富士日記 2.1

Nov. 13 tue. 「死にものぐるいで」

「新潮」の、M君とKさんに会う約束をしていたのに、その時間、私は寝ていたのだった。きのう(12日の月曜日)の話だ。ほんとうに申し訳ない。午前中、「東京人」の原稿を書いて、短い原稿なのでそれほどたいへんではないものの、なにを書こうか悩んでいるうちにひどく疲れた。書き終えて眠ったら、約束の時間をまちがえ、すっかり眠りこんでしまった。落ちこんだ。
ニューヨークに行く前に連載を片付けておかなければ。向こうでメールを受け取ることはできると思うが、送ることができるかわからない。原稿もあるが、ニューヨークに持ってゆくDVDがまだできていなかった。まあ、DVDといっても、舞台の様子がわかるようにしたダイジェストだが、さらにテープからコンピュータに映像を取り込み編集していたけれど、なかでも、『ニュータウン入口』をまとめるのにすごく時間がかかった。朝になってようやく完成。それでこのノートを書いている。Final Cut Proにしろ、DVD Studio Proにしろ使い方をかなり覚えた。面白くなっていけない。やることはほかにもまだあるのだ。でも、Mac Proがあったから、この程度の時間でできたのではないだろうか。死にものぐるいの数日だったよ。しかも、「新潮」のM君とKさんとの約束はすっぽかしてしまったし。あとで、M君からメールをもらった。小説はニューヨークから帰ってからとありがたい言葉が書かれていた。ニューヨークで書こう。ただ、資料がないのが問題なものの、アウトラインは書くことができると思う。
Final Cut Proを使っていたら映像もやってみたくなってしまうが、そんなことを考えていたおり、詩人であり、映像作家でもある鈴木志郎康さんの作品を紹介するサイトに、「ここでいう個人映画とは、映画産業によって商品として製作される映画作品とは異なり、 作家が映画を個人の表現のメディアとした作品のことです」とあった。そういえば、「個人映画」というジャンルがかつて存在した。いまはどうなんだろう。久しぶりにその言葉を目にして懐かしい気分になった。「実験映画」としてひとくくりにされてしまったのだろうか。いろいろな映像があるのは、さまざまな種類の演劇があるのと同様だし、やはりさまざまな小説があるのと同じだ。

いわゆる、「かっこいい映像」って、一般にものすごく流布されていて、そのなかで先鋭的であること、凡庸な「かっこよさ」から逃れるのは、高性能なコンピュータと「Final Cut Pro」を使っていると、いまではかなりむつかしいんじゃないかとすら思えてくる。簡単にいろいろなことができるからだ。かっこよくない映像を作るほうがむつかしいんじゃないか。というのも、言語レベルでサイードが語っていた「スーパーマーケットのバックグランドミュージック」と同様に、たとえば、表参道と明治通りの交叉点の角にあるビルの、巨大なモニターに流れる映像に見ることのできる、いまふうな、それとなくかっこいい、いわば凡庸で、垂れ流されるような映像とは異なるものをどう若い映像作家たちが作るかに興味があるからだ。
ニブロールの高橋君の映像にはその可能性を強く感じるが、さらになにかあるように思えてしまうのは、高橋君、めちゃくちゃうまいからだ。うまいを越えたところのなにか。きれいを越えたところのなにかを、どうしたって期待してしまう。コマーシャルフィルムの作り手たちだって見事だよな。そこに収斂されない、またべつの映像の力がきっとあるのではないか。だって、土本典昭さんのドキュメンタリーは、内容やテーマもさることながら、映像が発する力がものすごかったからだ。映像の根源的な深い力を感じた。その深さは生半可の時間ではない。というわけで、ジョナス・メカスの『リトアニアへの旅の追憶』をあらためて観ようと思うのだった。
ああ、ニューヨークか。いよいよ憂鬱だ。DVDは完成したけれど、やっておかなくちゃならないことはまだある。準備をしよう。

(9:08 Dec, 14 2007)

Nov. 11 sun. 「品川で熊本の人に会う」

ニューヨーク行きが目前になってひどくあせる。
そんな日、「リージョナルシアター・シリーズ」という仕事のために、熊本で舞台をやっている、劇団0相の河野君に会った(河野と書いて、カワノと読む)。これは、「地域創造」が運営する「地域の公共ホールを拠点に活動する地域劇団の育成と情報発信を目的とし、『リーディング公演部門』と『創作・育成プログラム部門』の2部門で構成している事業」だ。で、河野君が、「リーディング公演」をすることになっており、僕はそのアドヴァイザーという役目だ。プロットを書いてもらい、それに意見をし、戯曲にする段階でさらにアドヴァイスする。
プロットはつい先日いただいた。ほんとはもっと早く読めるはずだったが、そこに事件が発生し、驚いたことに、河野君が暴漢に襲われたというのだ。左手をナイフで刺された。そういった事情もあり作業が遅れているので、本人はかなりあせっていると思うし、企画している側にしたら進行が遅いとせっついているのじゃないかと想像するものの、僕は、べつに、そのう、なんというか、まあ、僕がそもそも筆が遅いので、がんばってほしいというか、ぎりぎりになればきっと書けるだろうと、べつに心配していない。ただ、事件にはひどく驚かされた。だいたいその内容が怖いよ。たいてい刃物で襲われるっていう話は路上で突然にといった話になるが、恐ろしいのは、刃物を持った男が河野君のアパートの部屋に入ってきたというのだ。べつに怨恨とか、そうした事情が背景にあるのではなく、そういった男だったらしい。その「そういった」がよくわからないと思うが、とにかく、「そういった男」だった。恐ろしいことがあるものだよ。熊本は怖い。そういった土地なのだろうか。「そういった」がよくわからないと思うが。

