、天気はよく、都内のあちらこちらで花見状況だった。こんなことになっているとは思わなかった。まず、新宿御苑の手前、甲州街道と明治通りの交差点あたりで想像しなかった渋滞。やっとそこを抜けたと思ったら、靖国神社前が渋滞。花見客のクルマが列をなしており、その騒ぎで英霊も落ち着かないんじゃないか、怒りださないかと、気がきではない。おまけに、天気がいいからか、花見だからか、靖国神社がにぎわっているので浮かれたのか、北朝鮮からミサイルが飛ぶと噂されていたからか、右翼の街宣車がやけに張り切っている。
それで、三省堂書店神保町本店に行ったのである。五反田団の前田君の新作小説出版記念(『夏の水の半漁人』扶桑社)として、前田君とトークセッションがあったからだ。

話したなあ。もっと小説のことを話したかったが、なんとなく、小説の周辺から、もっとべつのところに話題が移り、さらに話題は飛び、脈絡なく話はだらだらと続いたのだった。
ところで前田君は、話の中でしばしば、「物象化」という言葉を使っていたが、少し理解するのがむつかしい部分があり、それは『資本論』においてマルクスが使った概念なわけだけれど、それを解説すべきかどうか、あるいは、亡くなられた元東大教授の哲学者、廣松渉さんがより深化させた概念でもあって、それが、かなり難解だ。僕もよくわからないし、概要を解説しようと思いつつ、詳しくわからないから黙っていた。
トークが終わってから、en-taxiのTさん、Iさん、それから白水社のW君(この日、トークを聞きに来てくれた。ほかにも幻冬舎のTさん、むかし僕の舞台にも出たことがあり、いまは「spa!」で編集をしているYらが、トークを聞きに来ていた)、そして前田君と五人、近くの中華料理店に入り食事をした。その店でも四時間ぐらいはしゃべっていたと思う。最終的にぐったりした。しゃべったなあ。この日、僕は、かなり早起きしてしまったわけだけど、眠いということを忘れて話した。前田君となにかうまがあう感じだったのだな。

ところで、いま三省堂のサイトを見たら、このトークセッションが面白そうである。それはともかく、クルマはずっと三省堂裏のコインパークに停めてあったわけだが、駐車料金が六千円になっていたのだ。Tさんが払ってくれて、なんだか申し訳ない気持ちで、神保町をあとにした。でもって、帰りも渋滞だ。お祭騒ぎだ。ミサイルが飛んでくるとかそんなことより花見である。まったくめでたい。
そうこうするうちに、6日からもう大学がはじまるのである。数人の教員が担当する授業というものがあり、去年は「メディア論」ひとつだったが、今年から「社会演劇学」も担当することになり、6日がその初日で、参加できる教員はみんな来ることになっている。しかも、2限だ。朝の10時40分からだ。早いよ。前田君とのトークにも来てくれた人が、去年は「サブカルチャー論」にもぐっていたと話しかけてくれた。その人はもう働いているそうで夜七時過ぎからの授業だからそれができた。今年は、水曜日の午後2時40分からにしたのである。というのも、木曜日がせわしなかったからだ。平日の昼間はなあ、なかなか、もぐれないだろう、それは考えてなかったけれど、まあ、もぐりだからな、しょうがないか。
そういえば、これまで私の大学での肩書は、「客員教授」だったのですが、今年から、中身はまったく変わらないのに「教授(期限付)」というものになった。しかも、なにかで身分を書く場合は、単に「教授」とする、と大学から通達があったのだ。これはちょっと、なんというか、そう記すのが恥ずかしいというか、え、俺、教授かよ、ってことになって、なにかはばかられる。ま、プロフィールのところ、正確にするためにそう書き換えたけれど。

というわけで、四月だった。町は活気づいていた。これが春ということか。

(6:49 Apr. 5 2009)

Apr. 3 fri. 「春になったと、今度こそ断言していいのか」

ずっと小説を書いていた。当初は、まず30枚渡し、感じを掴んでもらおうと思っていたが、結局、20枚だった。夕方、メールで「新潮」のKさんにそこまでを送る。それからプリントアウトしようと思って、Mac版のWordで文書を作ったが慣れていないので、そんなつまらないことで時間を取られた。あまり眠っていなかったせいか、眠い頭で細かいことを考えるのがひどくめんどうになる。だいたい、小説を書いていた意識を、急に、コンピュータの操作に換えるってのもどうなのか。そんなに器用にできるだろうか。
ようやく夕方、前回と同じ、パークハイアットの41階にあるカフェに行く。夜景がすごくきれいだった。カメラを忘れたのを後悔した。それでKさんに会った。ずっと僕の担当をしてくれているM君がきょうが都合が悪くなったので、Kさん一人だ。書きながら疑問に思っていることを質問すると、Kさんがやわらかな口調で、アドヴァイスしてくれ、それに救われる。疲れがとれたものの、ただ、身体全般がですね、なにかに取り憑かれたとでもいうように、あちらこちら痛いのだ。あげくの果てに、夜、歯の治療をしている仮歯が欠けたのだった。欠けた断面というか、そこが尖って舌にあたり痛い。ほかにも、もう二ヶ月苦しんでいる肘の痛みがある。最初、こんなもん、三日もすれば治るだろうとほっておいたら、なんだかんだ、痛い痛いと言いながら二ヶ月が過ぎた。だめだ。もう若くないんだ。そんなことはいまさら言わなくたってわかっていると思うが、とにかく、がたがただ。いやになる。
小説は、まだ書きはじめたばかりとはいえ、少し形ができてきたので、それにほっとし、金曜日の夜は気持ちがいい。夜、Kさんと会ったあと、家の近くの遊歩道にある桜をしばらく見ていた。気持ちがいい。いろいろなこと、「90年代サブカル」「バッドテイスト」「ドラッグ」「テクノ」「トランス」「セカンド・サマー・オブ・ラブ」のことも忘れ、ひどくリアルな花という美しさに見とれてしまった。夜は、少し気温もあがり過ごしやすかった。ひとときの安寧。春のよろこび。いつまでもそうしていたかった。

(10:34 Apr. 4 2009)

3←「二〇〇九年三月後半」はこちら