河野君や、事業を進行する企画側の方たちに会ったのは、品川にあるホテルの26階のカフェルームのような場所だ。品川の南口がまったく姿を変えていた。かつてはなにもない場所だったのに、ホテルが建ち、道路もきれいに整備されている。少し遅刻したのはホテルの駐車場が満車だったからだ。あたりをしばらく走って駐車場を探した。公共駐車場が駅前にあったものの、そこに入るのに道がよくわからずクルマでうろうろしていたのである。河野君はきのうまで、舞台監督として熊本で仕事をしていたそうで、終わってからきょうの朝、飛行機で東京に来た。刺された左手にはゴムでできたバンドのようなものをしており痛々しい。刺された後遺症で何本かの指の神経が麻痺しているという。利き手じゃなかったのがせめてもの救い。
アドヴァイスらしい話はわりと早く終わり、それからいろいろなことを、ずいぶん長い時間話してしまった。それが楽しかった。品川をあとにし、家に戻る途中、新宿のヨドバシカメラで大量のDVD−Rを買った。ヨドバシカメラに入るといつも迷う。目的の売り場にゆくのにずいぶん手間がかかった。だが、そんなことで迷うことなどどうでもよくてですね、小説のことを考えてひどく憂鬱になっていたのだ。

(11:15 Dec, 12 2007)

Nov. 10 sat. 「東京は細かい雨」

小雨が降っているなかを早稲田へ。「早稲田大演劇映像学会」が催され、白水社のW君がそこで話をするという。事前にちゃんと調べておかなかったので、たとえばこういったブログをチェックしておけば正確な時間がわかったものを、15時ぐらいにはじまると話を聞いていたので、その時間に行ったら15時45分から開始だった。それで生協の書籍売り場で時間をつぶす。いろいろチェックしていた。読みたい本ばかりだ。
早稲田の岡室さん、坂内さんらに会って挨拶。W君のほかに、元青土社の前田晃一さんが話をする。それぞれ出版に関わっている(た)ので、「演劇と出版」「映画と出版」という内容の話。それぞれとても興味深く話を聞いた。W君の話は、白水社がこれまで演劇書を刊行してきた歴史を概観した内容で、さらに、演劇出版のピークについて触れていた。演劇書としてはかなり成果が生まれたのが五〇年代から、七〇年代の初頭、七二年ごろまでという話を聞いて、その時代を考えるに、「つかこうへいの登場」とリンクしているのではないかと思った。その後、八〇年代にいたって演劇の実作者たちは演劇論を書かなくなり、それは平田オリザの『現代口語演劇のために』まで続く。ピークが過ぎたというのはつまり演劇論にしろ、戯曲にしろ、「読まれなくなった」ことだろうが、だからといって、つかこうへいの登場が、演劇シーンを変え、その変容がそうした状況を生んだと単純に考えることもできない。すべてのことはリンクしているのだろうから、もっと大きな構造的な変化がその時代にあったと考えるほうが妥当だろう。というか、そもそも、その変化が「つかこうへい」を生んだにちがいない。
終わってから、岡室さん、坂内さん、W君、そして、聴講に来ていた相馬と戸山キャンパスの近くにある居酒屋で食事。いろいろな話ができて楽しかった。W君からは、「激辛通選手権」の話を聞き、それも興味深い。来年の一月に放送だというので、どういう戦いになったかはまだここには書けない。
とてもいい一日だったものの、ニューヨークに行くまでにやらなくちゃならないことが山積で、それを考えると憂鬱になる。ああ、小説が。その後、DVDづくりについては、『知覚の庭』にも出ていたO君や、映像関連についてしばしばアドヴァイスしてくれるH君からメールをもらった。ありがたい話である。インターレスだよな。なんか、インターレスのような気がしていたが、Final Cut Proのマニュアルを調べ、「取り込み設定」でインターレスの設定を変えようと思っても、それがよくわからないんだよ。どこでどう変更するんだろう。っていうか、もっと基本的なことが俺はわかっていないんじゃないだろうか。時間がないので、とりあえずのことをすることにした。まあ、コンピュータ上で画面最下部に横線状にノイズが出ても、それを試しにDVDで焼いて家庭用のテレビモニターで見たところそのノイズが見えない。まあ、時間がないのでそれでやることにするか。H君のアドヴァイスにあった、一度、VHSデッキから、DVカメラにダビングし、それからコンピュータに取り込むのがいちばん安定する気がしたものの、正直、それをするのがどうにも面倒だったのだ。時間がない。やっかいなことになった。なんだよ、まったく、ニューヨークで映像を見せることぐらいでなんでこんなに苦労しなくちゃならないんだ。しかも、機材をいろいろ買ってしまったし。小説を書くんだよ、俺は。いまいちばんの課題だというか、自分にとってもっとも重要なのは小説なんだ。

(7:33 Dec, 11 2007)

Nov. 9 fri. 「いわゆる "はまる" というやつ」

筑摩書房の「webちくま」と、「論座」の原稿を早朝に書き上げて送り、午後にはゲラが届いていた。昼夜が逆転しているので、「webちくま」のほうは夕方の四時半ぐらいに眼が覚めてから直しを入れてFAXで送った。それから外に出てあれこれ買い物をする。
そこで映像を作っているとき疑問が一点わき、それというのも、VHSの素材をコンピュータに取り込むとき、画面下部のあたりにちらつきがあらわれるからだ。これはデッキが悪いのではないかとまず考え、ほかのデッキで再生すると、テレビモニターにそのようなものは現れなかった。やはりリサイクルショップで買った安いビデオではだめかと思って、いま使っているビデオでサブになっている機材で試す。同じように出る。うーん、わからないな。テレビモニターではちらつきが出なくて、コンピュータに取り込むとき出るということは、取り込むときの設定とか、なにかがだめなんじゃないかといろいろ試しているうちに一日が終わってしまった。茫然とする。ネットでなにか情報がないか調べた。こういうとき、きまって同じことで困っている人がいるのだ。ひとつだけ手がかりになる情報があった。つまり、テレビモニターでは表示されない領域が、コンピュータに取り込んだとき出てくるという情報。まあ、そういう話はかつて聞いたことがあったが、あのちらつきが、そのせいかどうかはわからない。悩んでいるとまた朝になってしまう。
かつて、コンピュータでわからないことがあってまる一日ばかりか、何日にもわたって作業をしたことがあるが、いま、それと同じような状況だ。何年ぶりかで「はまった」な。むかしはよくあったけれど、久しぶりに、はまった。ニューヨークに行くまで時間がなくなり、DVDを早く作らなくちゃいけないと焦る。それと同時に、小説のことがあってさらに焦る。なにしろ、「新潮」のKさんが資料を集めてくれたので、これでまた書かなかったらほんとに申し訳ないからだ。あちらこちら命がけ。仕事するぞ、とことん、仕事する。ニューヨークから帰ったら死んだ気になって仕事をしよう。ばりばり音を立てるように小説を書こうと思う。白水社のW君がその後、「激辛通選手権」でどうなったかまだオンエア前なので詳しく書けないが、とにかく立派に戦っているようだ。杉浦さんからは、南波さんの結婚のその後の情報、つまり結婚式をどんなふうにやるかがメールで届いた。秋も深まる。ニューヨークはもう雪がちらつくという予報だ。楽しみであり、そして、いろいろ考えていると(DVDのこととか)憂鬱になってくる。でも俺は、グリニッジビレッジには行こうと思っているよ、仕事のあいまをぬって。

(9:46 Dec, 10 2007)

Nov. 8 thurs. 「ブータン料理を食べる」

ガテモタブンの料理

夕方、メールチェックすると白水社のW君から連絡があった。代々木上原のブータン料理店「ガテモタブン」に行くので一緒に食事をしませんかという内容だ。ちょうど食事どきでもあったし、ブータン料理にも興味があり、W君とも話がしたかったので家を出る。まあ、いろいろ話すことはあるが、なかでもいま聞いておかなければならないのは、W君がテレビチャンピオンの「激辛通選手権」に出るという話だ。まあ、驚いたけどね、その話には。というのも、『ニュータウン入口』に出演した杉浦さんのメールにそのことがちょっとだけ書かれていたが、メールの文面だけでは意味がわからなかったのだ。出るってなんだろうと思ったのである。
だが、W君はきっぱり「出る」と言った。そんなに激辛通だとは知らなかった。ブータン料理を食べるのもそのための予習の一貫らしい。なぜ、W君が「激辛」なのかだ。と、いま「げきから」と入力したらATOKが一発で変換したので驚いた。
代々木上原のどこらあたりになるのか、少し駅から歩いた位置にその店はあった。こじんまりとしたいい感じの店だが禁煙である。「ガテモタブン」はおそらくブータン語だろう。どういう意味か店の人に聞けばよかった。メニューに唐辛子のマークで「辛さ」が示してあり、いちばん辛い料理だとマークが六つくらいついていただろうか。はじめは軽いところ、マークが一個の料理から食べはじめる。ぴりぴりっとはするが、そんなに辛くない。おいしい。豚肉と大根のスープがおいしかったな。大根がとてもうまい。インドカレーなど、赤々として見るからに辛そうだが、ブータン料理はぱっと見、あまり辛そうではない。淡白な色あいである。マーク六つの料理も、白いシチューのような感じだ。そんなに爆発的な辛さではないものの、やはり辛い。なかにあった緑色の唐辛子を食べたらのどがひりひりする。頭がかゆくなる。からだがあたたまる。

W君から、「激辛通選手権」に出ることになったいきさつとか、あるいは、いま計画している自宅の建築について話を聞いた。土地の購入から、建築家とのやりとりなど、一年ぐらい時間がかかって、これから施工するまでさらに時間がかかるようだ。でも、その一連の経過をW君は楽しんでいるように感じる。土地を持っているとコインパークの会社から連絡があるとも聞いた。駐車場にしませんかと持ち掛けられるとのこと。なるほどなあ。いまもあるのか詳しく知らないが、「ビフォー・アンド・アフター」という住宅改築番組があった。「ビフォー」で古びた木造家屋が紹介され、その家のなにが不便かをさんざんやったあげく、「なんということでしょう」というあのおなじみのナレーションののち、「アフター」でコインパークになっていたら、ほんとに「なんということでしょう」だ。
ほかにも、来年の岸田戯曲賞の選考の話などし、10時近くになって店を出た。W君をクルマで新宿まで送り、家に戻って仕事をする。遊園地再生事業団の舞台映像をコンピュータに取り込んで編集し「DVD Studio Pro」で作業。まず、九五年に上演した『知覚の庭』をまとめる。もう12年も過去。まだ五歳くらいの子どもが出ていて、考えてみればあの子も、もう高校生以上になっているのではないか。あるいは、出ていた俳優たちはほとんど二十代の前半だったはずだが、もう三十代か。その当時の僕の年齢にみんな近づいているのが不思議だ。どうしてるのかな、みんな。『知覚の庭』をビデオで観ていたら、これもまた、再演したい気分になった。「遊園地再生事業団レトロスペクティブ」といった企画で、過去の舞台を連続して再演するのもいいかもしれない。
わりと短い時間で作業が終わった。それから原稿を書く。ふと気がついたら原稿がたまっていた。連載が二本に、イレギュラーが一本。いやになる。

(10:13 Dec, 9 2007)

Nov. 7 wed. 「夕方まで眠ってしまい」

それで昨夜から今朝にかけ、ことによったら、こうすればいいのじゃないかと、「DVD Studio Pro」を手探りで操作し、あるいはマニュアルを読み、使い方を発見しているうちに面白くなって気がついたら昼になっていた。ようやく眠ることにした。眼が覚めたら夕方だ。なんという生活をしているのだろう。いやになる。
古書店に注文していた本が届く。ほかにも宅急便で本やDVDが届いたが、うちの近くを担当している宅急便の人は、スチャダラパーのボーズ君に似ており、とても好感度が高い。すごく働いているので頭がさがる。けっこう朝早くからの配送でボーズ君が現れるかと思えば、不在だったとき再配達を頼むと、もう夜の八時を過ぎているのにボーズ君は「いま下にいるんですよ」と携帯の向こうでそう言う。働くなあ。それなのに俺は夕方まで眠っていたのだ。むかしなにかの舞台を観に行ったらある女優さんが、「午後四時まで眠ってしまったときの茫然とした気分」について深刻に芝居するので笑った。そんな苦悩ってあるか。まあ、苦悩は苦悩だとしても、午後四時まで寝ていられること自体、ある意味、幸福ではないか。ボーズ君は朝早くから働いているのだ。ときどき外で会っても宅急便のクルマの運転席からにこっと笑って挨拶してくれる。いいやつなんだよ。部屋まで荷物を運んでくれると、「なんか、新潮社からみたいですよ」とか、「コンピュータのあれみたいですね」といったコメントがときどきつくが、ボーズ君の場合、これがいやな態度にならない。どこまでも好感度が高いのだ。
届いた本の一冊は、福岡の古書店に注文したある小説だが、配送が無料だというのは届いてから知った。ありがたいサービスだ。かつて古書店は足を運んではじめて知るものだった。いまはこうしてネットを通じて取り引きができる。便利といえば便利だし、探しているものを見つけるのも楽になったが(その多くは絶版になっている本だ)、本来、書店とは、ぶらっと立ち寄るものだろう。なかでも古書店はそうだ。知らない町を歩いていると古書店を見つけて入る。棚に目をやり気になったものを幾冊か手にしてレジに行く。時間があれば近くにある喫茶店に入っていま買った本に目を通す。こんなに贅沢な時間はない。そういえばこのあいだ八王子を歩いたら、むかしあったはずの古書店がなかった。歩いているあいだも古書店を、まあ、古書店という表記は歩いているときにはそぐわないので古本屋と書けば、ぜんぜん見つけることができなかった。もっと歩くべきだったかな。なんども歩いてはじめて町のことはわかる。そのためには一日では足りない。

ニューヨーク行きが迫っており、準備しなくちゃいけないことがあるんじゃないかと思うと落ち着かない。向こうは寒いんだろうな。なにを着てゆけばいいのだろう。早稲田の岡室さんからメールがあって、次の土曜日に早稲田で「演劇映像学会」があり、白水社のW君が演劇書の出版状況について話をすると教えてもらった。話を聞きに行こうと思う。あちらこちら忙しいとはいえ、舞台がないときは、ぼんやり考えごとができたり、本を読んだり、「DVD Studio Pro」の使い方を学んだり、こうしてノートを毎日、更新できたりと、余裕がある。そういえば『ニュータウン入口』に出演した杉浦さんからメールがあって、やはり南波さんの結婚について触れており、杉浦さんには電話があったという。その電話で南波さんの結婚相手の佐藤が、舞台のとき杉浦さんの息子役だったから「お母さん、結婚することになりました」と言ったそうだ。そのとき佐藤は声がひっくりかえっていなかったか気になる。ひっくりかえるんだよな、佐藤。大事なせりふになると、ひっくりかえるんだ。「結婚しよう」と言ったときも、佐藤の声はひっくりかえっていなかっただろうか。

(10:50 Dec, 8 2007)

Nov. 6 tue. 「コンピュータの前で待つ」

まあ、たいていのことは突然、思いつくものだから、きょうの夕方、秋葉原に行こうとふと思いたち、それでいくつかの映像に関する機材を購入した。さらに家の近くのリサイクルショップでビデオデッキを安く買った。いい買い物をしたな。で、秋葉原のとある小さなショップは、エレベーターのないビルの四階にある。階段をのぼろうとしたら、入口に若い男がいて、「本日は都合により閉店しています」というプレートのようなものを胸のあたりに持っている。なにやら怪しい店だが僕の目的はそこではない。店があるのは古い建築だ。狭い階段を上がる。すると二階にも同じような若い男がやはりプレートを持って立ち、プレートにはしつこいくらい、「本日は都合により閉店しています」と書かれていた。最初の男を見逃してしまう者がいるのだろうかといぶかしく思いながらやっと四階に行くと、客が並んでいた。二人の男を見逃すやつがいるのか、秋葉原では。僕が買い物をしようとしていた店と同じ四階にある、「本日は都合により閉店しています」の店で、テレビかなにかのロケをしており、階段に立っていた若い男より少し年長の者が、こんどは「お静かに願います」と言った。よくわからない気分のまま、目的の店へ。
さて、VHSビデオの映像は思いのほかうまくコンピュータに取りこめた。それで「Final Cut Pro」で編集してチャプターをつけ、それを「Compressor」という圧縮ソフトでMpeg-2に変換し、「DVD Studio Pro」で読みこむ。そうした過程を経て試しのDVDを作成すると、はじめてのわりにはうまくいったのではないか。ただ、「DVD Studio Pro」の使い方でいくつかわからないことがある。わからないことがあるたびマニュアルを引いたがそれでもわからない。まあ、いいか。
夕方に家を出て買い物をし、機材のセッティングなどをすませ、ゼロから「Compressor」や、「DVD Studio Pro」の使い方を覚えつつ、一時間ほどのDVDが作成できたときには、深夜の2時ぐらいになっていた。いろいろわかったぞ。とにかく「Compressor」でMpeg-2を生成するのは時間がかかる。取り込みも面倒だが、そこがひどく厄介な作業だ。待つなあ。やたらと待つ。「Final Cut Pro」によるレンダリングは複雑な編集じゃないのでさほど時間はかからなかったが、問題は「Compressor」だ。だいたい正しく使えているのかよくわからない。でも、大丈夫だろう。DVDデッキで確認したらふつうに見ることができたし。これでニューヨークに持ってゆく舞台の映像サンプルを記録したDVDを作ることができる。で、考えてみると、こういうことは誰かに頼んでもいいんじゃないだろうか。そういった業者もある。ただ、やりたいんだよな。自分でやってみたいんだ。この面倒なあれこれが面白いから困るのだ。

南波さんが結婚するという話はもう二週間ほど前に届いた本人からのメールで知った。まあ、二人のことは薄々知っていたものの、いきなり結婚と聞いて驚いた。そんなに素早い行動をとるとは、ふだんの南波さんからは想像ができなかったのだ。メールによると、四月にあった『ニュータウン入口』のリーディング公演のころにつきあいをはじめたとあり、僕の舞台が縁で結婚するなんて、こちらこそうれしい気分にさせられた。よかった。遊園地再生事業団は、劇団員といった者がいない(メンバーはいるものの)から、そこは、ある種の開かれた「場」だと僕は考えている。俳優をはじめスタッフらがそこで発見し、獲得し、なにかを実現する「場」だったら、それが理想だ。結婚はまるで演劇と関係がないかのようだが、でも、それもまた、どこかでつながっているのではないだろうか。演劇を動かすのは理念だけではない。そうした人の具体性のようなものが表現の背景にあり、「結婚」もまた、なにかが生まれること、発見することの、とても身体に近い部分に属するものだとすれば、いまの、〈いま、ここ〉にある表現や身体と無縁であるはずがない。ほんとうにおめでとう。
ニューヨークに行く前に小説を書き上げよう。時間がなくなってきた。少しあせりつつも、きょうはDVDを作ったことでなにやら気分がいい。

(8:16 Dec, 7 2007)

Nov. 5 mon. 「ビデオデッキが消えてゆく」

ビデオデッキそれぞれ

このあいだ書いたように舞台映像をビデオテープからDVDに記録し直そうと考えている(コンピュータに一度取り込んでからチャプターを付けようという計画)。とはいっても、居間にあるビデオデッキの近くまでコンピュータを持ってゆくわけにもいかず、作業するためのビデオデッキを新たに買おうと思ったのだった。コンピュータのすぐそばにデッキが欲しい。で、新宿西口のヨドバシカメラに行ったらその家電売場で恐ろしい光景を見た。ものすごくでかい、液晶だか、プラズマだかのテレビモニターがあるのはまだいい。様々な種類のDVDデッキがあるのもわかっていた。だが、驚くべきことに広い売り場に展示されているVHSビデオのデッキは、たしか六台くらいだった。それしかない。恐ろしいことになっていたよ、世の中は。もう、ビデオデッキはなくなってゆくのだな。アナログからデジタルに世界は移行してゆく。まだ、ビデオだって満足に普及していない国だってあるはずなのに、なにが起っているのだ、これは。
いま家にあるのは、VHSが二台、それから写真の一番下はヤフーオークションで手に入れたベータのデッキだ。うちにはVHSよりも、まず先に、異常な数のベータのテープがある。これをべつの手段で保存しなければならない。まずそこからだと思っていたが、もうVHSさえ消える運命にあるとは思いもよらなかった。それにしても、家電売場はにぎやかだ。にぎわいのなか、売場の片隅にVHSの棚がぽつんとある。そのさみしさといったらなかった。煙草を吸いに売り場から外に出ると、新宿の西口はヨドバシカメラを中心にさまざまな量販店が外に向かってひどくにぎやかに宣伝している。音楽が聞こえ、看板には派手な文字が声高に叫ぶように見える。携帯電話の売り場に人だかり。色とりどりの携帯電話が並ぶ。うるさいほどの色使いだが、ふと考えてみれば、こうしたにぎやかさはつまり、お祭りや縁日の喧噪のようなものではないか。八王子や浜松はさびれてゆくが、ここに来るとお祭りみたいなにぎやかさに人は出会い、それでどこか浮かれてしまう。ただ、祭りは一年中やっているわけじゃないからな。量販店の過剰な宣伝に少し疲れた。
いま書いている小説は、べつに七〇年代のことを書こうとしているわけではない。現在の話だ。その日常のなかで、過去を回想する話だが、そこに出てくるひとつの過去が七〇年代、細かく書くなら、一九七六年のことになる。おとといのこのノートで「ATG特集上映 in シネマート六本木」に触れ、繰り返し七〇年代の半ばに住んでいた八王子のことを書き、このところあの時代を回顧することが多い。あらためて七〇年代を調べようかと思うのは、なにかそこに埋まっている気がするからだ。八〇年代のことは、「八〇年代地下文化論」でいろいろ考えたから、ではそれを準備した時代がなんであったか探ってゆくのは面白そうだ。まだ一般の家庭にはビデオデッキさえなかったころだ。

(6:23 Dec, 6 2007)

Nov. 4 sun. 「日曜日は後悔する」

八王子にて

八王子に住んでいる方たちからまたいくつかメールをいただいた。ありがとうございます。高校、大学、そしていま勤めている会社も八王子というKさんという方によれば、まだ荒井呉服店はあるという。きのう書いたように、織物産業が衰退していったこともあるし、さらに言えば、全国的に商店街がさびれてゆく傾向が八王子にもある。言われて見れば、国道20号線沿いに荒井呉服店があったように、たしか大丸があって、そのあたりは八王子でもかなり繁華街だったはずだが、すっかり往時の面影はないらしい。このあいだ僕も少し歩いてそのことは感じたが。

荒井呉服店のある、西八王子へと続く、甲州街道沿いの商店街は、銀行以外はほとんど、客は入っておらず、シャッター通り寸前と言った感じです。以前あった屋根(アーケードっていうんですかね)も取り壊されました。すっかり変わった駅前よりも、数十年前の店がポツポツとそのまま残ったまま。駅前も決してにぎわっているとは言えず、学生は今は服屋、映画館がそろっている立川まで遊びに行くことが多いです。
インドラというカレー屋には行かれたことはありますか? 開店してからもう30年ほど経つようで、開店当初は多摩美の生徒が多かったと聞きます。私はそこでバイトしていたのですが、竹中直人さんも学生のときから、最近でもたまに来店されてました。ホームページには当時の写真など載ってますが、今も外観はほとんど変わっておらず、みずき通りという、駅から離れた場所ではありますが、チャイ一杯で、ゆっくりできる八王子でも貴重な飲食店です。

 そのカレー屋は僕もよく知っている。あのころ何度かカレーを食べに行ったし、それで思い出すのは、竹中がなにかと言えばカレーを食べていたことだ。まだあるんだな。このあいだ行ったとき食べればよかった。すっかり忘れていた。とてもいい店だ。
JR八王子駅の前に立つと、バスロータリーのあたりの作りが静岡県の浜松とよく似ている印象がある。浜松も商店街がだめになっていて、やはりシャッター商店街化しつつあるのだが、それもそっくりだ。いまはどこでもそうなんだろう。そして、人は郊外の大形ショッピングセンターに買い物に行く。あと、駅と商店街を分断するようなあの駅前ロータリーの作り方をどう考えていいんだろう。絶対にいいことがないんだよな。やけに大きく、そしてきれいになってはいても、人の流れが商店街のほうに向かなくなると思う。八王子もしかり、浜松もまったく同様だ。あのことで誰が得をするんだかまったくわからない。さびれた町にやけに立派なバスロータリー。立体的に作られたそれは、人が町をのんびり歩くのをこばむように作られている。この国は全体的には見事な経済成長をとげそのことで豊かになった側面も数多くあるだろう。それとは逆に、見かけだけの豊かさは、見かけだけによけいにみすぼらしく感じる。こうした傾向を生み出したものはなんだろう。いびつなんだな、この国が。豊かなところはとても豊かで、そして、浜松をはじめ地方はいろんな意味で貧しくなってゆく。このシステムの根本のところを考えていた。

浜松にほど近い磐田には、ジュビロ磐田がある。昼間、ジュビロと順天堂大学の天皇杯四回戦をBSで見てしまったわけだ。プロと学生の試合だから当然とは言え、最近では珍しくジュビロはボールが回る。圧倒的に支配し6点取った。けれど、失点1ってのはいかがなものか。ほかにも、浜松をホームにしているホンダFCが柏に勝ったのもうれしかったし、エスパルスは明治大学に辛勝。ホンダFCが勝ち進んだら面白いのに。なにしろかつては名門のクラブだった。静岡に帰ると、静岡でしかやっていないサッカー番組があるのだが、いまはどうか知らないが、かつて現エスパルス監督の長谷川健太がキャスターみたいに出演しているのをよく見た。NHKの解説ではもっともらしいことを話している健太だが、静岡ではかなり油断し、やけにはしゃいでいたのが印象深い。ジュビロの試合では、後半、中山が交代で入った。なぜ中山が出てくると気分が高揚するのだろう。
ミラン・クンデラの小説を読む。クンデラは面白い。そんなことを考えたり、しているうちに、無為に時間は過ぎ、まあ、いろいろ勉強はしたけれど、なにかだめな日曜日だ。日曜日ってのはそうしたものだ。日曜日だからこそ、よけいに腹立たしい気分と後悔が生まれる。だけど、いくつかメールを送ってもらってそれがうれしかった。

(8:04 Dec, 5 2007)

Nov. 3 sat. 「深夜の町をクルマで」

映画『サード』

ニューヨークに行くにあたり、僕の舞台の映像をまとめて向こうで観てくれるという報せを受けた。この際だから、VHSで記録されているものをすべてDVDにしようと考えたわけである。まあ単純に、VHSのデッキで再生し、DVDにダビングすればいいわけだが、チャプターができたらいいと思っていろいろ調べる。「DVD Studio Pro 2」でその作業をしようと思いたったら、そのことで一日が過ぎてしまい、なんという無為な一日だ。いやな気分になる。なにか途方にくれる。というのも、その作業過程のなか、ビデオデッキからコンピュータに取り込むのにどんな機材が必要か調べていたら、そうした情報を読むのが面白くてしょうがないからだ。こんな機材があったかというさまざまな発見があり、いろいろためになる。怪しい機材もありネットで情報をチェックすると飽きないから困る。
こんなことではいけないと思い、深夜、青山ブックセンター六本木店に行く。六本木店は朝五時までやっている。すごいね。雑誌などの棚を観たり、画集や、映画の本をさっと見たが、そこでフライヤーを見て知ったのは、ATG特集上映 in シネマート六本木」のことだった。だいたいの映画はほぼリアルタイムで観ているが、未見のものもいくつかあるし、たとえば篠田正浩の『心中天網島』は見られなかった。あといくつか。若松武史さんも出ている『サード』(監督東陽一・写真は主演の永島敏行)をおすすめする。撮影の打ち上げのとき、若松さんは大暴れしたらしい。なにかに腹をたて、テーブルをひっくりかえしたという話を『ニュータウン入口』の稽古中に聞いた。脚本は寺山修司だ。
それから、「新潮」のKさんが探してくれた八王子の地図を見ながら過去の記憶をたどってゆくとさらにいろいろなことを思い出す。八王子にお住まいのIさんという方からメールをもらった。荒井呉服店の近くにある高校に通っていたという。いまでもあるのだろうか、荒井呉服店。松任谷由美の実家だ。「新潮」のKさんが揃えてくれた資料には過去の八王子駅前の写真のコピーがある。駅前のバスロータリーの中央に、「織物の町八王子」と書かれた、なんていうんだろう、塔のようなものが建っており、写真は一九六四年だがそれもよく記憶している。かつて紡績産業で栄えていた八王子の町だが、そうした産業が衰退し町から活気が失われてゆくのは日本中で起った現象ではないか。いまでは日本で一番、大学の多い町だと聞く。とはいっても、それも市街地ではなく郊外になるわけで、その学生たちは八王子の市街に来るのかよくわからない。きっと来ないんだろうな。このあいだ行ったときも学生の町という感じがどこにもなかった(というか、いまでは、「学生の町」という概念がそもそも存在しないのかもしれないが)

小説のことを考える。深夜の町にクルマを走らせ、ぼんやり小説のことを考えている。あ、そうだ、ふと気がついたのは、このサイトを開いてもう10年になることだ。九月に10周年ということになっていたのだが、稽古が忙しかったから忘れていた。10周年記念になにかすればよかったな。「楽天」も10周年らしい。だからなんだって話だが。

(7:12 Dec, 4 2007)

Nov. 2 fri. 「クルマが壊れ、そして八王子の地図」

八王子の町で見た二人

午前中から午後にかけて、原稿を書く。「TOKION(トキオン)」のために写真を選んで大量に編集部のSさんに送ったが、ヤフーのブリーフケースは送るファイル数に制限がある。いちおう画像ファイルを何枚かまとめてフォルダーにしそれを圧縮してひとつのファイルにしたけれど、それでも数が多い。少したいへんかと思いつつ、アップできないぶんをメールで送ったら、そのメールがどういうわけか、不達になってしまう。戻ってきてしまうのだ。ずいぶん手間がかかったけれど、その後、無事、全ファイルを送ることができた。手間はかかってもネットを使えばまったく便利にデータのやりとりができる(上の写真は、直島ではなく、八王子にいた若者である)
夕方、用事で外に出た。コインパークにクルマを止めて用事をすませたあと、あらためてクルマのエンジンをかけたら、ものすごい音がする。グギギギーグルグルギーといったふうな音だ。少しスピードを上げたらおさまったので、まあ、大丈夫だろうと思って家に戻ったが念のためいつもクルマの点検をしてもらうお店に電話した。状況を話すと、「エンジンベルトが切れましたね」と言われ、「保険会社に電話して、すぐレッカーして持ってきてください」と指示を受けた。保険会社に連絡。その後、いくつかやりとりがあって、クルマをレッカーしてくれる人が30分後に来てくれるという。あれよあれよというまに、事態は急展開したのだった。結局、エンジンベルトが切れ、つまりバッテリーを発電させられないということだ。出先から家まで帰ってこられたのは、バッテリーに残っていた電気だけが頼りだったらしい。そのまま乗っていたらおそらくどこかでバッテリーも切れ動かなくなったという。で、レッカーしてくれるクルマと聞いていたので、うちのクルマを引いて運ぶのかと思ったら、巨大なトラックみたいなものが来た。そのまま、荷台に乗せるから驚かされた。
いつもクルマの点検やら修理をしてくれる店のある南大沢へ(ここもまた、八王子市である)。ベルトを交換。ほかにも消耗している部品を交換してくれ、このまま、しばらく修理のために乗れないかと思ったら帰りはクルマで帰ってくることができた。しかもやけに調子がいい気がする。わからないものだなあ。

南大沢に向かう途中(僕はレッカーしてくれるトラックに同乗していたのだが)「新潮」のM君から電話があって、Kさんが八王子の地図を何種類か見つけてくれたという。バイク便で送るとのこと。クルマの調子が回復して気をよくしていたところに、さらにうれしい届け物だった。過去の八王子の住宅地図だ。ほかにも資料がいくつか。これは助けられる。というか、個人的な趣味としても古い地図は見ているだけで面白くてしょうがない。それもいわゆる「古地図」というのではなく、近過去の地図だ。僕が住んでいたころの八王子がそこにあった。記憶がよみがえってくる。住宅地図はとくにいろいろなことがわかり、このあいだ僕が探していた建物の入口が、記憶では西向き、いまのJR八王子駅側に向いていると思ったら、そうではなく、東に向いていたことだけでなにかがよみがえってくる。その近くにヒッピー風の若い夫婦がやっていた喫茶店があり、いつも僕らはたむろしていたけれど、あれはもう十数年前になると思うけれど、店のマスターが自殺したと知ったのは、八王子から僕も足が遠のき、いやむしろ店自体がなくなってからだと思う。ひょんなことからその死を知った。店の名前に記憶がない。
地図を見ているといろいろな記憶が蘇ってくる。古い住宅地図にはJR八王子駅とバスロータリーをはさんで、「朋松」という喫茶店があった。コーヒーと音楽。喫茶店はコーヒーを飲むだけの場所ではなく、その空間が文化だったころの話だ。

(3:23 Dec, 3 2007)

Nov. 1 thurs. 「小説のことを考えて」

昼間、このノートを読んでくれた「新潮」編集部のM君とKさんから電話をもらった。もちろん小説についての話になり資料を探してくれるという。その後に思いついた僕のアイデアを話すとそれもいいのではないかと同意してくれた。さらに、編集長にもその小説の話をしたら、それは誰も書いたことがないだろうと喜んでくれたとの話。まあ、いつか詳しく書くことにしようっていうか、小説が完成し発表されてから読んでもらえたら幸いだ。とにかく書かなくてはね。少しずつ考えている。というか、その最初の一枚分ぐらいはもう書いたのだった。まだ、一枚だが。
妙な睡眠時間をとっていて、少し眠ってはすぐに目が覚めるというぐあい。だから起きているあいだも意識がぼんやりしていけない。いつだったか書いた「TITLe」という雑誌だが、新宿のジュンク堂書店にバックナンバーがあるはずなので探しに行ったら、ほしい号(「Coffee & Music」という特集のある号)だけがないんだ。売り切れらしい。仕方がないのでアマゾンで注文。ついでに、サイードの本も注文。読むことの愉楽のために。あるいは、勉強。深夜、「webちくま」の原稿を書く。いつもせっぱつまらないと書けない。筑摩書房のIさんからは、締め切りがぎりぎりだと作業が大変だから、ぜひ、まとめて二本をと言われているが、それができたらこれまでも原稿で苦労しなかったんだ。だいたいせっぱつまってようやく書けた。
夜、なにげなくテレビのBSをつけたら、『大統領の理髪師』という韓国映画をやっていたので、ふと観ているうち、結局、最後まで観てしまった。なんとなくですね、これは山田洋次監督の映画というか、主人公が渥美清に見えて仕方がなかったのと、渥美清が主演した過去の映画『拝啓天皇陛下様』のことをどこかで感じていたが、あとでネットで調べたら山田監督はかなりこの映画を評価しているのだな。とても丁寧に作られた喜劇映画だ。その背景が、韓国の現代史になっており、李承晩、朴正煕らしき人物たちの政権のなかで生きる韓国のごく一般的な人々の日常にひそむ愚かさが喜劇になる。苦みをともなった喜劇。そうした政治背景の表現の仕方に興味を持った。僕はこのノートでは、観た映画のことをほとんど書かないようにしているけど、ちょうど僕が子どものころから、朴正煕が暗殺される時代までの、韓国の政治に強い不信感を持っていたころについて描かれ、そういった意味ではこれを政治映画として観たから、少し書きたい気分になったのだ。山田洋次さん的なものをかなり感じつつ。

連絡とるべき人たちに、メールなり、電話するのを怠っている。いま小説のことばかり考えている。ニューヨークに行くまでに落ち着いて書きたい。直島の紀行文が中途半端になってしまったが。

(4:36 Dec, 2 2007)

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